スローステップファミリー 〜二度目の異世界転移は静かに暮らします〜
shinobu | 偲 凪生
第一話 二度目の異世界転移をしてしまいました
§
わたしには誰にも言えない秘密がある。
実は高校二年生のとき、異世界で冒険をしたことがあるのだ。
何故か魔法が使えたわたしは魔法使いとして困っている人たちを助け、やがてパーティを組んで魔王を倒した。凱旋パレード中に突然元の世界に帰されて――今に至る。
今。三十歳になったわたしは、しがない会社員だ。
子どもの頃の大冒険が遠い夢物語のよう。
このまま日本で慎ましく生きていくのだろうと思っていた。
思っていた、のに。
「まさか」
わたしは目の前の光景が信じられず瞬きを繰り返した。
だけど景色は変わらない。
ヨーロッパ風の街並み。地面はアスファルトじゃなくて石畳。
どこかどんよりとした空の色。
吹く風はどこなく乾いている。
歩いているのは人間だけじゃない。エルフや獣人もいて、ここが日本でもヨーロッパでもないことは明らかだった。
慌ててわたしはスーツのポケットを探る。
「ない……スマホ……」
さーっと血の気が引いていく、ような気がした。
数分前までわたしは日本の、勤め先の会社のオフィスにいて。
壁時計は午後十時を回っていて。
フロアにはわたし以外誰もいなくて。
なんとか報告書を仕上げて、さて帰ろうと背伸びをした。そこまでは覚えている。
――どうやらわたしは再び異世界ことヴェリヒトに来てしまったらしい。どうして!?
行きかう人々(以外)がちらちらとわたしを見てくる。
わたしがスーツ姿で石畳に座り込んでいるからだと思う。
スーツなんて着ている人間はどこにもいない。珍しい服装に見えるのだろう。
視界のなかで一番目立つのは大時計。
記憶を辿る。ここはどこかの商業都市だろうか。
いや、そもそもわたしが最初に
前回元の世界に戻ったときは一時間も経っていなかった。
ということは時間の流れはイコールではないはず。
昔の知り合いに再会できたら、ある程度話は通ると思うけれど……。
「クルミ?」
ハスキーな女性の声が頭上から降ってきた。
影が差す。
わたしは振り返り、見上げて、ぽかんと口を開ける。
女性が栗毛の馬に乗っているのが、見えた。
「本当にクルミなのか? どうしてここに」
彼女はまるで信じられないものを見ているかのような表情をしていた。
そしてわたしはそんな彼女のことを知っていた。
「……ハイデマリー?」
ハイデマリー・ゲーアハルト。
麗人の魔法剣士として国民から人気の高い、わたしの元仲間。
ハイデマリーは軽やかに地面に降り立った。
ショートカットの金髪にアメジストみたいな色の、切れ長の瞳。
軍服みたいな装いがすらりとした長身によく似合う。
「はは。その声は確かにクルミだ。またヴェリヒトへ来てくれたのか」
「わたしにも何が何だか分からないの。あれから何年経った? 皆は元気?」
「パレードの最中に君が消えてから十三年が経った。皆、息災だよ」
わたしはちょっとだけ安心した。
十三年、ということは元の世界と同じだけ時間が経っているということ。
目の前のハイデマリーも相応に歳を取っているようにも……見えなくはない。美人すぎてよく分からないけれど。
「このままでは目立つ。服を用意しようか」
「あっ、ありがとう。無一文だしお世話になります……」
「仲間のよしみだ。気にしてはいけない」
ひゃっ。凛々しくてかっこいい!
わたしがハイデマリーの眩しさに目を瞑ると、どうやら周囲にも被弾したようで黄色い悲鳴が聞こえてきた。
§
クラシカルで若干重ためで、裾の長い、ボルドーのドレス。
日本だったら絶対に着られないような装いとなったわたしは、髪の毛もまとめ髪スタイルにされてしまって、それっぽい見た目となった。
洋裁店で、ハイデマリーはわたしの頭のてっぺんからつま先までを見て、少しだけ不満げに頷いた。
「似合っている。しかし、本来ならば採寸して仕立てるべきなのだが……」
「いやいやいやいや! そんなのは大丈夫だから! 採寸しなくてもぴったりだし!!」
今から仕立ててもらっても日が暮れてしまうし。そんなお高い物、買ってもらう訳にもいかない。
それから。
わたしは今、ハイデマリーと一緒に、箱馬車に揺られていた。
ハイデマリーは褒賞として辺境の地を与えられて、伯爵となったそうなのだ。
今日はたまたま商業都市ゲシャフへ来ていたらしい。
たまたまハイデマリーがいてくれたことでわたしは何とかなったので、とても助かった。
「国王へは報告を入れる。恐らく、十三年ぶりのクルミ帰還記念パレードが開かれるだろうな」
「待って! それはちょっと!」
わたしは全力で拒否した。
「どうしてヴェリヒトへ来たのかまだ理由も分からないし、一旦、静かに過ごしたいんだ」
「そうか。クルミがそのように希望するのであれば無理強いはしない。しばらくは私の館で客人として過ごすといい」
