第5話 知っていたこと

知っていた。

例え魔王が死んでも、世界はさほど変わりはしないことを。


好転もしないし、逆に暗転もしない。

世界が良くなったと皆が思うのは、一時の幻想にすぎない。


すぐに、誰もが思い知ることになるだろう。

善は必ず存在するが、悪もまた同じく存在することを。


世界は理想郷を赦すほど、優しく慈悲深くはない。

世界は自ら均すが故に、世界足り得るのだ。


それを俺は嫌と言うほど、知っていたはずだった。


――――――――———

――――――――

――――――


「ねえ、お姉さん!」


「うん?」


服が引っ張られる感覚に、俺は立ち止まって振り向く。

だが、視界には誰も映らない。


「気のせいか……?」


「いえ、……子供?」


アーテがしゃがみこむ。

その動作を視線で追うと、一人の小さな子供が俺の裾を掴んでいることが分かった。


今の俺の身長は、アーテよりも頭二つ大きいくらい。

平均的な男性よりも、少し大きい程度の大柄である。


当然、目線もその分高くなる。

子供が見えなくても、俺に非はないだろう。


「人の服を引っ張るものではありませんよ?」


するり、とアーテによって俺の裾を掴む子供の手が引き剥がされる。


「……子供だ」


「珍しいですね」


俺は目の前の子供をまじまじと見る。

小麦色の肌、黒髪、性別は男。


身に着けている衣服は……土で汚れている。

それも……。


「な、なんだよ」


「少年、親はどこに?」


「っ、知らない」


……殺されたか。


この時代に、子供は珍しいがそういった悲劇は珍しくない。

逆もまた然り。


「……、さ!お姉さんたちに、手伝ってほしいことがあるんだ!」


「なんでしょうか?」


少年は視線を泳がせる。

背後にちらちらと視線を送りながら、何かに迷っているようだ。


「え、ええと……言葉では言いづらいから、付いて来て!」


より近くで話を聞いていたアーテの手を、その小さな両手で引っ張る。


「どうします?オルナ様」


アーテが、心配げな視線を送りつつこちらを見る。

溜息をついて、首を縦に振る。


「……どうせ、やることなんて決まっていないんだから」


「分かりました。……君、案内してください」


アーテは立ち上がりつつ、少年が握る手を引き剥がした。


「焦らず、ゆっくりでいいですから」


「ご、ごめんなさい。分かった」


「…………」


俺たちは先導する少年についていく。


「オルナ様……」


「おっと、悪い癖だね」


おどけたように、俺は手を離す。

勇者をやっていた時の名残か、俺の体は自然と態勢をとっていた。


「もう、平和になったんだ。だから、こういうのは治していかないと。俺も嫌いだしね」


「……っ申し訳、ありません」


あ、やばい。

アーテがまた。


「大丈夫、大丈夫だから。俺は何も気にしていないから」


というか、何に対して謝っているのかもわからないのだが。


とりあえず何も悪くないと暗に伝えるが、なぜかアーテは目を見開いて涙を零してしまう。


どうしてだ!?

いや、この場はとにかくアーテを落ち着かせなければ……いや、どう落ち着かせるんだ?


「——お姉さん!早く!」


「……失礼」


少年の急かすような声に、アーテは正気に戻ったのか涙をハンカチーフで拭う。

俺に手を差し伸べて、下手に笑う。


「行きましょうか、オルナ様」


「う、うん」


内心、思うのだ。

彼女は、一体何を思っているのか。


どうして彼女は豹変してしまったのか。

まだ、それを聞く勇気は無かった。


―――――――――

――――――

――――


リンデンの東方だろうか。

俺たちが少年に連れられてやってきたのは、居住区であった。


だが俺たちが入った西方の居住区とは違い、なんというか。


「酷い有様だな」


「……ええ、同じ街だというのに、ここまで格差があるとは」


西の居住区はみすぼらしかったが確かに家としての役割を保っていたが、東はそういう次元ではなかった。


屋根は無く、そこらかしこに破壊の跡がある。

骨が見えるほどに痩せた老人が地べたにはいつくばっており、まさにこの世の終着点のようであった。


「少年、本当にここであっているのか?」


「う、うん。俺はここで暮らしているんだ」


俺は驚き、アーテは手を組み合わせて祈る。

子供が、こんなところで?


