月の裏側 後編
「シャッテンムッター、お客様を連れて参りました」
スターの淡々とした声音に、月穂はハッとした。
(どこ、ここ?)
真っ黒で狭い部屋だ。
石造の壁、天井、床、全てが黒塗りになっていて、壁の燭台と天井のシャンデリアの蝋燭は、紫色の火を灯している。
大きな丸テーブルと、それを囲むように丸椅子がいくつか。
一番奥には、スターにそのまま年を取らせたような女が座っている。
「お客様のご案内ありがとう、シュヴェスター」
「はい」
月穂がスターにしがみつくと、女は困った顔をした。
「シュヴェスター……さては、ちゃんと説明しなかったわね?」
「申し訳ありません。彼女の気が変わる前に……と思いまして」
「……まあ良いわ。はじめまして、お嬢さん。私はシャッテンムッターと申します。気軽にムッタと呼んでくださいね」
「あ、は、はい」
慌ててスターから離れ、月穂はペコリと頭を下げる。
「どうぞ、座って」
「あ、はい」
いそいそとムッタの正面の席に座る。
「お嬢さん、お名前は?」
「つ、月穂、です」
「月穂ちゃん、可愛い名前ね」
ムッタはニコリと微笑んだ。
優雅な微笑みに月穂は見惚れる。
(綺麗……)
「本題に入りましょうか。あなたは今、生まれ変わりたいと思っている……そうね?」
月穂は曖昧に頷いた。
「……生まれ変わるっていうのは、その……具体的にどういうことなんでしょうか」
「簡潔に言えば、あなたから人格の一部を切り離して消滅させる、のよ」
月穂は目を瞬く。
「人格の一部を、切り離す?多重人格の治療の逆バージョン的な?」
「まあ、当たらずも遠からず……」
ムッタは口ごもる。
「月穂ちゃん、ドッペルゲンガーって知ってる?」
月穂はキョトンとした。
「はい。あの、都市伝説とかのあれ、ですよね?」
「えぇ。……まあ、私が言うドッペルゲンガーというのは、少し性質が異なるもので、切り離した人格が実体化したもののことを言うのだけど」
「……はあ」
(全っ然意味がわからない‼︎やっぱり霊感商法ってやつ⁉︎)
スターの誘いに乗ったことを、今更ながら後悔する。
帰り道も分からないため、本当にどうしようもないのだが。
「それで、その特殊なドッペルゲンガーがどうしたんですか?」
半ばヤケになって月穂は問う。
ムッタはニコリと笑って言った。
「私は、そのドッペルゲンガーを創り出すことができるのよ。あなたが殺したいと思う一部の人格を切り離して実体化させ、殺せるようにできる」
月穂はゆっくりと言葉を咀嚼した。
「……わたしが殺したいと思う人格」
咄嗟に脳裏によぎるのは、ついさっきの夕食のこと。
──ひどいよ、太陽。
でも、少なくとも太陽は悪くない。
いつもいつも、思っていることだ。
「……月が綺麗ですね、って言葉、あるじゃないですか」
脈絡のない言葉に、ムッタはキョトンとした。
戸惑う表情は、意外と幼く見える。
「月って綺麗なものなんですよ。平安貴族も、文豪も目を奪われる。でも、知ってます?裏側は、クレーターが異常に多くて、すっごく気持ち悪いというか、なんかゾッとする見た目なんですよ」
月穂は、言葉の重みとは裏腹に明るい声で続ける。
「わたしはね、お母さんに構ってもらえる弟に嫉妬してるんです。それはもう、気が狂いそうなほどに。でも、弟はそんなことは知らなくて、優しくて頼りになるお姉ちゃんとしか思ってないんじゃないかなぁ」
月穂は挑発的にムッタを見つめた。
「嫉妬に狂う醜い姉を殺す手伝いをしてください。綺麗なものは、裏側まで綺麗であるべきだ」
「……分かったわ。手伝いましょう」
立ち上がったムッタは、ゆっくりと月穂に近付いた。
「目を瞑って、動かないで」
言われるまま、月穂は目を閉じる。
冷え切った指先が、月穂の額に何かを描く。
ややあって──おそらくだが、月穂の額に口付けた。
「良いわよ」
月穂は目を開ける。
「……わっ⁉︎それが、ドッペルゲンガー?」
ムッタの背後に、薄っすらと黒い影が揺らめいている。
「えぇ、そうよ。15時間後、この影はあなたのドッペルゲンガーとしてこの世に生まれ堕ちる」
月穂は好奇心に目を輝かせた。
「それを殺せば良いの?」
「えぇ。15時間後以降に、このドッペルゲンガーはあなたの前に現れる。それを殺しなさい。シュヴェスターも手伝ってくれるから」
月穂は大きく頷いた。
「分かりました!ありがとうございます、ムッタさん‼︎」
ムッタは柔らかく微笑んだ。
「えぇ。シュヴェスター、月穂ちゃんを家に送ってあげて」
「かしこまりました」
その途端、月穂の視界は黒く塗り潰されて何も分からなくなる。
(……本当、ファンタジーって感じ。全部夢だったりして)
だが、実際に人格を切り離した影響か、妙に心が軽い。
「……月穂、お家に着いたよ」
スターの声に、月穂はハッとした。
目の前には、ちゃんと自分の家がある。
「本当、スターちゃんもムッタさんも、何者なの?」
スターを見つめると、彼女も月穂を見つめ返した。
青が混じった黒い瞳が、異常に煌めく。
「私達は、
そう言って深く礼をするスターを、月穂は食い入るように見つめる。
「また明日、ドッペルゲンガーを殺す時に会いましょう」
「うん。……また明日、スターちゃん」
月穂がそう返した瞬間、スターはそこから姿を消した。
月穂が再びスターに会ったのは、次の日の放課後、家への帰り道だった。
