マザー・プロトコル
杉野みくや
チャプター1 平和の陰で
第1話 日常の終わり
ここは世界初のAIによる統治を実現したスマートシティ『縦浜みらい都市』。
都市のあらゆる機能を管理する全能AI『マザー』によって、人間は次のステージへと上り詰めることができたという。バスや電車といったあらゆるインフラは自動化され、街頭広告は街行く人の趣味趣向を元に選定されたものが流れている。さらに最近はマザーと通信できるロボットも導入されはじめ、SFの世界が着実に実現してきていた。
AIと人間による真の共存都市。
そんな街の歴史を耳にたこができるぐらい聞かされてきた僕は今、大きくあくびをしていた。
「……このようにして、今の縦浜未来都市が生まれました。ただ、その後も一筋縄ではいかなかったんですね」
夏のムシムシとした気候に、聞き飽きた歴史の話。勉強には絶望的にに向いていない組み合わせだ。それを証明するかのように、大半の人はどこか上の空だ。思考を放棄して眠っている人もいれば、ちゃんと聞いているように見えて目があらぬ方向に向いている人もいる。真面目に聞いている人なんて、一部の優等生ぐらいだ。
そんなクラスメイトたちを尻目にみながら、僕はぼーっと辺りを見回した。すると、けだるい空気が流れる教室の中ででひとり、異質な姿が目にとまった。
窓側、前から三番目の席。席替え人気で上位に立つその座席で、
透き通った素肌と端正な面持ちを持ち合わせる彼女に、入学当初は惹かれた人も一定数いたらしい。ただその後、与太話に進展があったという噂は聞いていない。
また、友人と話しているところは何度か見ているが、そこでも自身については一切話そうとしないらしい。そうしていつからか、琴葉は謎の多い人という目で見られるようになった。
真面目なのはたしかだけど、なんとなく近づきがたいんだよな。
そう考えながらメガネの位置を調整しつつ、目線を電子教科書に戻した。
放課後になると、他の人は部活道具を手にしながら教室を出て行った。一方、部活に入ってない僕はまだ人通りの少ない校門をくぐり抜け、最寄りの駅に向かっていった。ただ暑いだけの平坦な道を歩くだけの、いたって平凡な時間。特に何か起きるわけでもなく、だらだら流れ落ちる汗を拭っている間に駅に着いた。
マザーの完璧な計算によって運行されている電車に乗り、定刻通りに出発。一秒の狂いもなく目的の駅までたどり着き、見慣れた駅前から家までの道を今日も歩いて行く。
帰ったら何をしよう、と考えていると、ふとその足が止まった。
(なんだ、これ?)
側溝の近くに落ちていた、見慣れない円形状のものを拾い上げる。
見たところ、何かのデバイスのようだが、画面を押してもロック画面が表示されるだけ。側面や背面を触ったり、小突いたりしてみても特にめぼしい反応は見られなかった。
脇道の植え込みにでも置いておこうかと思ったが、心の中からわずかな好奇心が顔を覗かせた。
(……せっかくだし、解析してみるか)
家に帰るとさっそくパソコンを起動させ、端末とつなぎ合わせた。一応ウィルスが入り込まれていいように古いパソコンを使ってはいるが、どうやら杞憂だったみたいだ。自作の解析用ソフトを立ち上げ、端末が接続されていることを確認してから実行ボタンをクリック。その直後、コマンド用の黒い画面に見慣れた文字列が滝のように流れ始める。
すると、先ほどまでうんともすんとも言わなかったデバイスが怪しく光り出した。
『解析を検知。セーフティモード実行。位置情報の取得を開始。この端末を持って、速やかに指定場所へ向かってください』
「おっと、本性表したか」
ここで怯むのはまだ早い。まずはセーフティモードの解除を試みるのが定石だ。さっそく、システムの抜け道であるバックドアを見つけるためにプログラムを叩いた。
「あれ?」
画面には"超絶深刻なエラー"という文言が赤く表示されていた。
「もしかして、ちょっとマズイか?」
冷や汗が背筋を伝う。
というのも、これは最もヤバいことが起きた時にしか表示されないエラーのはずだからだ。
急いでパソコンから端末を抜いたが、なおも音声は指定場所へ向かうよう連呼していた。
次に電源を落とそうと試みたが、どこにもそれらしきボタンは見当たらない。ならばと工具箱からハンマーを取り出し、思いっきり叩きつけた。しかしどういうわけか、いくら叩いても傷一つつかなかった。
いよいよどうしたものか、と次の策を考えていると、端末から発せられる言葉が突然変わった。
『警告。指示に従わない場合はマザーへの反逆とみなし、排除いたします。
「!?」
いつの間に特定されていたのか、と驚きを隠せなかった。自作とはいえ、セキュリティにはかなり気を配っているし、なんなら今使用しているこのパソコンには個人情報の類いをいっさい入れてない。それにマザーは、よほどの危険性がない限りは目をつけるようなことをしないはず。もちろん、部屋に防犯カメラはないし、窓もカーテンで閉め切っているから見られようがない。
こういうときの選択肢は二つに一つ。おとなしく指示に従うか、自分なりにあがいてみせるかだ。
少し考えた末、僕は後者を選んだ。もう一度端末を差し込み、解析ソフトにかけていく。今までに数々のハッキングをこなしてきたというプライドが逃げることを許さなかったのだ。
しかし、この選択はすぐに間違いだったと気づくことになった。
「うわっ!?」
端末とパソコンをつなぐケーブルに突然、はっきり見えるほどの青白い電流が流れたのだ。大量の電気を流し込まれたパソコンの画面は真っ暗になり、焦げ臭いにおいを放ち始めた一方で、端末の方は相変わらずうるさい警告を発し続けている。
「はあ。行くしかないか」
ため息をつきながら立ち上がり、端末を持って家を出た。家族には「友達とご飯を食べてくる」と適当に理由をつけた。
指定されたのは、街の外れにある住宅街の裏通り。陽はすっかり沈み、代わりに街頭と警備ドローンの明かりが夜道を照らす。夏の生ぬるい風をうっとうしく思いながらたどり着いた場所は、辺りよりもいっそう薄暗い路地裏だった。
「ここでいいのか?」
そう問いかけるも、返事はかえってこなかった。その後も何度か呼びかけたが、壁に当たって反響する自分の声しか聞こてくることはなかった。
(これ以上は付き合ってらんないな。端末だけ置いて早く帰ろう)
そう考えて身をかがめた瞬間、背後に人の気配を感じた。
「!?」
気づいたときには、鈍い痛みが後頭部に走っていた。視界が遅れてぐらっと歪む中、後ろを振り返ろうとしたところでもう一発。今度は重い何かが後頭部を直撃する感覚を覚えた。
意識が飛ぶ寸前、長い髪らしきものをなびかせる人の姿が見えた気がした。
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