ここからはじまる復讐譚

百鳥

ここからはじまる復讐譚

 燦々と輝く太陽が石造りの家を照らしている。


 瑞々しい街路樹と澄んだ水を湛える噴水。雲一つない空を白い鳥が羽ばたき、美しく整備された道路を人々が行き交う。


 ここは帝国首都、リンドブルム。


 かつて邪竜に呪われた土地は、今や世界一の都となっていた。世界中の植民地から集められた富と羨望の眼差し。吟遊詩人により歌い継がれる永遠の都は、まさにこの世の春を謳歌していた。

 

 しかし、光が多いところでは影も強くなるもの……白亜に輝く壁の外に天国はない。飢えや貧困が隣り合わせの世界で、人間でいられるものは少なかった。

 残飯を漁るドブネズミや手癖の悪いサル、狡猾なキツネ……醜く愚かな動物たちが日夜縄張り争いに明け暮れ、時に互いを傷つけ合っていた。


 けれど、リリアはそんな彼らが大好きだった。愛していると言ってもいい。

 彼らの前でだけは、リリアは自分の立場を忘れられた。高潔な騎士でも、慈愛あふれる姫でもない。ありのままのリリアでいられるのだ。


 ***


「どうした? 食べぬのか?」


 リリアの視線の先、赤黒いシミの目立つ床には痩せ細り、ボロ雑巾のようになった犬が三匹いる。成犬になったばかりの雄が一匹と、双子と思われるまだ幼い雄と雌が一匹ずつ。いずれも、最近拾ったばかりの野良犬だ。


「警戒などせずとも、毒など入れてはいないぞ?」


 足を枷で繋いだ犬たちの前には銀の食器がいくつも並んでいる。

 焼きたての白いパンと湯気を立てるポタージュ、みずみずしい野菜のサラダ。メインディッシュの肉は食べやすいようにあらかじめ一口大に切ってある。もちろん、幼い個体のために新鮮な果物を使ったデザートも忘れてはいない。


 しかし、野良犬にはもったいないくらいの餌を用意しているのにも関わらず、彼らはいっこうに口にしようとしなかった。


「敵に施しを受けるつもりはない」


 ついには、成犬がリリアに牙を向けて唸る始末だ。

 なるほど、これまで散々憲兵を困らせてきた犬だけのことはある。自称革命家の成犬はギラギラと血走った目でリリアを睨みつけている。


「そうか、おまえはそれでいいかもしれないが……」


 プライドで空腹を紛らわすことの出来る成犬はともかく、育ち盛りの仔犬たちはそうもいかない。脅えた様子でお互いを庇い合いながらも、二匹の視線はしっかりと餌に向かっていた。


「ふふっ……腹が減っているのだろう? 我が家のシェフに作らせた品だ。おまえたちだけでも食べたらどうだ?」

「おにいちゃん……」

「だめだ、ココ」


 仔犬たちの声は消え入りそうなほどに小さかった。やせ我慢しているのは見え見えだったが、成犬は二匹の様子に満足げだ。得意げな顔をしてワンと吠える。


「分かったか。我々はおまえたちに屈しない」

「……そうか。ならば仕方あるまい」

「あっ……」


 傍に控えさせていたメイドが食器を下げていくのを、仔犬たちがよだれを垂らしながら見つめていた。




 それから数日後、リリアは再びメイドを引き連れてかび臭い地下牢を訪れた。

 早速、檻の隙間から、うつろな表情を浮かべた犬たちの前にパンを投げ入れる。


「食べろ……と、何か言いたげだな?」

「それだけか……?」


 成犬のかすれきった声に、リリアは思わず失笑してしまう。フルコースだった数日前とは違い、今日は黴びたパン一つだけだ。三頭の腹を満たすにはあまりにも少ないが、散々施しはいらないと吠えていたのは成犬の方だったはずだ。


「おまえたちがあまりにも強情なんでな。どうせ今日も食べないのだろう?」

「…………」

 

 数日前の反抗的な態度とは一転、その場にうなだれた成犬を見やる。プライドだけではもう空腹をごまかせなくなっているのだろう。仔犬に至っては、もう体を動かす体力さえ残っていないようだった。

 

「そろそろか……」


 刈り入れ時は近い。


 野良犬が腹を見せる瞬間を想像して、リリアの口元が緩んだ。そのまま優しくして従順なペットにしてもいいし、厳しい調教で立場を分からせてやってもいい。


 しかし、こういう時こそ焦ってはいけないことも、経験上リリアはよく知っていた。事は慎重に運ばなければならない。


「犬を三匹同時に迎えるのもはじめてだしな」


 リリアはいったん地下牢を出て、自らに隠蔽魔法をかけることにした。こうすれば犬たちをじっくり観察することが出来るだろう。人間のいないところで犬たちがどのような振る舞いをしているのか大いに気になるところだ。


