第十話 それでも世界は廻ってる。

 

 遂に帰還者達が戻ってから一ヵ月の時が流れた。


 元の決まりではこの日に様々な手当てが無くなり、世間に放り出されてしまうようになっていたのだが、身柄を預かっている千代田市環境保安部が上―上司ではなく政府―に掛け合ってくれたお陰で彼らは都合三ヵ月の猶予を得て生きる術を学んでいる。

 とはいえ、黙々と努力を続けている者はごく少数で、生存者二十四名の半数は遅々として進まない状況にあった。

 その中のまだ半分は仕方がないと言える。

 余りに重傷であった為、想定していたより回復に時間を要してしまっているからだ。

 医療チームには《回復》系スキル持ちがおり、初期の治療も迅速であったのだが何せ人手が足りなさ過ぎた。

 百年前ならいざ知らず、現代の日本にはそんなに多くの医療従事者は存在していないのだ。


 だが意外にも、そんな重傷者の中にも前向きに生きようとする者もいて、まずは身体を治しつつ現代知識を得ようと病室で講義を受けたり本を借りたりして頑張っていた。

 海鳴もそういった前向きな姿勢の者には心を砕くようで、時には仕事の合間に顔を出して講義を手伝ったりもしている。

 冷静に考えれば、戸籍上は死亡扱いとなっている上に近親者と連絡を取る術もない根無し草なのだ。

 一応、戸籍謄本から調べて血縁関係者の住所が分かった者もいないではないが、間に挟んだ時間が大き過ぎ、先祖と子孫と言っても差支えが無いほど縁が遠い。

 流石に連絡を取れたとしても、双方とも赤の他人としか思えまい。


 身元引受人になれる人間がい無い以上、彼らの立場は"無宿人"なのである。

 病室にいて何もできないからこそ、考える事が出来たのかもしれないが、兎も角彼らは心証を害するという事が、如何に自分にとって不利に働いて行くのか気付く事が出来ていた。


「今日からよろしくお願いします。」

「よ、よろしくお願いします。」


 と、ペコリと頭を下げる二人。


「あ、ハイ。よろしくお願いします。」


 そんな二人に対して、こちらもぺこりと二つ頭を下げた。

 達己が一ヵ月目にして初めて対面する同期の者災害被害者である。

 頭を下げるお辞儀という礼儀が染みついているのはやはり日本人たる由縁か。

 一人は三~四十と思われる働き盛り男性で、背は高そうだがあまり運動が得意では無いように思われる。

 頭は丸刈りだがそれは治療の為剃られたという。実際、包帯が痛々しいが、元々髪が短かったから逆にすっきりしたとの事。

 もう一人は大学生か新社会人だったであろう年頃で、髪を三つ編みに纏めて肩に垂らした落ち着きを感じる女性だ。


 男性は、服部。この時代的に明記するなら風馬ふうま服部はっとり。因みに、本名らしい。所謂キラキラネームだ。

 女性の方は花梨かりん大友おおとも

 この二人が本日から午前中の座学に加わる事となった。


 ――のだが、この二人。声の調子に反して治っているとは言い難い。

 何しろ二人とも車椅子で登場しているのだ。

 風馬は右大腿骨の複雑骨折と左脚の粉砕骨折。花梨に至っては腰椎と骨盤に酷いダメージを受けていたらしい。

 治療が素早く、適切であったが為に回復不能から脱却してはいるものの、全治までは程遠い。

 それでも車椅子が必須とはいえ、もう自力で移動が出来るほどまで回復しているのは驚かざるを得ない。

 花梨も風馬も自分の肉体が壊れてしまっている様を、痛みと出血で意識が朦朧としながらも目にしていた。

 だからこそそれらを回復させられたスキルというものに心底感謝し、重傷者たちの中でもいち早く実習に参加する事が出来ているのだ。


「でも、大丈夫なんですか?

