キルドーザー

@oioioi30

第1話アルバート

西暦2300年1月2日。

日本が移民を大量に受け入れ技術革新を行った未来


太陽に似せた恒星光フィルターが都市を包み、メガロポリスの空には昨夜のドローン花火の残光がまだわずかに揺らめいていた。

光の粒子は風に乗ってゆっくりと消え、まるで祝祭の名残が空に溶けていくかのようだった。


都市は透明な光に満ちていた。空を流れる軌道エレベーターの支柱が朝陽を反射し、幾何学的な影をビル群に落とす。エアカーが編隊を組んで飛行し、彼らが生む流線が大気を優しく揺らす。遠くでは、スカイパークの人工森林が夜間の蓄光でほのかに光り、都市の眠りを惜しむように咲いていた。


ホログラムで演出された正月飾りが、街角にふわりと浮かぶ。バーチャルの門松や獅子舞、晴れ着姿のアバターたちが、通りを彩っていた。

人々はリアルでも、バーチャルでも、思い思いの場所で新年を祝っていた。

家族と過ごす者、恋人とリンクして乾杯のジェスチャーを交わす者、知らぬ誰かとイベントサーバーで踊る者――すべての繋がりが、光とデータで再構成されていた。


都市の高層層――空に近い場所では、光は柔らかく、人々の表情を照らしていた。スカイカフェで朝のモーニングを楽しむ若者たちの笑い声が、静かに空へ溶けていく。グラスの水面には、光が反射し、音もなく揺れる。


その一方、地上近くの影の層でも、新年は静かに流れていた。

まだ薄暗い低層の通勤区画。自律制御された亜光速通勤列車の中、乗客たちは席に深く座り、脳内で今日の予定を確認していた。どの顔にも疲労と沈黙、そして慣れが張り付いていたが、誰もがこの日を、それぞれの形で始めていた。


