決闘令嬢は初恋を殺す

不来方

決闘令嬢は初恋を殺す

「セレスティーヌ嬢、君との婚約は破棄させてもらう!」


 突如響き渡ったその大声で、賑やかだった広間は突然静まり返った。

 ああ、とうとう来たのか、と思いながら、私は冷ややかに発言者を見つめる。彼はニコラ、この王国の第三王子にして私の、セレスティーヌ侯爵令嬢の婚約者。


「……そして私はこのエリザベート嬢と結婚する!」


 彼の隣りにいる、小柄な少女をちらりと見る。エリザベート伯爵令嬢。ちょっと内向的で大人しい性格だが、ひっそりと咲く花のような美しさだと評判の子だ。

 ちょっと青ざめている所を見るに、婚約破棄にノリノリという訳でも無いらしい。王子と仲良くなってしまったが、本人としては一時の恋で終わらせるつもりだった、そんな所だろうか?

 そりゃ伯爵家から侯爵家への宣戦布告みたいな物だから、彼女としては考えられないでしょうね。王子からすれば臣下の力関係なんて、良く分からないのかも知れないけど。


 別に、婚約さえなければ素直に譲っても良かったのにな、と私は心の仲で思う。状況を見れば分かる通り、私と王子は最近険悪な仲だったから。


 婚約したての最初の頃はそうではなかった。彼はきれいなブロンドの髪と碧い目をしていて、子どもながらにときめいた事は否定できない。

 ちょっと臆病で、かっこよさはないなあなどと後から感じたが、別に悪人だったりはしないし、政略結婚ならむしろ恵まれてる方だと思っていた。勝ち気な私がその分彼を支えてあげられれば、良い夫婦になれるのではないか、と。


 それがギクシャクしだしたのはいつだったか、確か一番最初は狩りについての話題を私が振った時だ。

 昨日王子が初めて狩りに行ったと聞いたから、様子はどうだったか聞いてみたら目をそらされて、明らかに言葉数が少なくなって。

 後から聞いた話だと、その時の狩りで彼は何も仕留められなかったらしい。貴族や王族の狩りといえば全部御膳立てがされていて、召使いが目の前に動物を追い込んでくれたりするものなのだが……。


 ただ、その時の私は別にただ単に悪いことしたなあと思っただけだった。銃の扱いは意外と難しい。まっすぐ狙うだけでも中々コツが要る。

 確かに狩猟の才能は無いのかも知れないが、これから練習していけば良いし、何より人間の価値なんてそんな事では決まらない。

 次に会った時はそれとなく謝って、別の話題を振ろう……そう思って以降、彼が私を避けるようになった。余程気にしていたらしい。


 たまに会ったかと思えば目線を逸らされたり、挨拶を交わすだけで終わるなら良い方で、もっと長く話をしようとすれば断られた。

 一度だけそれでも引き留めようとした事があったが、彼は明らかに苛ついた様子で、ほっといてくれと言い残して立ち去ってしまった。

 他人にそんな風に扱われた事のない私は、しばらくその場で呆然としてしまったものだ。そんな状況がもう数年。

 だから、王子がどうにか婚約を解消しようとしていると噂が立ったときも、ありえないと否定しきれない自分がいた。


 まさか、来ないと思っていた我が家主催のパーティに乗り込んできて宣言するとは思わなかったけれど。


 「国王陛下と、君のお父上には私から話す。了承してくれるね?」


(国王陛下にすら話さずに宣言したんかい!)


 思わず心のなかでつっこんでしまった。いや、事前に話を通そうとしても止められるに決まっているというのはそうなのだが。

 彼は第三王子だから王位を継承する可能性は低いし、野心とかもあまり無い事を私は知っている。だからいっそ大事にして悪評でも立てられた方が婚約が有耶無耶になる可能性が高い、とでも思ったのかも知れない。

