作家、合いの手

脳幹 まこと

【特別対談】恐怖、明暗、理性――創作者が見つめる世界のリアル


 ホラー作家「脳幹まこと」× 評論家「脳幹まこと」


 人間の深淵を覗き込み、日常に潜む恐怖を描写するホラー小説家「脳幹まこと」。

 現代社会と心理の機微を冷静に解剖する評論家・エッセイスト「脳幹まこと」。


 表現方法は対照的ながら、共に時代の「リアル」と格闘する二名が今、火花を散らす。同い年である彼らは互いの代表作を読み込み、その影響を認めつつも、譲れない視点を提示しあう。

 創作とは何か、世界とどう向き合うのか。激しく交わされる言葉の中に、現代を生きる我々への問いが浮かび上がる――


(便宜上、ホラー小説家の脳幹まこと氏を「ホ」、エッセイストの脳幹まこと氏を「エ」とする)



・創作の現在地:AI、評価、そして言葉


エ: 本日はお忙しい中、ありがとうございます。脳幹先生の作品はいつも拝読しておりまして、今日の対談を楽しみにしておりました。


ホ: こちらこそ。まこと先生の評論やエッセイには、いつも刺激を受けていますよ。よろしくお願いします。


エ: 早速ですが、最近の創作を取り巻く環境について、先生はどのようにお考えですか? 特にAI技術の進歩には新しい時代の予感もしていますが。


ホ: AIねえ。確かに便利なんでしょう。先生も以前、その利便性とリスクについて書かれていましたね (※1)。


エ: ええ。創作活動の補助としては非常に有用な面もあると感じています。ただ、使い方を誤れば、創作の本質を見失いかねない危うさも同時に感じています。


ホ: まさに。あまりに簡単に「それらしい」ものが出来てしまうと、自分が何を表現したかったのか、分からなくなってしまうかもしれない。


エ:はい。


ホ:先生が表現された通り、魂まで委ねてしまうと言いますか。まあ、便利なものに頼りたくなる気持ちも分かりますけどね。


エ: その「便利さ」への依存が、少し怖いですよね。もう一つ気になるのが、SNSなどでの評価のあり方です。数字や「いいね」が先行して、作品そのものと向き合う時間が減っているような気がします。


ホ: ああ、評価ですか。星の数だとか、PVだとか……。あれに一喜一憂するのも、人間のさがなんでしょうかねえ。いささか滑稽にも見えますが。


エ: 滑稽、ですか。


ホ: ええ。評価なんて、あってないようなものかもしれない。それに振り回されて、本来書きたかったものを見失うくらいなら、いっそ無い方が健全かもしれない、なんて思ったりもします。


エ: それは、少し寂しい考え方な気もしますが……。多くの「誰か」に届けたい、より高まりたい、という気持ちも創作の動機の一つでは?


ホ: もちろん、ゼロではないでしょう。ただ、それが主になると危うい。期待すれば裏切られた時のダメージも大きいですからね。私も専ら自分に届けることを目的にしてます。『デカ布団ダンス』(※2)といった作品などですね。


エ:自分に届けるですか。それもまた虚しくはなりませんか。


ホ:人それぞれに持論があると思うのですが、成長や向上というのは、一時的な現象であるべきなんですよ。ここらへんはSF作家の脳幹まこと先生が書いた『終末タスク』(※3)なんかがズバリ指摘してるんですが、成果を外に見出すやり方というのは必ず限界が来ます。それはまさしく夢物語と言ってもいい。


エ: なるほど……。先生らしい達観したご意見ですね。ただ、私はやはり言葉を介したコミュニケーションの可能性を信じたいのですが。


ホ: コミュニケーション。それがまた、厄介なんですよね。



・言葉の危うさ:レッテルと見えない壁


エ: と、言いますと?


ホ: 先生も以前、言葉によるラベリングがいかに容易く他者を傷つけ、壁を作るか、ということ(※4)を書かれていましたよね?


エ: ええ。言葉は便利な道具であると同時に、人をカテゴライズし、時に「劣等な存在」として扱ってしまう危険な側面も持っています。


ホ: まさに。その言葉の暴力性は、何も特別な状況だけでなく、日常に潜んでいる。例えば、ネット上の安易なレッテル貼りもそうですし、もっと身近な人間関係の中でも起こりうる。


エ: そうですね。だからこそ、言葉を発する際には慎重さが必要だと考えます。特に我々のように、言葉を生業なりわいにする者は。


ホ: 慎重さ、ですか。いくら慎重に言葉を選んでも、相手にどう受け取られるかは分からない。言葉が通じているようで、実は全く違う世界を見ている、なんてこともざらでしょう。


エ: それは……否定できません。言葉の限界というものでしょうか。


ホ: あるいは「ずれ」ですね。その「ずれ」が積み重なっていくと、人は孤立していく。私が描く物語の登場人物には、そういうタイプが多いかもしれません。周りから理解されず、内にこもっていくような。


エ: 確かに、先生の作品には、コミュニケーション不全からくる孤独や、内面の崩壊が描かれることが多いですね。


ホ: ええ。言葉がうまく機能しない、あるいは言葉そのものが意味をなさなくなった時、人はどうなるのか。そこに興味があるのかもしれません。



・深淵への誘い:恐怖と現実の境界線


エ: その「言葉が機能しない」先にあるもの、というのが、先生の描かれる恐怖の源泉なのでしょうか? 例えば、抗いがたい力によって精神や現実認識が変容していくような物語 (※5)には、論理を超えた恐ろしさを感じます。