働く者にも、遊ぶ者にも、祝う者にも、静かに日光は降り注いでいた。

2300年、人類はそれぞれの時間を、それぞれの方法で“生きて”いた。


――そんな中、ひとりの男が、椅子に拘束されていた。


場所は、トーキョー第三区・中央治安局地下尋問室。


尋問室の白い照明は無機質で冷たく、まるで感情を拒むように天井から降り注いでいた。

男の手首には、未来的なデザインの拘束具。強化プラスチック製の白く滑らかなそれは、肌に食い込むことなく、しかし絶対に逃がさないよう設計されている。

拘束中を示す赤いランプが、沈黙の部屋に規則的なリズムで点滅していた。


尋問官は、制服の襟元を整えたまま立っていた。

高層区で育った人間特有の無表情と、情報分析に特化したニューロ補助デバイスの鋭い目。彼の声には感情の波がほとんどなかった。


「……そろそろ話してもらおうか。君が共犯である証拠は、すでにいくつか上がっている」


男は黙ったまま、顔を伏せていた。


「無駄に口を閉ざしても、意味はない。アルバート・ディバイドが何をしようとしていたのか——それを知っていた人間が、君以外にいるとは思えない」


警官の声が静かに、だが確実に圧を増す。


それでも男は目を伏せたまま、動かない。


「……記憶ログを提出してくれれば、話は早い。違法ではあるが、君が協力的であれば、内部的には処理できなくも——」


「できないよな」


その一言で、尋問官の眉がわずかに動いた。


男はゆっくりと顔を上げ、赤い拘束ランプの反射が混じるその目で、まっすぐに相手を見た。


「お前らが、そんなリスクを取るわけがない。職を失ってまで、俺一人のためにルールを曲げるか? ……まあ、無理だ」


尋問官は口を閉ざした。男の言葉が図星だったのだろう。


男の目には、微かに自嘲めいた光が宿っていた。

彼は、軽く肩をすくめる。


「さっきから言ってる証拠ってのも、どうせブラフだ。尋問手法はこの数百年、変わってねぇ」


再び沈黙。


そして次の瞬間、男はふっと笑みを浮かべた。

それは、思い出に触れた時にだけ見せる、どこか遠い場所を見ているような笑顔だった。


「いいさ。話してやるよ。あいつが……アルバート・ディバイドが、なぜあんなことをしたのか」


尋問官の視線が、わずかに鋭くなる。


男は深く息を吐いた。そして語り始めた。



「……奴との出会いは、カブキシティだった」


それは、まだ世界が“平和”の名の下に沈んでいた頃。

西暦2282年、トーキョーメガロポリス第七区域。日本政府公認のスラム、カブキシティ。


高層区の人間は“管理不能区域”と呼ぶ。

だが俺たちにとっては唯一の安住の地だった。


ネオンの光だけが夜を照らし、通りには違法屋台と電脳ドラッグの甘い匂い。

歩けば地面はぬかるみ、ドローン警備は形だけ。

生きることが「闘争」そのものだった。


あの夜も、バーのカウンターで、俺は安酒をなめていた。

バイトはクビ、所持金は数クレジット。EUから流れてきた移民に、まともな生活は与えられない。

希望なんて幻想だと、とうの昔に知っていた。


その隣にいたのが、奴だった。

アルバート・ディバイド。のちに世界を揺るがす名前。


「聞こえたか!? 俺は絶対にビッグになるんだ! プール付きの豪邸に住んで、美女と結婚して、スーパーカーを10台並べてやる!」


彼は夢を語っていた。酒に酔いながら、まるでそれが当然の未来のように。

その声はあまりにも眩しく、あまりにも遠かった。


だから、俺はつい、口を滑らせてしまったんだ。


「この世界はクソだ。俺たち底辺は、一生這い上がれずに歯車として死ぬだけだ」


ピタリと、奴の声が止まった。

そして椅子が音を立てて倒れた。


「……今、何て言った?」


怒りで立ち上がったアルバートが睨んできた。

けれどその目には、単なる怒りだけじゃない、何か強い意地のようなものが宿っていた。


俺も、その頃はクビになったばかりで、イライラしていた。

EU難民。差別され、見下され、未来もない俺たち。

──だから、あいつに喧嘩を売った。


最初の一発で、アルバートは吹き飛んだ。

なのに、奴は笑った。


「こんなの、ぜんっぜん効かねぇ!」

歯を食いしばり、血だらけの笑顔で、また殴りかかってきた。


──何度倒しても、何度叩き伏せても、諦めない。


アルバートの拳が、やっと一度だけ、俺に当たった。

俺もアルバートも、その場に崩れ落ちた。


「見たかよ……!」

地べたに転がりながら、アルバートはへらへら笑った。

その顔は痛みでぐしゃぐしゃなのに、眩しいくらい真っすぐだった。


「諦めなければ、夢は叶うんだ! 強い奴だって、絶対に倒せる!」


だから、自然に口から出た。


「……お前の夢を、侮辱して悪かった。俺はマーフィ・モールド。お前は?」


アルバートは、満面の笑顔で答えた。


「アルバート・ディバイド! 名前からしてEU難民だろ、お前も! よろしくな、兄弟!」


「……許すのか? 殴ったことも、言ったことも」


「一発殴り合ったら、そいつはもう兄弟だ!」


バカみたいに明るい声だった。

俺は、思わず笑った。気がつけば、二人で安酒を酌み交わしていた。




男は、再び静かになった尋問室に視線を戻す。

尋問官は、表情こそ変えなかったが、その目にはわずかに緊張の色が浮かんでいた。


「……あれが、すべての始まりだった。

あの夜、あの拳、あの夢。

アルバート・ディバイドは“正真正銘のバカ”だった。

でもな、バカほど強くて、眩しいんだよ。世界を変えるくらいにな」


男の声は、静かだった。

だが尋問官はもう、完全に黙っていた。

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