「ああ、楽しみだな……」


 舌なめずりしながら、今度は一人で地下牢へと舞い戻る。メイドたちには戻って犬を迎える準備をするように伝えておいた。



 牢の中には、先ほどと変わらぬ姿の成犬と、衰弱した片割れにすがりつく仔犬の姿があった。


「おい、大丈夫か、ココ……」


 息はあるので死んではいないようだが、ココと呼ばれた犬は返事をするのも難しい様子だった。


「リーダー、ココが……いや、俺たちはもう限界です。せめて一口だけでも食べさせてください」


 鳴きわめく仔犬の視線の先には、先ほどリリアが投げ入れたパンがあった。成犬もパンに視線を向けながら、しかし、ゆっくりと首を横に振った。


「駄目だ」

「リーダー! このままでは俺たちは死ぬだけです。どうかお願いします」

「……誇りは?」

「えっ?」

「人としての誇りを捨てるのか?」


 成犬の言葉に、リリアは姿を隠していることを忘れて吹き出しそうになった。

 リリアを含めて、この国の人間は彼らを人とは認めていない。良くて家畜、常ならば害虫として追い払うべき存在だ。

 だというのに、目の前の成犬は自分のことを人間であるなどとのたまう。つくづく教育のしがいのありそうな野良犬だった。


「誇りで腹は膨れない。生き延びなければ復讐も出来ないじゃないか」

「それは違う。前にも言っただろう、レオ。私たちには偉大な神がついている。今、私たちが志半ばに果てたとしても、私たちの子孫がきっと敵を……」

「そんなの信じられるものか!」


 レオと呼ばれた仔犬が甲高い声で吠える。


「神様がいるなら、なぜ母さんはあんな惨たらしい死に方をした? それに、俺は死んだ父さんと約束したんだ。絶対にココと二人で生き延びるんだって」


 仔犬が目の前のパンに手を伸ばし、勢いよく掴んだ。


「待て! それでは敵の思う壺だ」

「やめろ! 離せ! これは俺の……俺たち二人のものだ」

「くそっ、大人しくしろ!」


 成犬が勢いよく仔犬の頬を殴りつける。いかにも弱々しい平手打ちだったが、体格差のために仔犬はあっけなくその場に崩れ落ちてしまった。


「もういいだろう……」


 深いため息とともに、成犬が倒れ込んだ仔犬からパンを奪い取る。忌々しげな顔の中に、わずかながら葛藤が見てとれる。腹が減っているのは仔犬たちだけではないのだ。


「こんなものがあるからいけないんだ……って、おい、そこをどけ」


 そのまま成犬はパンを牢屋の外に投げ捨てようとするが、足下に仔犬がしがみついてきていた。


「うあああああ……」


 捨て身のタックルに成犬が体勢を崩す。そして、仔犬はその一瞬を見逃しはしなかった。馬乗りになって、勢いのままに成犬を殴りつける。何度も、何度も……。


「レオ、おまえ、なにを……」

「死ぬなら一人で死ね! 俺は生きる!」


 元々弱っていた上に、当たり所が悪かったのだろう。頭から血を流した成犬は、そのうちピクリとも動かなくなってしまった。


(ちっ……死んだか……)


 思わず舌打ちしかけるリリアだったが、もともと成犬は仔犬たちのおまけのようなものだ。似たような犬は何匹もいるのだからと、その場に介入するのは何とか我慢する。それよりも大切なのは双子の方だ。


「おにいちゃん……?」


 それまで床に伏せっていた仔犬が顔を上げ、血まみれの成犬を見て目を大きく見開いた。


「どうして……」


 狼狽する片割れとは対照的に、パンを成犬から取り戻した仔犬はひどく高揚している様子だった。目をギラギラと光り輝かせ、束の間の万能感に酔いしれている。


「やったぞ、ココ。これで邪魔者はいなくなった。さあ、お兄ちゃんと一緒にパンを食べよう!」

「ひっ……」

「ん? どうして逃げるんだ?」


 必死に距離を取ろうとする片割れに、疑問符を浮かべた仔犬がゆっくりと近づいていく。


「大丈夫だよ、ココ。もう大丈夫なんだ」


 差し出したパンが血で汚れていることに、きっとこの仔犬は気づいていない。


「や、やだ! やめてよ、近づかないで!」


 勢いよくはたかれたパンが転がり、成犬によってつくられた血だまりへと落ちていく。


「な、なんでだよ。ココ……俺はおまえのためにパンを取ってきたのに……」


 仔犬の手が、青白く細い首にかけられた……。


 ***


「はぁ、今回は失敗か……」


 片割れの死骸の横で呆然と突っ立つ仔犬は、もはやリリアの欲する存在ではなくなってしまった。興ざめしたリリアは、ため息を吐きながら地下牢の階段を上る。

 

「双子をもう一度探すのは難しいだろうな」


 欲していたのは双子の犬だ。この国では双子は忌み子とされ、多くが生まれた時点で殺される。あそこまで育った個体はそうそういないはずだ。


「本当に惜しいことをした。欲をかいてもう一匹連れてきたのが間違いだったか……」


 愚痴りながら隠蔽魔法を解き、メイドたちが……リリアのお気に入りのペットたちが待つ部屋の扉を開ける。


「お帰りなさいませ」


 無駄吠えの一切ない彼女たちは、はじめの反抗的な態度が懐かしくなるくらいには従順だ。


「……ああ、慰めてくれるのか?」


 主人のいらだちを敏感に感じ取り、必死に慰めようとする健気なペットにリリアも応える。邪魔な服を剥ぎ取って、あらわになった肢体を思うがままに貪り尽くした。




 ――人と動物が交わる狂乱の夜。


 冷たい地の底で慟哭する野良犬が、やがて自らを脅かす存在になることを今のリリアは知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ここからはじまる復讐譚 百鳥 @momotori100

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