恐らく、造りからして西と当初は変わらなかったのだろう。

だが今はこうして見る影もないほどに壊されている。


危険だろう。


「大丈夫なのか?」


「そりゃあ、大丈夫なんて言えないけどさ……俺は生きなきゃ、ならないから」


少年の横顔は、何かを決意した者の目だった。


「だから、さ?」


少年は立ち止まる。

広場のように開けた場所で。


「どうしたのですか?ここには何もないですが――」


「——アーテ!」


俺はアーテを力いっぱい引き寄せて、その身を抱く。


「オルナ様!?」


ぱん。


頬を赤く染めて焦るアーテへの返答は、軽い破裂音と。

それとは違う断裂音。


「っ」


そして抱き寄せた相手の、呻く声だった。


「——だから、ごめん。ごめんなさい」


俺はアーテをその身に抱いたまま、片膝を突く。

痛みからではない。


――ちっ、腱が断裂した。

糸が切れた操り人形のように、足に力が入らない。


少年は苦し気な顔で、両の目から一筋の涙を流していた。


傍らには、建物の影からやってきた筋骨隆々な男が、少年の肩に手を置いて笑っている。


「よくやった、手前にしちゃあ上出来じゃねえか、ルード?しかも、上玉も上玉だ、褒めてやるよ」


「っ……はい」


「まあ、それもそうか。お前さんにはもう後が無いんだったな。お、に、い、ちゃ、ん?」


ああ、やっぱりそういうことか。


「救えない、救えないね」


「おう、お嬢ちゃん。残念だったな、こんなやつに騙されて。そのせいで死ぬよりもひどい目に遇うんだがな!」


「っ……!」


少年が肩を揺らす。


俺は、冷静に背後を見る。

痩身の男が、怖気がたつような笑みを浮かべている。


その両手に握られているのは、武器だった。

それは個人が携帯できる砲であり、かつて魔王に抗うために設計された武器。


すなわち、銃である。


人知を超えた速度で飛来するそれは、アーテの足を貫こうとした。

寸前で入れ替わった俺は、運が悪くアキレス腱を銃弾で断たれてしまったのだ。


「ひひっ、可愛がってやるよ」


「おい、最初は俺だぞ!?……まぁ、いい。……おい、出てこいてめえら!」


男は悪態をついたが、すぐにニヤついた悪い顔をしてから大声を上げる。

その声を聞きつけ、周囲から何十人もの男が現れる。


すぐに周囲を囲まれる。

こいつらも、仲間だろう。


だが、幸いにも銃を持っている人間はいないようだ。


「おい、ルード。よく見ておけ」


傍から見て、俺たちは絶体絶命の状況だ。

それなのにこんな戦力を見せびらかしたということは。


「これが、お前がした選択の結末だ。そう、今から起こることはすべてお前のせいなんだよ、お兄ちゃん?」


男たちは欲望に染まった笑みを浮かべつつ、こちらににじり寄ってくる。


リーダーの男によって顔を固定された少年と、目が合う。


「っ、め……ごめ――」


「——気に入らないな」


アーテを解放する。

刀を鞘ごと腰から引き抜き、杖代わりにして立つ。


鈴っ。


は、こんなことのために戦ったんじゃない」


こんな悲劇を生むために、戦い抜いたんじゃない。

例えこの結果が、いずれ来る必然であったとしても。


「アーテ、頼む」


「……はい……!」


あの場所に、戦いが好きな者はいなかった。

でも、その先に何かがあると信じて剣を取ったのだ。


それを、その覚悟を愚弄しないで欲しい。


「かかってきなよ。銃だろうがなんだろうが、最後には全部斬る」


もう誰も知らない勇者の戦いを、見せてやる。




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