セミとカブトムシ

学生作家志望

君が大好き、りんご飴

窓枠が、うまく風を切る音が聞こえる。


そんな病室のはしっこで、女の子が寝ていた。白い肌にはツヤがのっていて、水を浴びた後の植物のようにきらきらとしていた。太陽の光が、とにかく眩しい。


「早く起きないかなぁ。」


壁に寄りかかり、少しばかり空いた窓の隙間から空を仰ぐ。


見れば、空一面に広がる青があった。冬にはまったく見れない入道雲も、もうすっかり視界に馴染んだものになっていた。

それを言えばセミの鳴く音もそうだ。どこからともなく聞こえてくるので、夏の間は自然の「口癖」のようなものになっている。


でも人間と同じく、その口癖はいつのまにか全く発されなくなるのだ。夏の暑さのど真ん中を過ぎたあたりころからね。


なにせ、セミは1週間で死んでしまう。地球にとって、僕ら一人一人の人間がどれだけ矮小かは想像がつかないものだが、もしかしたらそれは、セミと人間との距離感によく似ているものなのかもしれない。


それくらい、1週間とは僕らの時間感覚の中ではありふれて、短いのだ。





でも………。いつ死ぬのかわからないという方が、僕はよっぽど怖いような気がする。僕らの寿命がいつかなんて、統計でデータが出ていたとしてもなんら当てにならない。それはただの平均なんだ。


平均にそって、だいたい同じくらいに死ぬかもしれないし、そうじゃないかもしれない。100歳ちょうどで死ねばキリがいいのに、99歳で死んじゃうかもしれない。


とにかく、わからない───────





ジリジリ、ジリジリ。僕の耳に、またセミの声がした。



「ワタシさ、今日死ぬかも。」




「え?」



「死ぬんだ、ワタシ。」



死ぬ。100歳まで、なんて能天気なことを考えていた僕には、やっぱり想像もつかないことだった。100歳なんてことよりも、もしかしたら明日死ぬのかもしれないなんて、そんなこと、どうして考えなかったんだろう。この子は、僕よりももっとひどかったのに。



「でもどうして?悪化しちゃったの?」



「うん。」



思いの外、歯切れの悪い回答が帰ってきてしまったな。会話がこのままでは続かない。僕は自分から、会話の輪っかを広げていくのがどうしたって出来ない。


だからしばらく、僕らは黙った。


指を折り曲げて、何度も交差する。うねうねとヘビのようにうねる指には落ち着きが無かった。


この子が悪いことは知っていたんだけれど、僕よりも悪いということだけで、それ以外の情報は何も無かった。というか、なぜか今日までまったく教えてくれなかったんだ。


それで今日突然死ぬなんて言われても、僕にどうしてほしいんだろう。


僕はどうしたらいい。



「実はずっと前から決まってたんだ。あと1ヶ月で死ぬって、1ヶ月前に言われた。」



1ヶ月前に言われたって、そんなはずがない。そんな風には見えない。病室はただ質素な感じで、まるであと少しで死ぬような人間のいる場所ではないんじゃないかと思うくらいだ。


それくらい何か寂しい感じがする。スイカもないしメロンもないし、この子の好きな林檎もない。なんでだ?


お見舞いの1人もいないなんて、なんでだ?




「でもワタシ、それでもひとり。誰もいないんだもん。誰も迎えにきてくれる人がいないから、だからひとり。」



「………じゃあ、なんで僕のこと呼んだの?」



「え?」



「だってそうじゃん、ひとりで死にたかったんでしょ?僕なんか、、邪魔じゃん。」



僕の言葉に対して、初めてその女の子が反応をした瞬間だ。クールタイプの君が、横になっていた体を無理やり起こして、何かに取り憑かれたように胸をおさえてこっちを見始めた。



「どうしたの?大丈夫?」


最悪の事態を想像して、急いでベッドに椅子を寄せる。君とはもうほとんど距離がない。



「そうじゃなくって、なんで邪魔なんて言ったの、かなって………。」



「良かった。」


心臓の激しい音が聞こえなくなった。



「いつもひとりなら、ひとりの方が好きなんだろうなって思ったから、そんなところ。」



「なんで、なんで?ワタシ、ひとりなんて大嫌い。寂しいから呼んだに決まってるのに。ワタシの唯一の友達なんだから、呼ぶに決まってるよ。」



「そっか、そう、か。」



ジリジリ、ジリジリ。



また会話が止まりそうになる。なんとか、なんとか僕が広げないと。



「夏祭り、いつか一緒に行きたいです。」



そうじゃない。変なことを言った。いつかなんて、そんなの、この子にはどれだけ途方もないんだ。いつかなんて、いつかなんて。



「嬉しい。アタシそんなこと、誰にも言われたことなかったもん。ワタシも行きたいなぁ、夏祭り。」



やっぱり僕は最低だ。もっともっとこの子に後悔させてしまってるんじゃないかな。死ぬのを怖くさせてるんじゃないかな。



汗が垂れる。窓から流れる風は氷のように冷たく、僕の首元を冷却させた。



「ねえねえ。凪!」



「え、なに?」



凪は僕の名前。さっきからクールな君が、夏みたいに暑い。風の方がよっぽど冷たいよ。



「もしいつか一緒に、、夏祭りいけたら………。好きって言っても、いいかな。」



いつか、なんて言わないでよ。いやでも、それは僕が言ったんだっけ、、でも、僕はどうしたらいいんだ。笑えばいいかな?でも笑ったら、僕が好きじゃないみたいになる。


でも僕もほんとうは好き、好きなんだ。好きだよ、好き。だから、好きって言わないと。



「………大好きだよ。その前に僕がこれを言うから、りんご飴とか食べてて!」



「ふふ。面白くないよ、凪。」



面白くないよ、なんて否定するのには全く似合わない可愛い笑顔を僕に見せてくれた。こんな見惚れてしまうような笑顔、僕は初めてだった。



「で、ところでさ。りんご飴の他にはなんかあるの?屋台!!」



「あ、えっと、トルネードポテトっていうのがあってさ!」





「いつか」行く夏祭りの予定を立てるのに楽しくなった僕らは、それっきり数時間止まらなくなった。


何度も、何度も何度も、僕らは同じことを話し続けた。花火が綺麗、りんご飴が美味しい、ビンゴ大会が毎年盛り上がる、金魚すくい。



でも、それでも、時間はやってきた。



彼女は、死んだ。


ピー。その音を、僕は目の前で聞いた。夜の21時30分だった。



「21時、30分、死亡を確認しました。」



少し開いた窓から、また優しいそよ風が吹いてきて、僕の身を包んだ。


セミの音は、もう聞こえなくなっていた。

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セミとカブトムシ 学生作家志望 @kokoa555

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