 絶対安静とまではいかなくても、動くと拙いんじゃ……。」


 と、達己が心配して疑問を口にしたが、


「いえ、これなんですが傷はとっくに塞がってますし、骨も既に繋がってるそうなんです。

 確かに下手に動かすと痛むんですが、これがまた所謂幻痛らしくて。」

「いやぁ……両脚が壊れた人形みたく別々の方向にひん曲がってたんスけど、これが治っちまうんだから笑いましたわ。」


 えらく元気な返答が戻ってきた。

 話によると、スキル使用による治療には稀にこういった現象が起こるという。

 何でも自然治癒を凌駕する速度で治療が進む為か、神経が回復速度についてこれないといった不具合が起きるのだという。

 要はそれほどの重傷であったという事なのだが、それを回復させられるスキルとはやはりとんでもない能力である。

 だが何にせよそのお陰で、スキルという未知の力を使う事に対する戸惑いもなく、折角得たものなのだから積極的に使っていこうという張り合いが出来たようだ。

 それに多くの者が躓いている前時代に対する未練等も、


「自分、やってた店がつぶれた直後だったんで未練無いっス。」

「私は辞表叩きつけに行く途中でした。課長に嫌味言われずに済みました。」


 二人してからから笑えるくらい思い残したものが見られない。

 考えてみれば、ここに飛ばされる直前の情勢はお世辞にも好景気とは言えなかった。

 そのあおりを喰らった風馬と、真っ黒職場でパワハラセクハラで苦しんでいた花梨は、環境が一変した今の方が気楽なんだそうだ。

 あぁ…成程なぁ、と達己は納得した。

 何しろ自身も過去を切り離した方がずっとマシなのだ。気持ちは分かる。


 確か千金の方は、肉親だった祖母が亡くなってからは一人暮らしとなった為、大切な人が既にいなくなった前の時代に未練はないと言っていたのを思い出した。

 だったら両親はどうなんだ? という疑問が無い訳ではないが、彼女があえて会話のネタにも挙げてこないのにこっちから突っ込んで聞くほど達己は野暮ではない。つまりはそういう関係だったのだろう。

 それこそ正に


 兎も角、そんなこんなでとっとと以前の生活に見切りをつけているこの四人がここに集められ講義が行われるという形に落ち着いたらしい。

 ひょっとして冷たい人間の方がこの時代に合っているんではと邪推してしまう。

 達己はそれはそれで如何なものかと思うのだが。深く考えないようにした。


「まだ手足の強張りとか残ってるんで、不思議生物の駆除とかできるまでもうちょっとかかりそうです。」

「いやぁ…以前のアライグマやらカラスやらに悩まされた時が嘘みたいっスね。

 仕留めても怒られないんスから。」


 ヤる気に躊躇いが見られない。

 風馬はゴミ捨て場を荒らされていたらしく、害獣には恨み骨髄らしい。

 ある意味頼もしいとも言える。


 流れ的に全員が駆除する仕事に偏向している気がしないでもないが、一応これでも相性を考えて振り分けられているらしい。


「元は事務方だったんですけど、今の時代って表計算ソフトを半泣きで覚えた意味が無いんですよねー。」

「あー…そっかPCが使えないんだっけ。」

「というより、あるにはあるらしいですけど一般人には意味不明と言うか……。」


 実は花梨の言うように、一応あるにはある。

 にアメリカが発表したNew Eniacというコンピューター黎明期のものを復刻させたという代物だ。

 尤も、その後は各国との交流が立たれて詳しい情報は不明であるが、現代の環境からすれば計算以外に使用できない事だけは間違いないだろう。


は未だ先が見えてないわねー。

 使われたとしても計算尺か手回し計算機。それ以外は算盤か暗算が主流よ。」


 明るく講師役の桂がそう合の手を入れると、四人はぴたりと会話が止まり、彼女が首を傾げているのを眺めつつ、揃ってああ~……と脱力した。

 というのも、四人はワープロソフト的な話をしていたのだが、桂からしてみればそれもコンピューターハードの範疇らしく、まだ世間にソフトとハードの概念が戻って来ていないと分かってしまったからだ。

