フィッシュ&ナッツ

雪後 天

1 ストア&パートナーズ


 今日もまた買ってきた。当たり前のように。ポリポリとカリカリ。そんな音を数分後に立てるものを、一袋。

「あ、いつものだ」

「そ、いつもの」

「飽きないの」

「飽きないよ」

 コンビニエンスストアに駐車していた軽自動車の助手席におさまると、岩清水菜都はトートバッグから真っ先に小袋を出した。今日の彼女が着ているのとほぼ同じ、地味なベージュの袋を。開け口をピッと割いて、ウェットティッシュで拭いた掌にパラパラと中身を少し出す。実にスムースな流れで、彼女は口に放りこんでポリポリカリカリと噛みしめる。飽きることなく習慣化している、と運転席の片口亜門は理解する。ペイズリー柄の派手なシャツは主張が激しいが、言葉は呑みこむ。。

「『フィッシュ&アーモンド』だっけ? 菜都の好物」

「このコンビニのは『フィッシュ&ナッツ』って名前だよ。場所によって商品名というかブランド名というか、兎に角名前が違うの」

「中身は同じだからいいじゃないのか」

「そりゃあそうだけど、『アーモンド小魚』とか『ナッツとフィッシュ』とか、いろいろその場その場で名前があるの。あ、『小魚ッツ』って駄洒落っぽいのもあったよね。お店のブランドによって内容量も微妙に違うし、値段も違うし。ここのフィッシュ&ナッツが一番バランスがいいかも。コスパ、とは違うか」

 少々呆れたような亜門の問いに答える合間にも、菜都はポリポリと食べ続けている。

「僕にはそういう細かいことはわからないけどね……でもなんでいつも魚と豆なの。いろいろあるじゃない。ミックスナッツとか、ナッツとドライフルーツが一緒のパックとか」

「いいじゃん必要なんだから。魚と豆」

 そう答えると、菜都は23g入りの小袋に入っていた最後の一団をよく噛み、飲み込み、菜の花の刺繍があるトートバッグから続けて出したペットボトルのお茶を飲んだ。

「ナッツ&フルーツがいいって人がいるのはわかるよ。でも、あたしは別。フルーツはフルーツで愛でたいの」

「まあ、僕はフルーツだけ愛でていたいなあ。でも、どうして魚とナッツなのかな。どういう取り合わせなんだろう。最初に考えたのは誰かなあ。魚は豆を食べないよね」

 菜都から見て、亜門は時々よくわからない方向に考えが及ぶ。

「豆を育てるときに魚を肥料に使うのかもよ。わからないけど」

「君は細かいのか大雑把なのかよくわからないなあ」

「あんたもそうでしょうに」

 亜門は亜門で、マイペースで大らかであまり細かいことを気にしないようでいて、変なところから疑問を抱く癖がある。菜都はそれらしい理屈で亜門を納得させることも必要な時があると、これくらいの付き合いで学んでいた。

「あたしは、健康のためにもこれが必要なわけ。魚と豆が」

 そう言って菜都は、空になった小袋を振ってみせる。

「血液検査で善玉コレステロールが足りないって言われたんだから。ほかは悪玉コレステロール大丈夫、血糖値大丈夫、体脂肪率大丈夫、体脂肪率大丈夫、血小板大丈夫」

「なんで体脂肪率だけ二回も言うの」

「大事なことだからじゃない。あんたはどうなのよ」

「僕だってその、善玉コレステロール大丈夫、悪玉コレステロール大丈夫、体肪大夫」

「なんで体脂肪率だけ略すのよ」

「大事だからだよ」

「オーバーしているという意味で?」

 しばし、車内が沈黙に包まれた。

「あれ、どこかの国ではフィッシュ&チップスとか言うんだっけかあ……違ったっけ、まあいいや。ところでさあ」

 話題は唐突に変わる。

「今度のライブ大丈夫だよね」

 平行して前方を見ていた二人が、一瞬顔を合わせる。そして、また、前方を向く。

 亜門は趣味でバンド活動をしている。『アウトバック』という5ピースのインストゥルメンタルバンドで、ギターを担当。車のシートに深くだらりと腰掛け、気の抜けた声色で話す彼がどうしてこうなるのかというくらい、鋭く熱がこもった音色のギターを弾く。

 バンドの腕前は悪くない。寧ろ、アマチュアにしてはかなりレベルが高い。菜都はそんなに音楽に詳しいわけではないが、それでもなんとなく玄人はだしくらいの力がこの音にあるのではないか、というくらいは感じていた。単純に、心を動かされた。

職場でへまをした帰りに、友人に連れられて、彼女の知り合いのバンドが出ている市内のアマチュア音楽祭を聴いたところ、たまたまそのステージに出くわした、あの時から。

 インディーズじゃないレーベルから誘いがあったともいう。でもそれはずっと前、今よりも音楽のソフトが売れていた頃の話だけれども。それを菜都が教えてもらったのは、つい最近の話だった。なんですぐ言ってくれないのか、自分の仕事の繋がりで売り出すこともできたかもしれないのに、と言っては見たものの、

