第6話 俄雨
雨が降ったら一緒にいてくれる佐々木雨。梅雨が明けてから晴れの日が続いてあまり会話をすることができていない。
夏休みの夏期講習で登校しても、話しかけないでってオーラを感じるのでおはようって声をかけるくらいだ。それに対しても「うん」って素っ気ない短い返事が返ってくるくらいなので徹底しているなと思う。雨が降っていないと僕に興味がないみたいな態度を取られることに苦笑いする。
仕方ないのでなんて言ったら叱られるけれど夏休みは他の友達と色々約束をした。雨が降ったらなしでと付け加えるのを忘れずに。
講義が終わった後の教室で男ばかりで町営プールに行く約束や夏祭に行く約束をした。
「大地は彼女を放っておいていいのかよ」
そんな風にからかわれたけれど、
「僕の方が放っておかれてるんだよ」
と笑い飛ばした。
「なんだそれ」
と聞いてくる友人に、別の友人が
「佐々木ちゃんは変わってるからね。機嫌が悪いと大地の事相手にしないんじゃないかな」
と追い打ちをかけるような説明をしてくれる。
「良く分からない。倦怠期か」
また別の友人に更にとどめを刺されたような気がする。
「要は佐々木ちゃんの機嫌がいいとラブラブで、機嫌が悪いと見向きもされないってことだよ。大地はそれに振り回される役目」
フォローしているつもりなのか貶しているつもりなのか。いずれにしても僕のことをおもちゃにしている感じだ。でもまあ、事実かと思うので腹は立たない。少し落ち込むけれど。
「だったらいいじゃん。羨ましいよ。機嫌がいい時があるんだろ。俺らは女子には常に見向きもされないわけで」
なんだろう。この下を向いた議論。どっちが下か競い合うような不毛な感じ。
「つまり、僕らは大地以下ってことだね。モテない団。地下組織結成だ」
わけのわからない結論が出てその日はお開きになる。
夏期講習に出て、図書室で時間を潰して、友達とバカ騒ぎして。そんな間にもずっと雨を待って。
こんなに焦がれているのになかなか雨は降らない。家に帰ってから僅かな時間さっと降ることはあるけれど、雨の家に向かう間もなく降りやんでしまう。おかげで友人たちとは楽しく夏休みを過ごしているような気がするけれど、やっぱり物足りない。
そんな風にしているうちに八月に入った。夏期講習が終わり登校する必要はなくなったけれど、ひょっとしたら雨が降るかもと思って休み前に雨に言ったとおり、図書室に通うことにする。
朝のニュースの後の天気予報に「所によりにわか雨」の言葉を確認して、今日こそはと登校して、降らなくてがっかりして帰るなんて日を何日か繰り返した。
おかげで夏休みの課題は順調に進んだ。図書委員で文芸部の友人が同じように図書室通いをしていて、お薦めの詩集なんてのを教えてくれたので何冊か読んだ。詩は短いから息抜きに丁度良かった。壮大な詩を読んで圧倒されたり生きることの意味を問う詩を読んで我が身を振り返ってみたり。これまで国語の授業でしか詩を読んだことが無かったけれど、試験みたいにこれは何を言っているかと問われることが無いので感じるままに染み込んでくる言葉が心地よかった。
詩は雨に通じるものがあるな。そんなことを考えて苦笑する。正解は何かを考えるような接し方もできるけれど、難しいことを考えずありのままを感じるような接し方もできる。自然に染み込むように僕を潤してくれる。
ひょっとしたら今なら素晴らしい詩を書くことができるんじゃないか。そう閃いて図書室でノートに向かう。心の赴くままに細切れのフレーズを書き込んでいく。詩の体裁にすらなっていないけれどどんどん書き殴っていく。
気が付くと誰かに見られたら悶絶することになりそうな恥ずかしい言葉の数々がノートにしたためられている。冷静になって読み直してみると残念ながら僕には詩作の才能はなさそうだということがよくわかる。まあ、いきなり人に見せられるような詩が簡単にできるわけはないかとも思う。こんなところを見られたら恥ずかしいけど何かすっきりした気持ちになる。誰かに褒めてもらうために書いたわけじゃない。共感を求めたわけでも無い。ただ素直に今の気持ちを書き連ねただけだ。自分の気持ちを吐き出すって、こういう形もあるんだななんて考えてノートを鞄に仕舞う。