 無論、桂も完全に技術が失われてから生まれた世代であるから、ある意味し方のない話なのかもしれないが。


「やっとブラインドタッチに慣れてきたのにぃ…。」


 引き摺る訳ではないが、OLをやっていた花梨としては思う事が多そうだ。

 しかし例え事務職に就けたとしても書類計算は必須。

 書類整理等も手作業に逆戻りしている。

 となるとやはり便利なのが計算機なのであるが……この時代には電子卓上計算機などという文明の利器はない。

 桂が言うように機械式計算機や計算尺は比較的容易に入手できるし、便利には違いはないのだが、流石に使いこなすのにそこそこ慣れがいる。

 即戦力が求められる現場に対し、一から使い方教えてくださいは御遠慮願いたいだろう。

 というより、日本人なら一度くらいは算盤に触れる機会があるので、どう考えても算盤を選ぶか筆算の方がまだマシなのではなかろうか。


 閑話休題それはさて置き――。


「さて、人数が二人増えた事だし、ちょいと詳しいお話をかかる事にするよ。

 大まかに過去の事件の事は聞いてるだろうけど、もうちょっと詳しくね。」


 そう切り出した桂はペンを取ってホワイトボートに文字を書き始めた。

 四人はその動きを黙って見守る。

 背後の真面目な視線を感じ、桂は内心胸を撫で下ろしながらも作業を続けた。


「まず、日本は今日まである程度話を聞いてただろうけど、安定はしてる。

 たま~に性質の悪い悪漢が出ない事もないけど、それらは挙って討伐される。

 以前はどうだったかしらないけど、現代では信賞必罰。

 人の道を踏み外した犯罪者に人権はないの。」


 警察と環境保安部の文字が書かれ、丸で囲む。


「あたしら環境保安部と警察にその権限があって、場合によっては……。」


 無言で首元を指先が横に引く。

 内心、『ワァ…。』と呆れたような声がもれる。


「そりゃ、刃物とか凶器持ってる犯罪者ならぶっ倒すだけでいいけど、問題はスキルホルダーが相手だった場合。

 キ印刃物のお手本みたいな事になるの。だって能力だから押収できないし。」


 刑務所に入れようと武器が手元にある訳だから当然暴れるし、何だったら脱獄だって犯す。

 更生可能か否かは現場の判断に頼るという曖昧極まりないものだが、そうまでしないと世論が納得しない。

 昔とは違い、民意が重犯罪者は厳罰にせよの方向に傾いているのだ。


「まぁ、刑法やら罰則等は各々調べるなりしてもらうとして、話続けるね。

 で、他の国々の話になるんだけど……大体どこの国も同じく刑法は重めになってるハズなんだけど……。

 ここ四半世紀くらいそれぞれ鎖国状態になってるからよく分かんないんだよね。コレが。」


「……は?」


 呆けた声が重なった。

 いや世界ともなると規模が大きくなるだろうなとは思ってはいたのだが、別ベクトルに規模が向いてしまったのだ。


「五十年前、最後のが途絶してからこっち、信号を使ったり人間送ったりしてたんだけど、二、三十年くらい前に遠洋航路が使えなくなっちゃってさ、完全に途絶えちゃったの。

 因みに、日本海側もメチャクチャに荒れてるから行き来は無理だよ。」


「それって事実上孤立無援じゃ……?」


 千金がそうポツリと呟いた。


「つか、現代の日本は自給率100%だよ。

 ダンジョンの恩恵がモロぶち当たったの。」


 達己らは今日まで飲食をしているし、歯ブラシや歯磨きも使っている。

 それらの原材料ともなると国内だけで賄えるとは考え難い。いや、率直に言って不可能だ。

 だが、そんな帰還者達の困惑を見ても、桂は軽く微笑みを浮かべたまま、


「日本っていう閉鎖した島国って環境にも救われたしね。

 あと、状況の変化の順番が噛み合ったってのも大きいかな。

 それでも比較的マシ、ってだけだったみたいよ?


 何しろ最後の世界統計で、。」


 と――凄まじい爆弾を投下したのだった。

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