『 異形の夢  ~ variant dream ~ 』 

桂英太郎

第1話

( プロローグ ) 

 夢を見た。

 遥かおぼろげな記憶をずっとモノクロで辿っていた。それがどこかは分からない。随分と田舎臭い風景だったが、その代わり私の心は穏やかだった。そしてその見知らぬ懐かしさ(?)に、私はただ呆然とその身を預けていた。


 聞き慣れたアラームの音が鳴り、私は目を開く。そして起き上がり書机のネット端末を立ち上げると、何か指令(コマンド)が来ていないかを確認する。大丈夫、件数ゼロ。私はやおら洗面台へと向かう。

 チーフ以外のメンバーには私は眠らない男として通っている。ましてや夢を見るなんて誰も想像しないだろう。私は正面の鏡を覗く。私(じぶん)の顔。改造された後、一応人型のパーツを取り付けられたが、それでもこの不気味な印象は私自身否定のしようがない。

 コーヒーを淹れる。私は毎朝コーヒーを飲む。もう習慣のようなものだ。早朝この鉄の入った身体には何か温かい飲み物が恋しい。

 それにしても最近よく夢を見る。どうしてだろう。この前のメンテナンスの際、担当施術師にそれとなく話したが、あまりまともに相手してもらえなかった。彼女はまだ学校を出たばかり。しかも希望外の配属だったらしく、どうやら私にもあまり良い印象は持っていないようだ。まあ、仕方がない。

 出掛ける時間だ。


 私が所属するオフィスはドーム地下街、Z地区にある。旧市街ビルを思わせる建物には、今のところ私たちしか入っていない。暗いところだが空気はいつも乾いていて、めったなことでは汗をかかなくて済む。換気システムの効果なのかも知れない。

 ドアを押すと独特の饐えた匂いと共に同僚の視線を感じる。

「あれ、今日はお早いお着きだね、ジョグ?」

 口が悪いくせに尚且つ一番お喋りのニックが声を掛けてくる。お互い呼び名はコードネームだ。どうやら私より早く改造を受けこのオフィスに配属されたらしいが、詳しいことは分からない。それでなくてもニックから本当のことを訊き出すのは死人を尋問するより難しい。時々「コイツは狂ってるんじゃないか」と密かに思うことすらある。それとも奴の能力のせいだろうか?

「定時だよ。チーフは?」

「さあ」

 仕方なく私は自分用のデスクに座り、端末を再度確認する。やはり事件の連絡も、報告も入っていない。

「こんな日は家でしっかり休んでおいて欲しいんだが」

 やがて、奥の部屋からチーフの巨体が滑り込んでくる。「どうも嫌な予感がしてな」

「何がです?」

「またアイツの臭いがする」

「アイツ?例のイモムシですか?」

 ニックが問う。

「そうだ。このところアイツは大人しかった。何か企んでいるに違いない」

 そこに別の同僚、トムが入ってくる。

「何か、ありましたか?」

 トムはいつも小奇麗な格好をしている。喋り方にも品がある。おそらく今日も最寄りの女の家からの御出勤だろう。

「スチューが到着したら二班に分かれてパトロールだ。しかしくれぐれも警察とは揉めるなよ。余計な仕事が増える」

「了解」

 私たちは早速作業に掛かる。


 イモムシ。もちろん我々サイドの俗称。殺し屋集団「バタフライ」のボスだが、実際の情報はごく限られている。つまり闇に隠れ、社会秩序を食い散らすと云う意味で「イモムシ」。我々はそのイモムシを追っているわけだが、連中の手に因る事件がこれまた大小多岐に亘る。個人レベルから国家テロ関連まで、そして怨恨の線から政治的因縁までだ。バタフライの傘下には更に多くの殺し屋集団が在り、それぞれが自分の得意とする仕事をその都度請け負い、実行している。


