第2話『止まったボール』



 


 空は、錆びついたゴールポストにもたれかかっていた。

 日が傾き始め、空は茜色に染まりつつある。

 湿った土のにおいが鼻をかすめ、虫の声がちらほらと響く。


「パス行くぞーっ!」


「よっしゃ、受けろ、拓海!」


「ばか、トラップミスんなよ!」


 少年たちの声が飛び交う。

 ボールを蹴る音、地面を踏み鳴らす足音、そして笑い声。

 この青嵐学園サッカー部には、強豪校で聞いたような緊張感はない。

 代わりにあったのは、むきだしの"好き"という感情だった。


「……ぬるい」


 空はぽつりと呟いた。

 すぐに、その声を拾った奴がいた。


「なんだと、今、ぬるいっつったか?」


 肩で息をしながら、ひとりの男子が近寄ってきた。

 小柄だが、目だけはギラギラと闘志を燃やしている。


「お前、口だけ達者なんじゃねえの? 転校生サマよ」


 挑発するように、サッカーボールを足元でコロコロと転がす。

 空は軽く睨み返したが、立ち上がろうとはしなかった。


 そこへ、大地陽翔が間に割って入る。


「おいおい、ケンカすんなって。な、翼」


「だけどよ、キャプテン! こんな奴がチームメイトとか、俺、認めたくねえんだよ!」


 翼――鷲沢翼(わしざわ つばさ)は、声を荒げながらも目を逸らさなかった。

 彼のスパイクはすり減り、ソックスには破れた跡がある。

 でもその姿からは、どこか必死な熱がにじみ出ていた。


「……別に、チームになる気もない」


 空の低い声が、さらに翼を煽った。


「だったら帰れよ!」


 翼がボールを蹴りつけた。

 ボールは砂ぼこりを巻き上げながら、空の足元へ転がる。


 ピタリ。


 空の右足が、自然にそのボールを止めた。

 何の力みもなく、まるでボールが空の足に吸い寄せられたかのように。


 それを見た翼も、陽翔も、そして遠巻きに見ていた部員たちも、一瞬息を呑んだ。


 空は、無言でボールを少しだけ前へ押し出す。

 そして、身体を軽く沈め――ふわりと浮かせた。


 リフティング。

 なめらかなタッチ。

 ボールは空の足先で踊り、しなやかに宙を舞う。


 一度、二度、三度。

 回転しながら、ボールはまるで生き物のように動き、空の周りをぐるりと回った。


「……マジかよ」


 翼が、思わず声を漏らす。


 空はリフティングを止め、ボールをストンと地面に落とす。

 砂埃が静かに立ち上がる中、空は言った。


「……こんなグラウンドでも、ボールは生きてる」


 その言葉は、誰に向けたわけでもなかった。

 ただ、少しだけ――空の心に、風が吹いた。


 


 ◆


 


 その日の練習後。

 陽翔は、部室で缶ジュースを二本取り出し、空に一本を差し出した。


「ほら。今日、ありがとな。ってか、やっぱすげーな、お前」


「……別に、ありがたがられることしてねえよ」


「いや、でもさ。あの一瞬で、みんなの目が変わった。お前のおかげだよ」


 陽翔はニカッと笑った。

 彼の笑顔は、どこまでも真っ直ぐで、どこか子供っぽい。


「俺ら、本当に下手だし、設備も最悪だけど……それでも、県大会、行きたいんだ」


「……本気で?」


「本気だ。バカみたいに、本気」


 空は、缶ジュースを無言で受け取った。

 プシュ、と開ける音が静かな夕暮れに響いた。


「……いいよ。ちょっとだけ、付き合ってやる」


「……マジで!?」


 陽翔は目を輝かせた。


「ただし、俺のペースでやる。中途半端な奴は知らねえ」


「上等だ! こっちこそ、全部受け止めるからな!」


 ガシッと握手を交わす二人。

 それは、まだ頼りないながらも確かな、チームとしての第一歩だった。


 空の胸には、かすかなざわめきがあった。

 止まっていたボールが、ほんの少しだけ、また転がり出したのだ。


 そして、この出会いが――後に、青嵐学園サッカー部の伝説へとつながることを、今はまだ誰も知らない。


 


 ──次回、第3話「始動!青嵐リスタート」へ続く。

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