閑職特務機関の華・センチネルバース

大竹あやめ

第一章

第1話

 その日、足助あすけたかは心機一転頑張るぞ、と気合いを入れていた。

 新品の一張羅のスーツに、それに合わせた真新しい合皮の靴。背筋を伸ばして歩くその背格好と顔は、よく実年齢より若く見られるけれど、意志が強い目をしている。サラサラの黒髪が風で揺れると、髪が目に入ってしまい、貴弥は慌てて手で避けた。

 春、時刻は今から太陽が沈もうとしている時間。繁華街である駅の近くは、帰宅するであろう人と、これから飲もうという人で溢れていく。

 大丈夫、昼職でも相当な理不尽に耐えられた。それになにより、今現在それ以上の理不尽に見舞われているけれど元気じゃないか、と拳を握る。悲観しない、置かれた場所で咲いてやる、それが自分のモットーだと。

 貴弥はあるビルの前で止まった。見上げると、飲食店にしては派手な看板がズラリと並んでいる。いわゆる、女性の接待がある店だ。


「……よし」


 大丈夫、やれる、と貴弥は心の中で呟く。短く息を吐き、意を決して一歩踏み出した。するといきなり肩を掴まれる。振り返ると黒髪の、目付きが鋭い長身の男がいた。


「……見つけた」

「……は? って、おい!」


 男はそう言うやいなや、貴弥の腕を掴んで引っ張った。するとその瞬間、貴弥の脳裏に誰かの思考が流れ込んでくる。


『急いでここから離れるぞ』


 貴弥は目を見開く。この声は今初めて聞いた、この背が高い男の声だ。通常ではありえない現象に、貴弥は思わず顔を顰めて頭を押さえる。

 しかし男の歩みは止まらない。スーツを着ているけれど、それを感じさせない軽い身のこなしで、駅まで貴弥を連れていく。貴弥は大した抵抗もできないでいると、待っていたらしい黒いバンに押し込められた。


「ちょっと! なんだよアンタ!」

「シートベルトをしろ」


 車に乗せられて初めて、貴弥は抵抗することを思い出す。男が言うと同時に車は走り出し、貴弥は慌ててドアに手をかけようと伸ばした。しかし男に羽交い締めにされ身動きが取れなくなる。そしてまた頭の中で男の声が響き、貴弥はその声に引きずられ、抵抗する力を奪われるのだ。


『奴らが来る前で良かった』

「う……」


 一体何が起きたのかわからなかった。けれど貴弥は一つだけ確信したのだ。

 ――この男は【センチネル】だ、と。


 それから一時間後。貴弥はある施設にいた。硬いソファーにローテーブル、シンプルな事務机が二つ。ファイルが並んだシルバーラックが一つだけ置いてある、非常に簡素な部屋だ。ただ、窓から見える景色は驚くほど夜景が綺麗で、高層ビルが建ち並んでいる。――都心であることは理解できた。


「やあやあ、すまへんなぁ強引にしてもうて」


 そう言って、ローテーブルに缶コーヒーを置いたのは、バンを運転していた男だ。何も聞かされずに連れてこられた身としては恐怖でしかなく、貴弥は警戒心を解かずに彼を睨むと「おお怖っ」と彼は肩を竦める。

 見たところ、彼は貴弥より歳上だろうか。茶髪の長い髪を後ろで一つに縛り、黒髪の男と同じくらいの背格好だ。瞳の色も薄めでややタレ目だが、目の力は強い。シンメトリーな顔の造りや薄い唇は、間違いなく美形の部類と言っていいだろう。

 ちなみに黒髪の男は、先程から机に寄りかかって立ち、貴弥をじっと見ている。こちらは目つきは鋭いものの、寡黙なのかあまり話さず、威圧感はほとんどない。しかし貴弥は、それが逆に怖かった。


「俺はとりあそぶ。よろしゅう」


 遊は人好きする笑顔を見せる。けれど、その目の奥にはやはり鋭い光が宿っていて、コイツも只者じゃない、と貴弥は無視をした。大体説明も同意もなく、貴弥をこんなところに連れてきた奴だ。そんな奴を、どうやって信用しろというのか、と貴弥は思う。

 そんな貴弥の態度に遊は呆れたのかため息をつき、「まぁええわ」と腕を組む。


「単刀直入に言う。あんた、【ガイド】やろ?」


 貴弥はドキリとした。彼らは貴弥の正体も知っていてここに連れてきたのだ。

 けれど貴弥は、今まで自分が【ガイド】ということを隠して生きてきた。この人たちに嘘をつき通せるとは思わないけれど、普通の人間として生きると決めた以上、邪魔はされたくない。

 すると、今まで黙って見ているだけだった黒髪の男が動いた。立ち上がり、貴弥が座るソファーの、肘掛けに座る。


「足助貴弥、十八歳。【ガイド】を隠し介護施設で働く。母親はおらず父親が借金を残して亡くなり、息子であるお前に取り立てが来て、さらに今日からそいつらに紹介された職場で働くことになった」

「げ……」


 貴弥は思わず声を上げる。やはりというか当然というか、この人たちは自分のことを調べ上げていたらしい。


「……今頃あの店は警察がガサ入れしてるだろ」

「な……っ」


 貴弥は声を上げて腰を浮かせかける。けれど黒髪の男の冷静な顔を見て、大人しく座り直して拳を強く握りしめた。


「こうなるって……わかってて……」

「ああ。こうなるってわかってて、奴らはお前をあそこに呼んだ」


 黒髪の男が言うと、遊が貴弥の隣に座った。表情は笑っているけれど、やはり目が笑っていなくて怖い。


「かわいそうになぁ。もう俺らの正体も気付いてるんやろ? 借金肩代わりしてやるさかい、ついでにその悪い子ちゃんたちに『めっ』て言っとこか?」

「……」


 確かに、あのまま店の中に入っていったら、警察の捜査は免れなかっただろう。ひょっとして奴らは貴弥に、借金をした父の身代わりをさせるつもりだったのかもしれない。そう考えると助かったのだと思う。けれど……。