 計算高いのか衝動的なのか判断に困ってしまう。そもそもそれ、私と侯爵家もその悪評に巻き込まれるでしょ。非がなくても騒動に巻き込まれれば噂は立つものだし。


 色々と思う所はありすぎたが、このまま無言という訳にもいかない。仕方なく私は口を開いた。


 同時に、お父様が不在で良かったなと思っている。そうでなければ……こんな事はできなかっただろう。

 折角相手からの宣戦布告なのだ。私も好きにやらせてもらおう。


「……わかりました。ただし」

「ただし?」


「私と決闘して頂きます」

「なっ……!」


 ほっとして、怪訝な顔をして、驚愕した彼を見ながら、私はにこやかにそう告げた。部屋の隅に控えていた召使いを手を叩いて呼ぶ。


「私の部屋からアレを取ってきて」

「かしこまりました」

「ちょっと待ってくれ! 決闘するって、君と、僕がか?」

「当たり前ではないですか?」


 召使いが戻ってくるまでには数分かかるだろう。私は今のうちに彼との会話を楽しんでおくことにした。

 何しろ決闘となれば、どちらかが死ぬかも知れないのだ。そうしたらこれが最期の会話という事になる。


「公衆の面前で私は恥をかかされました。私だけでなく侯爵家も。ですから私は恥を濯がねばなりません。武家の娘として」

「だからって、そんな……非常識だ!」

「突然婚約破棄を宣言するのとどちらが非常識なのでしょうね?」

「うっ……」


 非常識だという自覚があるのを見て、思わず少し安心してしまう。


「ご心配なく。代理人など立てません。私が直接王子のお相手をいたしますから」

「そういう問題じゃない! 僕が言いたいのは――」


 そこからは大した意味のない押し問答になってしまった。私はあくまで冷静な表情を崩さないようにしながら応対する。

 数分でも、王子とこれだけ長いこと話したのはいつ以来だろう。あの狩猟の会話をする時以来かも知れない。

 冷静でないと一人称が『私』から『僕』になってしまう癖は、結局治らなかったんだなあなどと考えていた。

 昔はそれも可愛げ、というか子どもだったから文字通り可愛かったのだが、大人となった今となっては欠点だな。もっと注意してあげれば良かっただろうか。


「持ってまいりました」

「ご苦労さま。広げて見せてくれる?」


 戻ってきた召使いが、こぶりなケースを開けて見せてくれる。中にはピストルが二丁入っていた。きれいに整備され、金メッキで彫刻が施されている。


「王子には持ち合わせが無いでしょうから、我が家の武器を使わせて頂きます。細工などしておりませんが、お好きな方をどうぞ」

「……」

「この場で決闘を受けて頂けるなら、婚約を解消して頂けるよう、私からもお父様にお話いたしますわ。ここにいる皆が証人です」

「……もし、君が死んだら」

「私は王子を恨みません。神にかけて誓います」


 本人同士が合意の上でとなれば、婚約破棄にも多少は正当性が生まれるかも知れない。

 正直ここまで追い込んでも受けてもらえるかどうか不安だったが、最終的に彼は銃を取った。




 屋敷の外に出てみたら、程よく涼しく風もないので私は安心した。決闘するからには一応、風で弾が反れるなんて事は無い方が良い。屋敷から漏れ出る光のおかげで、彼の顔もよく見える。

 そっと上を見上げてみる。上階の窓やバルコニーから、パーティの出席者だった貴族達がこちらを覗いている。あの紳士淑女らがこの決闘の見届人という訳だ。

 思えば面倒な事に巻き込んでしまったが、決闘の目撃者ともなれば当分社交のネタには困らないだろうし、勘弁してもらおう。


 王子が銃の装填を終えるのをまってから、私は上の観客にも聞こえるように言った。


「私があちらから、そうですね、30mほど間を開けてから王子に向かっていきます。王子はお好きなタイミングで撃って頂いて結構です」

「もちろん君も好きなタイミングで撃つことができる訳だ」

「はい。一度で決着をつけましょう」


 今私達が持っている銃は一発しか弾が込められないアンティークで、その上精度があまり高くないから、正直近づかないと当たらない。

 だから距離を縮めていって当たると確信した距離で撃つわけだ。待ちすぎれば先に撃ち殺されてしまうかも知れないから、どこで撃つかは本人次第になる。

 そして、ルールはあえて王子に若干有利にしておいた。歩いて近づく私に対して、王子は立ったまま待ち構える事ができる。決闘の作法に乗っ取るなら、本来はお互いに歩いて近づかなければならない。