些細などうってことのない気付きや道端でのちょっとした感動なんてものを雨に聞いてもらえていないからノート二ページにわたる様々な言葉たちはこんな風に形になることになったんだ。言葉たちにとってはどちらが幸せなんだろう。
言葉は本来コミュニケーションの道具だから、僕の気持ちを誰かに伝えるためにあるような気がする。例えば雨に僕のことを知ってもらうため、雨のことを教えてもらうために言葉を使うような気がする。でも一方で言葉なしの思考なんてのもあり得ないような気もするので、自分自身に向かって発する言葉って言うのもあって良いと思う。誰かに語りかけて返ってくる言葉も、自分自身に投げかけて心を小さく揺らす言葉も、目的が違うだけでそれぞれに役割を果たしているのかもしれない。
残念ながら今日も日中に雨は降りそうにないので家に帰ることにする。美術室に雨はいるかなと気になりはしたけれど、確認するのは女々しいような気もするのでそのまま家に帰る。
外は日差しが強く、蝉の声が賑やかだ。賑やかと思うかうるさいと思うかで日々の暮らしやすさが変わるような気がするのは気のせいだろうか。賑やかと思うのはまだ心に余裕があるからだと思うことにする。
夕方急に空が曇ってきて夕立が来るかなと思ったのでフライングだけど傘を持って散歩がてらに雨の家に向かう。僕はどれだけ雨を待ち焦がれているのだろう。
残念ながら雨の家の近くに来ても降り始めない。今にも降り出しそうな空なのに。恨めしい気持ちと今日はそんな日かと思う気持ちが半分半分。諦めて帰ろうとすると雷が鳴った。ぽつ、ぽつ、ざー。待望の雨が降り始める。
傘をさして雨の家のチャイムを押す。しばらく待つと雨が玄関先に顔を出す。
「大地、本当に来たんだ」
雨が笑っている。
「すぐあがっちゃうよ」
からかうように雨は続ける。いろいろ話したいことがあった気がするけれどどうでも良くなった。
「約束だから我慢してた。ずっと話をしたいと思ってたんだ」
正直に焦がれていたことを伝える。
「何を話してくれるのかな」
おどけた感じで雨が言う。
「いろいろ話したいことがあった気がするけどほとんど忘れた」
情けないことを口走る。
「会わない時も結構雨のこと考えてた。四六時中ってわけじゃないけど」
呆れられるかもしれないけれど取り繕うことはしない。僕の嘘は雨にはバレると思うから。
「そこは嘘でもずっと考えてたって言わないと」
雨はそんなことを言うけれど、そう言ったらきっと「嘘吐き」と切って捨てる癖にと思う。相変わらず気まぐれだけど、相変わらずだから少し安心する。
「ほら、僕は正直だから」
こちらもおどけて道化師のように微笑む。
「雨と会えることって本当に幸せなことなんだなって思うよ」
今日の僕は正直だから。ノートに気持ちを書いたのは正直になる練習だったのかもしれない。
その後、雨の家の玄関先で降りやむまでとりとめのない話をした。やがて雨足が弱まってきて、
「そろそろ時間切れだね」
と雨が呟く。
「また、俄雨を待つよ。降ったら会ってくれるんでしょ」
僕は次の約束を取り付けようとする。
「俄雨を待つってなんか変な感じ。予期しない私のイメージがあるからかな」
終始雨はご機嫌だ。
「おかしくてもいい。まあ、俄雨じゃなくていいけど。また、次の雨の日に」
そう言ってお暇することにする。降らない時があるから降った時の喜びがある。
僕も雨と会えて機嫌が良かったから、「俄雨を待ってもおかしくない」なんて呟きながら家路を辿った。
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