「借金を肩代わりしてもらっても、その肩代わりしてもらったお金はやっぱり俺が払うんですよね?」


 話を聞いていて、これは単に助けられたと思わないほうがいいと、貴弥の勘が言っていた。そう尋ねると、遊は「察しがいい子は好きやで」と笑う。


「……でも、嫌です。肩代わりしなくていいし、ほかの稼ぎ口探すんで解放してください」


 貴弥は真顔でそう言うと、遊の笑った顔がピシッと音が鳴るほど引き攣った。そしてその笑顔のまま「ほーん?」と顔を近付けてくる。


「あんた、自分の身が置かれてる状況、わかっとらんのか?」

「わかってます。あなた達は【センチネル】で、一般人の俺を不当に拘束しています」

「はー! 嘘つくのが下手くそな上にかわいくないわー!」


 やっとれん、と遊はその場で手足を投げ出す。すると黙って聞いていた黒髪の男が、スマホを取り出した。


「――ああ俺だ。例の五千万、予定通り支払ってくれ。彼はこのまま保護する」


 あっという間に終わらせた通話は、貴弥も口を挟めなかった。五千万というのは父が借金をした金額と同じだし、このまま保護ってまさか自分のことを指しているのか、と慌てる。


「ちょっと! 何やってんだよアンタ!?」

「アンタじゃない。今からお前のビジネスパートナーになった寒川そうがわひさだ。よろしく」

「よろしくじゃない!」


 表情も変えず言い放つ黒髪の男――久詞は、なぜかソファーの座面に座り直した。貴弥は二人掛けのソファーで二人の男に挟まれ、思い切り身体を縮める。


「だ、大体、俺は一般人なのに、【センチネル】のアンタたちがなんで俺を……!?」

「そらお前さんが【ガイド】だからやろ」

「だから俺は一般人だって言ってるじゃないですか!」


 どうやら久詞たちは、貴弥を【ガイド】だと確信しているらしい。なんとか誤魔化さないと、と貴弥は震え上がった。

 【センチネル】は、【ガイド】を駒のように使い捨てにする――小さいころからそんな噂を聞いていれば、誰も【ガイド】をやりたいだなんて思わないだろう。しかもこんなふうに、無理やり知らない所へ連れて来るような連中だ。


「ここは【センチネル】が集まる施設だろっ? だったら【ガイド】だってたくさん……!」

「昨日、いなくなった」

「……っ」


 久詞の言葉に貴弥は息を飲む。

 ――やっぱり噂は本当だったのだ。前任者が使い物にならなくなったから、代わりの駒を探して自分を連れてきたんだ、と貴弥は頭を抱える。


「……寿退社でな」

「……は?」


 次はどうやって誤魔化し逃げようかと考えていた貴弥は、久詞の言葉に思わず彼を見た。彼は真っ直ぐ貴弥を見ていて、なぜかその瞳が綺麗だ、とこんな時なのに思う。


「【ガイド】は駒なんじゃ……」


 思わず貴弥はそう呟くと、久詞は「そんな時代もあったな」とため息をついた。


「今の時代、そんな人権を無視した扱いはせぇへんよ? 【センチネル】も【ガイド】も、職業として選べる時代や」


 遊が呆れたように言う。それならば、貴弥は拒否する理由がなくなってしまう。昔は本当に酷い話を聞いていたし、一時期それが問題になってニュースになっていたこともあった。無理やりここに連れてこられたのはどうかと思うが、助けてくれた訳だし、いやいやでも……と貴弥は脳内で忙しく考える。


「待遇はええで? なんせ国の特務機関やからなぁ」


 あっという間に『肩代わりのお金』は払えるやろな、と遊は笑った。貴弥の気持ちが揺らぐ。


「……今、お前の自宅に誰か入ったな」

「えっ? なんで!?」


 久詞の言葉に、貴弥はどうしてわかる、と聞いた。すると久詞はスマホを見せてくれる。どうやら仲間が貴弥の自宅近くにいるらしい。


「躍起になって探してるそうだ。……ここにいたほうが安全だな」

「うう、……マジかぁ……」


 ここにきてやっと、自分が都合よく扱われたのだと気付く。どうして自分が、と思うけれど、警察が出てきているあたり、ろくな理由ではないだろう。

 でも、ここで落ち込む貴弥ではない。今も二人の男に挟まれて狭いけど、と口を引き結んで顔を上げる。


「……じゃあ五千万、返したら解放してくれますか?」


 どうせ、帰っても怖い人たちがいるのなら、ここにいて借金を返したほうが安全で建設的だ。貴弥はそう思って言うと、遊はため息をついてそっぽを向き、久詞は表情を変えないまま、頷く。


「……ほんまは女の子が良かったんやけどなぁ」

「遊」


 口を尖らせて言う遊を窘める久詞。先程から遊の視線が鋭いと思っていたら、どうやら貴弥が男であることが不満だったらしい。しかしすぐに切り替えたのか、遊はこちらを向いてにっこりと笑った。


「ま、ええわ。ほな、軽く説明させていただきましょか」

「よ、よろしくお願いします」


 貴弥がそう言うと、久詞は立ち上がって元の位置に戻った。どうやら説明は遊がしてくれるらしい。

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