 それが分からなかったのか、あるいは受けて立つ側だから当然だと思ったのか、王子は何も言わなかった。


 沈黙を了解だと受け取った私は、青ざめている王子に背を向けてゆっくりと歩いていった。

 正面の空には満月が輝いていて、歩きながら見入ってしまう。自分で始めた筈の決闘なのに、なんでこんな事してるんだろうという思いが湧いてくる。


 正直な所、私の立場からすればこんな事をする理由はない。

 何をどう考えてもこの場で悪いのはニコラ王子の方だ。私が何もしなくても、恐らくエリザベートとの結婚は叶わない。本人達がどう言おうと、こんな無道で王家、侯爵家、伯爵家の全てが得をしない結婚など通らない。

 その上で私が泣いて王子の非道を訴えれば、彼は破滅する。王族としての地位を失うか、気が狂ったとして幽閉されるか、あるいは両方か。王家が侯爵家に詫びる意味でも、彼は切り捨てられるだろう。

 だが私は王子に別れ話を切り出されたら、決闘しようと決めていた。この手で彼を殺したかった、訳ではない。良くわからないままそうしようと思っていた。


(ケリをつけたかったんだな……)


 要は思う所が多すぎたのだ。それが政略結婚で、子どもの頃の思い出に過ぎないとしても、彼は私の初恋の相手だった。

 この人だったら結婚しても良いなあと思える相手だった。心を許せると思った相手だったのだ。

 それが恐らく事が起これば、二度と話す機会はないだろう。私が遠ざけられるのか、彼が破滅するのかはさておいて、顔を合わせる事すらなくなる筈だ。

 私が何もできないうちにそうなってしまうことが、私は許せなかった。いっそ死んでしまっても良いと思うぐらいに。


「……この辺かな」


 私は立ち止まった。ドレス姿のままなのでそっと振り返る。

 王子が躊躇いながら銃を構えたのを見て、私はなるべくゆったりと歩き出した。月のおかげで気持ちの整理はできたけど、流石に心臓が高鳴ってくる。


(あの時もっと違った話をしていれば)


 狩猟の話なんて持ち出さなければ、こうはならなかったのかも知れない。だが無理だっただろうなととも思う。

 王子にも、周囲にも話していない事だが、私は銃の扱いが得意だったから。




 私の父、侯爵は王国でも最も功績のある軍人だ。そして侯爵家自体も代々軍人を排出する名門だった。

 だからなのか今となっては思い出せないが、小さい頃の私は屋敷に飾られている銃に興味を持った。まだ五歳の頃だ。

 その時の私は既に始まっていたお勉強と花嫁修業にうんざりしていて、将来は軍人になりたいとお父様にお願いした。

 お父様はふっと笑った後で、一緒にいる時しか銃に触らないという誓いを立てさせた上で撃ち方を教えてくれたのだ。


 的を狙い、当たった時の感覚。それはとてもいい気晴らしになったが、もちろん他言無用とも決まった。ピストルやマスケット銃を振り回している侯爵令嬢など、外聞が悪すぎる。


(あの時私は誓いを破ろうとしていた)


 王子まで後20m程度だろうか。未だに撃たれる気配はない。


(秘密な都合上私も流石に狩りにはいけなかったから、話を聞いて、実は私も行ってみたい……なんて)

(共通の話題を作ろうとして、結果として王子の弱い所を突いてしまった)

(いや、まあ、元から好かれていなかったというのもあるかも知れないけど)

 

 距離は15mを切った。

 

(あるいはもっとおしとやかにするべきだったのかしら。エリザベート嬢のように)

(着飾って、楽器でも演奏して、もちろんこんな事になっても決闘なんて考えることすらできなくて)

(いや……無理かな)


 10m。短い破裂音がした。


 王子の撃った弾は私の左1m程を通っていった。直接見るのは初めてだけど、確かに下手だなと思ってしまった。

 撃つならせめてハートとは言わなくても、体のどこかにぐらいは当ててくれると思っていたのに。

 私はため息をつきながら立ち止まって、銃を王子に向けた。


 たとえへっぴり腰で大外れな撃ち方でも、一発は一発だ。


(撃たれて打ち返さないなんて、私の柄じゃないから)