ホ: 論理を超えたもの、ですかね。日常のすぐ隣にある、ちょっとした亀裂のようなものかもしれません。そこから、普段は見ないようにしている人間の暗い部分や、理不尽さが顔を出す。


エ: 暗い部分、理不尽さ。


ホ: ええ。例えば、愛着を持っていたはずのモノが、ある日突然、得体のしれない脅威に変わる、なんてことも(※6)。人間の認識なんて、案外脆いものですよ。


エ: モノへの愛着が恐怖に転じる……。それは面白い視点です。人間とモノの関係性、あるいは生命のないものにすら感情を投影してしまう人間の心理、ということでしょうか。


ホ: そうかもしれません。あるいは、大切にしていたものが、実は自分を縛る鎖だった、というような。執着が生む恐怖、とも言えるかもしれませんね。


エ: なるほど。恐怖という感情は、そういった日常の認識や関係性の揺らぎから生まれてくる、と。


ホ: 私の場合は、そうですね。超自然的な存在や派手な出来事よりも、じわじわと内面を蝕んでいくような、そういう種類の恐怖に惹かれます。読者自身の足元を揺さぶるような。


エ: 足元を揺さぶる……まさにそんな感覚です。先生の作品を読むと、自分の日常も決して安泰ではないのかもしれない、という気にさせられます。



・創作と距離感:絶望の淵で見る景色


エ: そういった恐怖や人間の暗部を描き出すことで、先生は何を目指されているのでしょう? 読者にただ恐怖を与えるだけではない、何かがあるように思うのですが。


ホ: 目指すというほど、大したものではないですが。ただ、そういう現実もあるのだ、と提示しているだけかもしれません。


エ: 提示するだけ、ですか。


ホ: ええ。無理に救いを用意したり、教訓めいたことを言ったりするのは、あまり好きではないんです。世の中、そんなに綺麗に割り切れることばかりではないでしょう?


エ: それは、そうですが……。しかし、例えば私が以前書いた、人生における埋めがたい距離感や孤独についてのエッセイ(※7)のように、そのやるせなさや距離感を認識し、言葉にすること自体に、僅かながらも救いがあるのではないか、とも思うのです。


ホ: なるほど、先生は言葉による救済を信じておられる。


エ: 信じている、というより、そう信じたい、という方が近いかもしれません。言葉によって、少なくとも孤独ではない、と思える瞬間があるはずだと。


ホ: それも一つの向き合い方でしょうね。私の場合は、その孤独や距離感を、無理に埋めようとしないのかもしれません。むしろ、そのどうしようもなさを受け入れた上で、そこから何が見えるかを描きたい。


エ: 絶望の淵から見える景色、とでも言うのでしょうか。


ホ: 絶望、というよりは、諦念に近いかもしれませんね。でも、完全に諦めているわけでもない。そういう複雑な感情自体を描きたいのかもしれません。


エ: 複雑な感情……。確かに、先生の作品の魅力は、その割り切れなさにあるのかもしれませんね。白黒つけられない、人間の深い部分に触れているような。


ホ: そう感じていただけると嬉しいですね。まあ、お互い、アプローチは違えど、この厄介でままならない世界を、それぞれの言葉で描き続けるしかないのでしょう。


エ: ええ。先生の次なる作品、そして私の次なる言葉。読者の方々が、それをどう受け止めてくださるか……。


ホ: あまり期待しすぎず、待ちましょう(笑)。本日はありがとうございました。


エ: こちらこそ、ありがとうございました。




(※1)『AIを用いるということ』

 2025年1月に脳幹まこと(評論家)が投稿した評論。

 創作におけるAI利用の利便性と、それによる表現や魂への影響、依存のリスクといった「灰色の領分」について考察する。


(※2)『デカ布団ダンス』

 2025年3月に脳幹まこと(ホラー作家)が投稿したショートショート・ホラー。

 巨大な布団ダンスに地球が収納され、人々が狂乱し続ける終末的な状況を描く。


(※3)『終末タスク』

 2024年3月に脳幹まこと(SF作家)が投稿した短編SFホラー。

「成長」という名の下にタスクを強制される人々の姿を通して、現代社会における労働や生きる意味について問いかける。


(※4)『いじめ行為におけるいじめっ子の心理状況について』

 2024年4月に脳幹まこと(評論家)が投稿した評論。

 いじめがエスカレートする心理を分析。言葉によって対象を「人でなし」と見なすことで、残酷な行為が正当化されてしまうメカニズムを論じている 。

 

(※5)『ユメ堕ち』

 2022年1月に脳幹まこと(ホラー作家)が投稿した短編ホラー。

 悪趣味な創作を続ける不気味な幼馴染「ユメ」との過去に囚われ、平凡だったはずの主人公の精神と日常が、徐々に侵食され変容していく様を描く物語 。


(※6)『器物丁重罪』

 2019年6月に脳幹まこと(ホラー作家)が投稿したショートショート・ホラー。

 モノを大切にしすぎるあまり、愛用してきた道具たちから「器物丁重罪」で訴えられる男の法廷劇。モノの視点から、愛と酷使、大切にされることの苦悩を問う 。


(※7)『印象に残らないはずのフレーズ』『人生のあまりの遠さ』『The・意識異常、ヒトリ』で構成される三部作のことを指していると推測。

 いずれも2024年10月に脳幹まこと(評論家)が投稿。過去と現在、周囲から取り残されたような孤独感、そして人生との埋めがたい距離について内省している。

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