第24話 side エグドア・セルベール
セルベール公爵領の首都、アークナイツ。
春を前にした空は重く、雪が薄く舞い落ちる。
公爵邸の広間は凍てつく冷気で満たされ、窓越しの庭は白く沈黙していた。
エグドア・セルベールは黒檀の椅子に座し、長い金髪を指で弄ぶ。
鋭い翠の瞳に倦んだ光を宿した彼は、ミューゼアの兄である。その美貌は、かつてライゼルの繁栄報告に激昂した姿を抑え、氷のような静けさに沈んでいた。
「ライゼル領の最新状況でございます」
家臣ロザリオが膝をつき、恭しく頭を下げる。
彼は黒い外套の下で、緊張に汗ばむ手を震わせながら続ける。
「レン草と魔道具の交易が拡大し、ベルクラウス商会との結びつきが強固に。魔族王ガリアードレとの協同も、王都で注目を集めているようです」
エグドアの指が止まった。
「……ミューゼアか」
声は抑揚を欠き、まるで他人事のように淡々と呟く。
「不毛の辺境に追放したはずが、繁栄だと? 私の誤算を嘲笑うかのように」
「ミューゼアさまの異常な知識が、ライゼルを変えたとしか思えません」
報告をあまりしたくない話題だった。主人であるエグドアが気分を害すと恐ろしい。とはいえ、伝えなくてはならないのが彼の立ち位置だ。。
ロザリオは額の汗を拭うと、慎重に言葉を選んで続けた。
「中央にいた頃、我ら公爵家の闇取引や裏帳簿を暴いたあの千里眼めいた力は、今もライゼルで――」
「黙れ」
エグドアの声が刃のように切り込む。
「は、はっ!」
「その不気味な力のせいで、我がセルベール家は王家の監視下に置かれた。アレは他の貴族たちに、こちらを攻撃する隙を与えた裏切り者だ」
椅子の肘掛けを握る拳が、静かに震える。
「かつては妹だった。今は敵。ライゼルの繁栄ごと、叩き潰す」
エグドアの言葉に、ロザリオが深く頭を下げた。
「その件で、ルナからの報告がございます。ギリアム・グインの屋敷地下から脱走し、ライゼルの町に潜伏中とのこと」
「ふむ……で?」
「来週執り行われる『豊穣祈願祭』で、ミューゼアさまの暗殺を決行する予定です。領民の笑い声にまぎれ、あの首輪の力を使って急襲すると」
エグドアの目が細まる。
「ルナ。――貴様の子飼いの暗殺者だな。領主のギリアムに捕まったという報告は、他の諜報からも耳に入っていた」」
彼はロザリオに冷たく問うた。
「その首輪、大層な力があるとの話ではあるが……外れたりはせぬのか? そやつの忠誠は確かなのであろうな?」
「あの首輪は外せません、エグドアさま。呪われた魔道具でありもすれば」
ロザリオが即座に応じ、恭しく続ける。
「その上で、仮に外そうとしたならば、他にも命を奪う呪いが発動するよう仕込んでございます」
「ふむ」
「このこと、ルナには知らせておりませんが、アレは私の手札で最も優れた暗殺者ゆえ、忠誠も揺るぎませぬ。祭りの混乱は絶好の機会かと」
声に静かな自信が滲んでいた。彼の子飼いは10人を下らない。ルナはその中で間違いなくナンバーワンに育て上げることができたという自負が、ロザリオの口角を上げさせるのだ。
が、彼はそれでもどうにか慎重な面持ちを保ちながら続けた。
「ガリアードレとギリアムの警戒は厳重らしいではないか。失敗の可能性もあるのではないか?」
「失敗でございますか?」
ロザリオは大袈裟に聞き返してみせる。
「まさか。ギリアムたちに一度捕まったのも、より精度の高い情報を得る為、と報告を受けているのです。問題ありませぬ、エグドアさま」
エグドアが鼻で笑う。
「ふ、まあいい。失敗したなら次の刺客を送るだけだ。魔族奴隷など、替えはいくらでもある。ルナ……だったな、そやつが死に、魔道具である首輪が失われたとて構わん。些末な話よ」
翠の草色をしているはずの彼の目は、白く凍った雪よりも冷ややかだった。
「ライゼルが魔族と通じている話は、王家に反逆の意思ありとも解釈して使っていける。そのときは、我がセルベールの力を示す好機だ」
「新たな刺客も準備しております。さらに、魔物を操る古い魔術を入手。ライゼル領の街道を封鎖し、混乱を誘う策も進行中でございます。たとえ王家の監視が厳しくとも、反逆の汚名を着せて領主とその伴侶であらせられるミューゼアさまを討ち取ってしまいさえすれば」」
「そうだ、我々セルベール家の地位は回復できる」
エグドアが立ち上がり、窓の雪を睨んだ。
「問題ない。なに一つな」
その言葉に、ロザリオは深く頭を下げると広間を去っていく。
エグドアは一人、凍てついた庭を見つめていた。
胸中に、今は遠いミューゼアの笑顔が揺れる。
かつては妹として愛したこともあるあの微笑みが、彼女の不思議な『能力』の記憶を呼び起こす。
不思議……いや、不気味な力だ。
かつて、なんの情報も与えていないはずなのに交易の失敗を予見したこともあった。あのとき私を笑いものにしたことを、忘れてはいない。
あのときの、ミューゼアの目。忌まわしくも、哀れみにも似た目で私を見つめてきた。そんな思い出が、ぼんやりと眺めていた雪の上に揺れる。
そして最後には、セルベール家の内部事情を告発だ。裏切り者めが。裏切りは、決して許さない。
「そうだ……裏切りは許さぬ」
彼女を抹殺しなければ、すべてが終わる。エグドアはそう恐怖した。
なにもかもを見透かしたかのような、あの目を恐怖した。化け物め。いつの頃からエグドアは、彼女に対してそんな思いを抱いたのか。もう覚えてもいない。
「大人しく死ね、ミューゼアよ。我がセルベール家の繁栄のために」
エグドアは、そう独りごちたのだった。
-----------
そろそろ佳境であります。どうにか10万文字達成(・ω・)
☆で応援してくださいますと凄く嬉しいでありマス。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます