第37話 悪い人ではないらしい
ギギギッと音が立つんじゃないかと思う程、なめらかさとは正反対の動きで、彼女の顔がリュックから僕の顔の方に上がる。
ダラダラと顔に汗を掻いている。
大汗だ。
間違いなく自分が強引だった事を自覚している上に、それが非常識だったと気付いたような顔だった。
「だ、だって、こんなところに人がいるから」
「たしかに他に人の気配はないですし、立地的にも気軽に来れる場所じゃあないとは思うけど、来る人は来るんじゃあ?」
「だから! そういう人たちは大体過去の遺物を求めるトレジャーハンターくらいなのよ!」
僕が小首を傾げると、開き直りとしか思えない勢いで、彼女がクワッと言い返してきた。
だから、仕方がないでしょ、疑うのも!
今にもそう言い出しそうというか、そう言いたいのをギリギリ理性でグッと胸の内に抑え込んでいるように見える。
「ここまでの道中に、そういう話もまったく聞かなかった訳じゃあないですけど」
「そうでしょ?!」
「そういう人って多いんですか?」
「殆どのやつらがそうよ! 『見に来ただけ』とか、歴史的建造物群に敬意を払って、『なるべく荒らさないように』って考えているような人の方が希少で――」
おそらく、色々とうっ憤が溜まっていたのだろう。
僕の質問に怒り交じりの早口を浴びせかけてきた彼女は、話途中でハタと自分の状況に気が付いたらしい。
「そうなのか」と妙に感心というか、納得している僕と目が合うと、ジッと僕の目を覗き込むようにして見る事、数秒。
消え入りそうな声で「ごめん」と言った。
「あんた、そういう感じじゃあないわね。分かるのよ、たくさん会ってきてると」
本当に手段を選ばない人は、注意してきたのが私みたいな弱っちそうな女だけだと見るや否や、横暴な態度になるんだもの。
そう言って、もう一度「だから、ごめんね」と謝ってくれた。
僕としても、暴力沙汰が一番困るし、その次に困るのが妙な因縁の元面倒に巻き込まれる事だ。
素直に謝る彼女を見れば、妙な疑われ方をしたなとは思うけど、どちらもなさそうで安心する。
「いいですよ。誰でも間違いっていうのはありますし」
「……ちょっと、優しすぎない? 何か、大丈夫?」
「え」
何か、ものすごく可哀想な物を見るような目を向けられてしまった。
何故だ。
謎だ。
……と思ったけど、申し訳なさそうに目をそらした彼女が居心地悪そうなのを見て、僕は「なるほど」と理解する。
「どっちかと言うと、ここを壊そうとしてたのは、僕より君の方だったけど」
「んなっ、それは!」
口を開いて、しかし返す言葉が見つからなかったんだと思う。
「うぐぐー……っ」
歯ぎしりと共に、言葉にならない悔しさを滲ませる。
そんな彼女を見て、僕は思わず噴き出した。
彼女もそんな僕につられるように、続けてプッと噴き出して。
「ふふっ、ごめん」
「いえ、こっちこそ」
彼女の顔から、居心地の悪さが霧散する。
意図して意地悪を言ってみたのだが、どうやら正解だったらしい。
「僕は、アルバン。君は?」
「レイディスティア」
「『レイディスティア』……、もしかしてミリドの出身だったりする?」
「あら、知ってるの? ミリドの町を」
たとえば英雄譚や伝説がある地では、偉人の名やそれにあやかった名前の人が多くなる。
僕が口にしたミリドという町には、『レイディスティン』という英雄の伝説があった筈だ。
彼女と名と完全一致とはいかないけど、ここまでよく似た響きならその手の由来があるのかと思って言ってみたんだが、どうやら正解だったらしい。
「うん。旅の途中で傍を通過した事がある。ちょうど、目的地にしていたところの隣町で。あとは本で読んで、かな」
「本? って、もしかしてアルバンってお貴族様?」
「いやまぁ、大したことはないよ」
大した事があれば、こんなところに一人じゃあいないでしょ?
そう言えば、彼女は「たしかにそうなのかも」とすぐに納得してくれた。
「君も旅を?」
「うーん、そうね。旅とも言えるし、修行とも言える」
「修行?」
何だろう。
たとえば「強くなりたい」とか、「目標達成のためには鍛錬が必要」とか、そういう類の話だろうか。
それにしては、彼女は少し軽装過ぎるような気もする。
そんな僕の疑問にすぐに気が付いた様子の彼女は、笑いながら「別に『名前の由来に恥じないような英雄になりたい』とは思ってないよ? 荒ぶる古代竜なんて、まるで倒せる気もしないし、興味もない」と手をブンブンと振りながら否定した。
「私はね、パン屋になりたいんだ」
「パン屋?」
という事は、今はパン屋になるための修行中という事だろうか。
師に作り方を仰ぎに来た、みたいな。
「パン屋になるためにはパン釜が必要だけど、あれって高いでしょ? 無理だなぁと思ってた時に、ちょうど三十五歳を迎えたのが、ちょうど一年弱くらい前」
「あぁ、もしかして」
「そ。パン釜がなくても、スキルでパンを焼く事ができれば、簡単にパン屋も開業できるでしょ? 売り場になる空き家を用意すればいいだけなんだから」
たしかに彼女の言う通り、特別な設備が必要ないというのなら、開業する事自体はそれ程難しくない。
他の国には「『開業届』なるものを出さなければ、物を売る事を認めない」という、商売に厳格な国もあるけど、この国はそんな事はないのだ。
やりたいと思った時に、始める事ができる。
その代わりすべては自己責任で。
それがこの国の商売である。
「実際に、商人のおじさんに『釜なしで、スキルでパンを焼いている店もある』っていう話を聞いて、『これだ!』って思ってね。で、取ったのよ、スキル。あとは私がいつからやるかっていう問題だけ……だと思ってたんだけど」
言いながら、彼女は胸の前で静かにこぶしを握る。
厳密に言えば、握ったのは首から下げていたネックレスのチャームだ。
ちょうど、彼女の手で握りしめて見えなくなるくらいの大きさの、砂時計。
「そういえば、さっきもそれ握ってたけど、もしかして」
尋ねれば、彼女は苦笑した。
「残念でしょ? スキルをうまく扱えなかったの。お陰でパンを焼くための力は、私の感情が高ぶると暴発する時限爆弾よ」
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