「……ありがとう。すごく助かる」
わたしは深く深く頭を下げた。
ハイデマリーに頼ってしまうのは申し訳ないけれど、他に方法もなく。
転移の理由が分かったら、そのときは出ていこう、と考える。
「我が家も賑やかになるだろう」
「そういえばハイデマリーは今、誰と暮らしているの?」
元々彼女は孤児で、魔法と剣の才能を見込まれて富豪の養女になったと聞いている。
「子どもが二人いる。双子の姉弟で、今年で十歳になる」
「へぇー。って、えぇぇぇぇぇえ!? ハイデマリーの子ども!?」
「声が大きいよ」
ハイデマリーが愉快そうに微笑んだ。
「双子なのに性格が真逆で見ていて面白い。自分の子なのに不思議だよ」
「わぁ……」
コメントが思いつかない。あのハイデマリーに子どもがいるなんて。
「だ、旦那さん、は……?」
するとハイデマリーは人差し指を自分の口元に当てた。
あまり触れてはいけないらしい。
そうか……。日本の友人たちだって結婚出産離婚、いろんなパターンがあるもんね。あまり深堀りしないでおこう。
それ以外にも十三年間の空白について話を聞いているうちに、目的地に着いたようだった。
ハイデマリーに続いて馬車から降りたわたし。
見上げて、まず、ぽかんと口を開けた。
「すご……」
商業都市とは違って澄み渡る青空の下、ハイデマリーの館があった。
白い柵に囲まれた色とりどりの花が咲き誇る庭の奥。
いかにも立派な左右対称の洋館(洋館って言い方は正しくないけれど)が見えた。
屋根の上には風見鶏。
そして館の扉が開くと、誰かが飛び出してきた。
「お母様、おかえりなさいっ!」
ふりふりドレスの美少女だ!
ハイデマリーへ抱きつくかと思いきや、隣に立つわたしに気づいて急ブレーキ。
子どもらしからぬカーテシーを披露してくれた。
「わたくし、ゲーアハルト家のツバキと申します」
「ツバキ?」
わたしはハイデマリーを見た。
子どもたちの名前を聞いていなかったけれど、ツバキというのは明らかに日本の固有名詞だ。
「ふふ。君から聞いていた花の名だよ」
「お母様? もしかしてこちらの方は、クルミ様ですか?」
わたしは慌てて自己紹介に戻る。
「はじめまして、
「まぁ! 本当にクルミ様なのですね。お会いできてうれしく思いますわ。クルミ様のことはいつも母から聞いております」
十歳とは思えない言葉遣いである。すごいなぁ、ツバキちゃん。
……って。
『いつも』??
「いつも?」
「えぇ。すばらしい魔法の才をお持ちで、どんなつらいときでも前向きにパーティを励ましていたと」
「……!?」
突然の褒め言葉にわたしはハイデマリーとツバキちゃんを交互に見た。
「本当のことだろう?」
ぎゃー!
きゃー、ではない。ぎゃー。あのハイデマリーがそんなことを思っていてくれたなんて。
これだけでもヴェリヒトへ戻ってきた甲斐があった……。
「クルミはしばらく我が家に滞在するよ」
「かしこまりました。クルミ様、よろしくお願いいたします」
「ところでサクラは?」
ハイデマリーがツバキちゃんへ尋ねた。
つまり、サクラというのが、双子の弟の名前なのだろう。
「サクラでしたら中庭でスケッチをしていますわ」
「じゃあ、サクラへも挨拶をしに行こうか」
ハイデマリーが言った。
前庭も花に溢れていたけれど、中庭は木が多かった。花のつぼみが膨らんでいる。もうすぐ咲いて、前庭のように満開になるんだろう。
小鳥は歌い、蝶は踊っている。中央には噴水。まるで小さな公園みたいだ。
ベンチに腰かけて、熱心に木をスケッチしている少年の姿が見えた。
「サクラ!」
ハイデマリーが名前を呼ぶと、びくっ、とサクラくんの肩が跳ねた。
「こちらへおいで。客人を紹介しよう」
するとサクラくんはてててて、とこちらへ走ってきた。
「クルミだ。しばらく我が家に滞在する」
「
「……ゲーアハルト家のサクラです。よろしく、お願いします……」
ツバキとは真逆の弱々しい、というか人見知りをしているような雰囲気で、サクラくんはわたしを見上げてきた。
一緒についてきたツバキが不満そうに眉をひそめる。
「サクラ。もっと大きな声であいさつしないと、失礼よ」
「……ツバキ」
今にも泣き出しそうなサクラくん。
本当に真逆なふたりだ。
ハイデマリー譲りの金髪は少しふわふわで、瞳の色は、アメジストというよりはちょっとピンク寄り。
整った顔立ちだけど、ツバキちゃんが吊り目で、サクラくんは垂れ目。
それだけでもずいぶんと印象が違う。
「何はともあれ、我が家へようこそ。歓迎するよ、クルミ」
ハイデマリーがわたしへ左手を差し出してきた。
応じて、握手する。
「うん。しばらくの間、お世話になります。よろしくね」
――こうしてわたしは、二度目の異世界転移をしてしまったのだった。理由も分からず。
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