「スターちゃん、昨日ぶりだね」
どこからともなく現れたスターに、月穂はにっこり笑いかける。
「月穂、調子はどう?」
「最高だよ!昨日家に帰ってから、ずっと心が軽くて、超良い気分!」
そう。太陽を見て、話しても、ちっとも胸が苦しくならなかった。
嫉妬の情なんか湧かなかった。
「本当、今までのわたしはどうかしてたよね。わたしが愛されないのは、全部わたしのせいだっていうのに、太陽に嫉妬なんかしちゃって、本当バカみたい‼︎」
溌剌とした笑顔で言う月穂に、スターは少し眉を顰めた。
「月穂は、悪くないでしょ」
「ううん。わたしが悪いの。あれ、スターちゃんには話してなかったっけ?お母さんね、ずっと子供は男の子が欲しかったらしいんだけど、わたしが女として生まれてきちゃったの。だから、わたしが悪いんだ。全部全部、わたしのせい」
早口で捲し立てる月穂に、スターはどんどん青ざめる。
だが、月穂はそれに気付かない。
「……つ、月穂」
「ん?なあに、スターちゃん?」
「月穂は、自分のことが嫌いなの?」
月穂はキョトンとした。
「そりゃ……醜いものが好きな人なんていないでしょ」
スターは呆然と呟く。
「……ドッペルゲンガーはその人が嫌悪する対象を、根こそぎ集めた塊なのに。それを切り離した状態で、自己嫌悪になんか陥るはずが──」
「だってわたしは、太陽のことが大好きだから」
急に横から声を掛けられて、スターは飛び上がった。
見ると、月穂のドッペルゲンガーがニコニコしながら立っている。
「凄い!わたしが二人いる!」
月穂は月穂で、溌剌とした表情で笑っている。
「ねぇ、スターちゃん。この子を殺せばいいの?どうやって?」
表情と言葉とが一致していない月穂に恐怖しながらも、スターは懐から大きなハンマーを取り出した。
「……こ、れ。『影のハンマー』で、殴り殺すの」
恐る恐る差し出された黒いハンマーを、月穂はあっけらかんと受け取った。
「ねぇ、ドッペルゲンガーの私、醜い私、死んでくれますか?」
ドッペルゲンガーは凪いだ表情で微笑む。
「その方が太陽も喜ぶだろうからね」
ガンッ
とても人から──もしくは人の形をしたものから──出てはいけない音がした。
正面から思いっきりハンマーで殴られたドッペルゲンガーは、頭部から黒い墨汁のような液体を流してよろめく。
「あーぁ、死にたくないなぁ」
口ではそんなことを言いながら、ドッペルゲンガーは再度振り上げられたハンマーから逃れようとはしなかった。
ガンッ
一般女子中学生の力だからか、まだドッペルゲンガーは立つことができている。
「……どうせ死ぬなら、この前の中間テスト、褒めてって言ってみれば良かったなぁ。一回くらい、待つだけじゃなくて、自分から言い出せば良かった」
独り言のように呟くドッペルゲンガーの言葉に、月穂の動きが止まった。
「……言っても無駄でしょ」
「言うだけならタダでしょ」
瓜二つの少女は互いに見つめ合う。
ややあって、月穂は振り上げられたハンマーを下ろした。
「……あれ、殺さないの?」
「わたしは、どうせお母さんに見てもらえないなら、せめて太陽の理想のお姉ちゃんでいたい。……だから
どこかたどたどしい口調でそう呟く月穂に、ドッペルゲンガーは微笑んだ。
「試す価値はあるかもね。わたしだって──家族が嫌いなわけじゃないからさ」
その途端。
強い風が吹いた。
ドッペルゲンガーの姿が、どんどん薄くなって崩れていく。
「す、スターちゃん、これ何⁉︎」
上擦った声で問われたスターは、優しい声で答えた。
「ドッペルが還る。あるべき場所に……オリジナルの心の中に……」
「シュヴェスター、シャッテンムッターに伝えてちょうだい。わたしに、オリジナルと話す機会をくれてありがとう!わたし、変わるよ」
そう言って、ドッペルゲンガーは姿を消した。
月穂は呆然と呟く。
「……消えちゃった」
「切り離した人格が、月穂の心に戻ったんだよ」
月穂はスターを振り返る。
「私達の力がなくても、月穂はちゃんと、現実と向き合って生きていけるってこと。……強いね」
スターは柔らかく微笑んだ。
「月穂に私達は必要ない。もう二度と会うことはないと思うけど、私もシャッテンムッターも、あなたの幸せを願ってる。……さよなら、月穂」
「待っ──」
スッとスターは姿を消した。
月穂は明るい声で囁く。
「さよなら、スターちゃん。本当に、ありがとう」
その後。
「シャッテンムッター、ただいま戻りました」
月穂の前から去ったシュヴェスターは、シャッテンムッターの元に帰っていた。
「……あら。……そう、月穂ちゃんに私達は必要なかったのね」
「はい、良かったです。でも……」
続けようとして、シュヴェスターはハッとした。
「すみません、何でもないです」
「……シュヴェスター」
不安げなシャッテンムッターの声に、シュヴェスターは強く首を横に振った。
「シャッテンムッター!……お疲れでしょう?もう、お休みになってください」
「……そうね、そうするわ」
シュヴェスターは深く礼をして姿を消した。
シャッテンムッターは、ぼんやりと物思いにふける。
(……月穂ちゃんに、私達は必要なかった)
醜い自分を殺そうとして、そして受け入れることにした少女。
彼女に、幸があらんことを。
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