「しかしよ。パトロールたって、何をどうパトロールすればいいんだ?」

 早速ニックが愚痴をこぼす。私は黙ってホバークラフター(マニュアル車)のハンドルを握る。

「考えてもみろよ。この街は、いや、この国は不平等と理不尽に溢れてる。奴らみたいなのがいなけりゃやっていけないってのも道理だぜ」

「車内音声はオフっとくか?」

 私は一応尋ねる。

「そうしてる」

 こう云うところに抜け目ないのがニックだ。「それに…」

「何だ?」

「いや、何でもない」

 ニックはシートの角度調整を始める。「さっさと済ませちまおうぜ。こちとらまだ朝飯も食っちゃいねえんだ」

「年上の彼女はどうした?」

「あんなババア、とっくに追い出してやった」

「追い出されたんだろ。道理で最近一番早いわけだ」

「うるせえよ」


 ニックの言わんとしている事は分かる。確かに現「臨時政府」の施策には納得いかないところが多い。税金対策と称して国民をレベル分けし、公共サービスでさえ区分がある。そしてその受け皿施設もまた、実は政府の下請け企業であり、結局はがっちりとした搾取体制が出来上がっていると云う仕掛けだ。まったく「公共」が聞いて呆れる。

「おい、ジョグ」

 無線が入る。「弐」班のスチューだ。「コソコソ何話してるか知らんが、仕事はちゃんとしろよ。お前らの尻拭いまでは御免だからな」

「ああ、すまん。そっちの状況はどうだ?」

「特に。とりあえず地下街は異常なし。上に上がるか?」

「いいのか?」

「チーフが話をつけてる。再来年はいよいよオリンピックだ。準備委員会も雪辱を掛けてるからな、テロ対策は最重要課題だとよ」

「まあ、そうだろうけど」

 私は応える。

「よう、スチュー。女房と養子(こども)は元気か?」

「あ?何だ、ニック。お前、声ガラガラじゃねえか」

「生まれつきだよ、馬鹿野郎」

 私たちは早速上に上がる準備をする。バイザーを掛け、標識パネルをONにする。

上へは申請許可が要る。紫外線と大気汚染対策とは云うが、内実はあからさまな選別施策だ。事実、地上の高層ビル群に住めるのは一部の富裕層と話が決まっている。

「おう、何週間ぶりだ?お天道様を望めるのは」

 ニックが満更でもない声で言う。それと同時に、地上へと続く特別ゲートの扉が音もなく開く。「天国の門だぜ!」

 瞬間私にはニックが羨ましく思える。もしかしたらヤツこそが、この閉ざされ、虐げられた世界で唯一純粋無垢な存在なのかも知れない。そうとさえ思えてくる。

「ジョグ、先に上がるぞ」

 スチューからの通信。

「了解。後に続く」

しばしの隧道運転の後、途端に目の前がくらむように明るくなる。私もバイザー越しに目を細めざるを得ない。


( 1 )

 陽の光を浴びながら、私は前回地上に上がった時のことを思い出そうとする。しかしそれは叶わない。私の記憶には制限がある。もちろん記録を検索すればその面影らしきものは甦る。しかしそこまでだ。私にとっては許可対象以外の記憶は常に消去され、更新されるのが当然。つまり過ぎ去っていくだけだ。ニック流の言い方では、私の頭はザルそのもの、と云うことらしい。

「覚えてるか、ジョグ。前回の事件はビル最上階での痴話喧嘩だったな」

「そうなのか?」

「まあ、忘れるほど下らない事件だったからな。結局痴情のモツレってやつだ」

「犯人は?」

「処分した」

「ルートは?」

「もちろんイモムシだよ。奴は既にこの業界の総締めだ。殺し屋連中も無暗矢鱈なマネはできなくなった」

「しかしチーフの勘は?」

「おそらくイモムシが更にデカいことを考えてるか…」

 ニックは私に思わせぶりな表情を向ける。「イモムシを喰っちまおうって馬鹿がいるかだ」

 なるほど。ニックもたまには面白いことを言う。

「しかし、そんなことを企てたら、それこそ自分が狙われるだけじゃないか」

「だからだよ」

「何が?」

「俺たちがこうやって陽の当たるところをパトロールするんだろ」


 私たちは今のところ、社会の闇に巣食う殺し屋連中を捕獲、処分することにその使命があるわけだが、メンバーの一人一人がそれぞれ過去に「ゼロ機関」から改造実験を受けている。その事情もおそらくまちまちだろうが、内容からして皆それなりに深刻な事情を抱えていることは想像に難くない。私の場合は…。その記憶も綺麗さっぱり消去されている。つまり、そう云う事情(こと)なのだろう。