 発射音と共に、金属音が鳴り響いた。

 私の放った弾丸は正確に王子の銃を弾き飛ばしていた。彼がその場にへたり込む。


「さようなら」


 すれ違いざまにそう告げて、私は屋敷の中へと戻っていった。




「この度は、大変なご迷惑をおかけして……」

「いや、まあ、過ぎたことだとは思っているのだけど」


 ティーセットの向こう側で、エリザベート伯爵令嬢が私に向かって頭を下げている。


 今回の決闘はもちろん、大変な騒動になってしまった。

 話を聞いてお父様と王はひっくり返った後、どう収拾をつけたものか数日悩み抜いた末に結局私と王子の婚姻を解消すると決めた。

 王子はひとまず謹慎、私も侯爵領に引っ込むしかなくなった。既に王都では有形無形の噂が数十種類流れているらしい。

 そしてありがたい事に、私には『決闘令嬢』というあだ名がついた。おかげで以前まで付き合いのあった友人達は誰も訪ねに来ない。機嫌の悪い私に撃ち殺されるとでも思っているんだろうか?


 そして、このエリザベート嬢も……今回の騒動の結果として、なんと王子を含めて三股をかけていた事が発覚した。もちろん彼女の婚約者はそこに入らない。

 恐ろしい事にかけられている側はその事実を最近まで知らず、誠実そうな顔で実は貴方のことだけが、とか言われて舞い上がった末に暴発したという事になる。


(とんだ高嶺の花だったわね)


 今更ちょっとだけニコラ王子に同情してしまう。

 当然伯爵家でもすったもんだがあった末に婚約解消、私にも今回の原因の一人として平謝りに来たというわけだ。

 ここまで来ると、私に直接顔を合わせられたその神経を褒めるべきかも知れない。少なくとも誠意はあるという事で。


「到底許して頂けるとは思いませんが、父は我が家に差し出せる物があれば何でもと……」

「差し出さなくていいから、貴方にお願いがあるのだけど」

「はっ、はいっ」


 彼女の背筋が伸びるのを見て思わず苦笑してしまう。そうか、あの決闘は彼女にも見られていたんだった。


「今決闘しろって言われると思った?」

「え、いえ、えーと……」


 図星だった。私はどれだけ好戦的な女だと思われたんだろう。あんな事一回で十分なのだけど。


「そんな事は言いません。貴方も今お暇でしょう? だからたまに話し相手になってくれれば良いなと思っただけです」

「そ、そんな事でしたら喜んで!」

「良かった。当面王都にも戻れないだろうし、退屈だったから」


 正直な所本当に助かる。領地の屋敷では召使いとしか会話できないし、蔵書も大抵読んでしまっていた。後は射撃の腕に磨きをかけるぐらいしかやることがないのが実情だったのだ。


(いや、むしろチャンスか?)


 ここで、邪な考えが閃いた。今の彼女は私に逆らえない訳だし、どうせなら射撃の時間にも付き合ってもらおう。

 私だけが撃つにしても、隣に召使い以外に誰か居てくれれば張り合いがある。何なら初めて狩りに出かけてみても良い。今更評判を気にしてもしょうがない。


「ところで貴方、銃を扱った事はある?」

「いえ、無いです……けど」

「けど?」

「……少しだけ興味は」


 私はちょっと驚いてしまった。男女関係はまだ別として、エリザベート嬢といえば本物の箱入りお姫様の筈だった。趣味は裁縫とピアノとも聞いている。

 ピストルなんて、あの一件以外では見たこともほとんどなかっただろう。口先だけ合わせているようにも見えない。


「その、あの月明かりの中で、セレスティーヌ様のお姿を見て……かっこいいなと、思いまして」


 なるほど、これで人を落としてきた訳か。それとも本当にそう思っているのだろうか? まあとにかく言質はとれた。

 私は自分でも最近覚えがないぐらいにっこりとして言った。


「今からでも、少し触ってみましょうか?」

「よろしいのですか?」

「汚れるだろうし、一旦動きやすい服装に着替えてもらったほうが良いと思うけど、それで良ければ」

「それでしたら、喜んで」


 婚約者と評判を失った代わりに、同好の士(仮)を手に入れられた。

 とりあえず差し引きとしては悪くないし、あそこで決闘して良かったと、私は今初めて思えた。

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