「それで、いいんだよ。今の仕事が一番だもの」

 と言われただけだった。

 でも、菜都から見ればとても亜門の今の仕事が儲かっているようには見えないし、言っては何だがそんなに彼が要領よく仕事をできているようにも見えない。のんびりしすぎて客商売に向かないのではないかと思うくらい。

一体何が彼にとって「一番」なのかわからないし、彼と仕事がマッチしているかどうか怪しい。「ぴったり」と言っているのは本人だけ。普段もステージ衣装同様ポップな色使いで派手だが、性格はいたって地味。

 バンドでギターを弾いている時の彼の方が、行動と精神がマッチしていると思う。だって、友人に連れられて行ったあのライブで、その音を聴いたとき、その音を奏でている彼を見たときに、初めてそう感じたから。

 菜都はこのとき、亜門に惚れたのか、亜門の音に惚れたのか、正直なところわからなくなっている。そして、今に至る。

 ずっとこんな関係が続けばいいのに……なんて、思わない。変化が、欲しいかも。そういう状況。

 それこそナッツと魚が一緒の袋に入っているような、思い直してみると変な組み合わせではなかろうか。組み合わせ、変えなくていいの? そんな怖い疑問が湧いてくる。特に、この頃は。

 ……という心境を、隣のシートの男は分かっているのか。分かっていたら今そうしているように変な鼻歌は歌わないはず。

 菜都は、空になっていた筈のフィッシュ&ナッツの袋をつい掌に向けて振ってしまう。そして、決まり悪い感情をなかったことにするように、ああ、まだ質問に答えていなかったなと思い直す。

「行くって言ったじゃない」

 の言葉に少し遅れて亜門が笑みを浮かべたのが見えたが、菜都は続けた。

「久留美も一緒だよ」

 その言葉に対して亜門が「え」の口を作りかけていたように菜都には見えたが、見なかったことにする。トートバッグ内にもう一袋フィッシュ&ナッツがないか、確認するふりをした。お客さんは一人でも増えた方がいいと言っていたじゃないか、という思いと、なんだやっぱりあたしだけに来てほしかったんじゃない、という妙な安心感が脳内で喧嘩をしながら、ないと分かっている筈のもう一袋を探す振りをして誤魔化す。

「そ、そうなんだ。まあ、お客さんは一人でも増えた方がいいもんね」

「いつものことじゃないの」

 予想をなぞるように亜門が答えを返してきたから、菜都の側もいつもの返しをしてみた。友人の久留美とは、もともとあのバンドに連れていってくれた、恩人でもある。だから亜門のライブのときには一緒に行くことも多いのだけれども、何が引っかかるのか菜都は気になった。

「いや、その」

 亜門がゆっくり視線を落としたぶんの間があって、

「君に捧げる曲、やるから」

 と続いた。下を向いている間に顔面のサーモグラフが赤くなっていそうだ。でも、菜都はつとめて青くらいのグラフで検知されそうな言葉を返す。

「まだ言ってる。この前聴かせてもらったバラード、趣味に合わなかったんだけどな」

 本当は嬉しい筈だ。わざわざ作ってもらったのだから。こっぱずかしさもあるけれど嬉しさが勝っていたはずだ。でもその天秤の外側に、靄がかかった感情がある。少し前に会ったときに試作版を聴かせてもらったら、なんだか素直に受け入れられなかった。それこそナッツの中に魚を放りこむよりずっと違和感があった。せめて歌詞があればまた違って聞こえたのかもしれないけれど、亜門は楽器はうまく弾けるのに歌はあまりよろしくない。亜門の控えめすぎる普段の口ぶり同様に、あの「君に捧げる曲」のときは他の局の時と違って、音色が急にトーンダウンしてしまったように聞こえたのだ。

 確か曲を歌い終えた亜門は気まずい間の後に「ま、まあ試作品だから。本番までに作り直せるし」と言っていたと菜都は記憶している。だからまたその言葉をここでも返してくるかと思ったら

「兎に角、ライブよろしくな」

 とボリュームの下がった返答が来た。ペイズリー柄の色彩がちょっとくすんだようにも見えた。

「うん、期待、している。その前に、仕事の方をちゃんとしなよ」

「行く」とは、言っていない。

 チケットは既にもらっているけど。でも曲はできていないじゃない。いつも答えを先送りするんだからあの男。そんな言葉を、もうなくなったフィッシュ&ナッツの代わりに飲みこむ。

 職場の近くで降ろしてもらい、離れていく車に手を振って、トートバッグを畳んで鞄に入れる。

 周りにお似合いと言われはしたけれども、実際どうなのだろう。趣味、いろいろ合わない。テンポ、いろいろ合わない。地味と派手、やはり合わない。

なんで、こんな男と一緒にいるんだろう。


(1/4回)

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