「ジョグ、どうだ?何か感じるか?」

 私たちは今、以前ミヤマエと呼ばれていた地域ブロックの一角にいる。ニックに言われて私は改めて感覚をスウィッチする。目の前には整然としたビル群と、そこから伸びたトラフィックケーブルが見える。人の存在は潮騒のように伝わってくるが、そこにネジレは感じられない。

「何もない。キレイなもんだ」

「ふん。ここの連中はネジレどころか何も考えちゃいないのさ」

「聞こえるぞ」

 私たちは車に戻る。それでなくてもこの旧然とした車体は周囲に目立つ。むしろこちらが狙われても仕方がないくらいだ。何故チーフがわざわざこんな車を使用させるのか未だにその意図は分からない。

「俺だ」

 トムの声。「確かに何か妙だな」

 私たちはインカムに耳を澄ます。「どう云うことだ?」

「何かキレイ過ぎる。そう思わないか?」

 そう云えばそうか。上界は政府が認可した居住区。出自確かで品行方正な人間がほとんどとは云っても、これはいささか不自然過ぎる。

「スチュー、やはり何か起きそうな気配か?」

「さあ、今のところは。だが街と女は見た目じゃ分からん」

「おお、言うねえ。トムも顔負けじゃねえか」

 すかさずニックが茶々を入れる。

「よし、一旦別ブロックへ移動するぞ」

 無骨なスチューの声に皆が反応する。

 私たちの車はホバリング上昇から飛行モードへと移行する。地下ではほとんど走り回るだけだが、此処は先の震災以降交通網が分断されている為、運転にはやはり集中を要する。高いところが苦手なニックはこの時ばかりと口数が減る。そして眼下には普段拝めない天然緑と、黒い火山灰土が広がって見える。私には至れり尽くせりだ。

 スチューは近未来を予測する力(フォルス)を持っている。トムは拡張聴視能力。そして我らがニックはテレパシー(!)が使える。それぞれの過去についてはお互いに知らないし訊かないことにしているが、その力の発動を目にするとついその事を考えてしまう。それはきっと皆も同じだろう。

 因みに私たちはチーフを除いて皆日本人だ。そしてどうやらこの近隣ブロック出身者で構成されているらしい。私のように顔や記憶まで改造されるならどこの出身でも関係なさそうに思われるが、まあ実験人間は日本中どこにでもいる。そう云うことなのだろう。


 突如アラームが鳴った。チーフからだ。

「トアケ・ブロックで事件だ。仲間がやられた」

「誰です?」

「カナンだ」

 カナン。聞いたことがない名前だ。知らない男だろうか?

「ふた班とも急行。気をつけろ。相手も力(フォルス)を使う」

 声にならない動揺が車内を包む。チーフとスチューの悪い予感は当たったようだ。トアケ・ブロックは少し戻ったところにある政府関係者の居住区。整備されている分、警備体制は厳重なはずだ。しかしそのカナンと云う同業者はそんなところで何をしていたんだろう?

「きな臭えな、全く」

 ニックがぽつりと言った。


 カナンは公園の中にある小さなクライミング・マウンテンの上であおむけに倒れていた。目を開けたまま、まるでふざけた子どもが遊具の上で空を見上げているような格好で。

「こうはなりたくねえな」

 最悪のタイミングでニックがそう呟き、合流したスチューからすごい目で睨まれる。

「俺はヤツをよく知っている。腕も良かった」

「日蔭者とは云え、俺たち『マンハント』を狙うなんてな」

 トムが言う。

「ちょっと待て」

 ニックが小さく叫び、周囲を見回す。すると遠く公園の周りに十名余りの男女がぽつりぽつりと間隔を空けながら立っているのが見える。

「何だ、あいつら」

「トラブルはなるべく回避だぞ」

 スチューが言う。

「言われなくても分かってるよ」

 ニックがにやけながら応える。「ん?」

「どうした?」

 その瞬間、私の身体は重厚かつ強烈なプレッシャーをその全身で受けとめる。これは…テレキネシスか?

 現実は夢よりもイリュージョンだ。


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