【長編小説】秘すれば花①
Ruca Davis【小説家】
第1章 第1話 『8歳の誕生日』
その日も、激しい雨が降りしきっていた。
独りぼっちで迎えるのは、いくつ目の誕生日
なのだろうか。
雨を眺める度に、自身の誕生日が迫っていることを感じる。
『5、1、2…。』
家にある、時計を指さして少女は呟いた。
まだまだ1人では何も出来なそうな年齢に見える
その少女は誰もいない部屋で新聞紙を丸く切って、もうほんの僅かしか残されていない赤いクレヨンで丸々と美味しそうないちごを描いた。
静かな部屋には、少女の小さい指が赤いクレヨンを走らせる音だけが響く。
その描いたいちごを新聞紙に載せたら、次は丁寧に細かく切り刻んだ新聞紙に息をふっとかけて、宙に舞い散らかせた。
まるでロウソクの火を消すような祈りを込めて。
「どうか、私の願いが届きますように。」
少女は、赤いクレヨンを握りしめ、少し掠れた声で唱えながら祈った。
華和(はな)は驚いた。
なんと3日ぶりに声を出したのだ。
声を出したとしてもそんな日は来ないだろうとも
思っていた。
静かな家には自分以外なにもいない。
雨の音が、窓ガラスを叩き、屋根を伝い、まるで
誰かの泣き声のように響いていた。
じっとしていたら時間が長く感じてしまうから
残っているカップ麺の数を数えることにした。
「1…2と3…」
数は10までしか数えられないけれど家にある
カップ麺も数える度に少なくなり、あともう少しで無くなってしまうことぐらいなら華和にもわかった。
無くなったとしてもどうしたらいいのかさえもわからない。
まだ8歳の華和にはただ、お母さんが早く帰ってくるようにと願うことしか出来なかった。
ある日突然母が沢山のインスタントラーメンや即席のお味噌汁を買ってきた。
家の中の1部屋がそれらのもので埋まるほど
だった。
「お母さん、そんなにたくさんどうしたの?」
少し首元に汗をかいている母を見上げながら
華和は問いかけた。
「んー?お仕事でいろいろ貰ったのよ。
これだけ沢山貰ったなら3年ぐらいはずっと
食べられそうじゃない?」
母は何度も玄関から買ってきたものを運んでは
部屋の中に置いていった。
そこから数日、母は華和にそれらを食べる方法を
教えたり、家のあれこれを話した。
「いい?これは中にラーメンが入っててね。
このポットに水を入れたのが暖かくなったら
この硬いラーメンにかけるのよ。
華和でも出来るはずだからやってごらんなさい。」
母はカップを手に持ちながら、淡々とはなした。
「私でもできるの?」
華和は不安そうに母を見上げた。
「できるはずよ。お母さんがもしもお仕事とかで
居なくて自分でお腹がすいてしまった時、困らない
ようにやってみましょう!」
「うん!できたらすごい?」
「ええ、もちろん。できたら天才だわ。
ほら水を入れてみて。」
「分かったよ。」
「華和、あとはお母さんが仕事でいない時に
誰かが来ても絶対に開けないこと。
母さんの 時は呼ぶから。その時以外は絶対に
鍵を開けちゃ ダメよ?」
「うん、でも穴を見て確認するのはいい?」
「えぇ、いいわ。確認できるのように黄色い台を
置いておくわね。」
「分かった!ねぇ、お母さん、私この赤いイカの
入っているラーメンがすき!」
「お母さんはね、黄色いたまごが好き。」
2人はラーメンを食べながら笑いあった。
華和は最初、短い時間で出来上がるアツアツの
料理たちに歓喜したが、それも長いこと続けば
ただ口に入れるだけ、今となっては空腹を満たす
ためだけのものとなった。
その母の行動からだいたい1週間経ち、華和の5歳の誕生日の日となったのだ。
何でもない日のはずだったのに、
何でもない日のはずだったのに、
華和はその日が忘れられない日になったのだ。
誕生日はいつも通り母の手料理で2人でお祝いを
した。
母は華和が1番好きなミートソーススパゲティを
作ってくれた。
たっぷりのソースで口がオレンジ色になりながらも一生懸命食べた。
にんじん嫌いな華和のために細かく切られた具材
から母の愛を感じる。
「お母さん、おいしいよ!明日も食べたいくらい!」
「ふふふ、ソースが飛び散るからゆっくり食べなさい
ね。お母さんのも食べる??」
「いいの?ぜーんぶぜんぶ食べたい!」
母は優しそうに笑いながら華和のオレンジ色の口をティッシュでふいてくれた。
そして、食べ終わった後には母はプレゼントに新しいクレヨンをくれた。
16色の新しいクレヨンに華和の目もキラキラ
輝いた。
華和は4歳頃から絵を描いたり、図鑑を見ることが
好きで、図鑑を見ながらとてもそっくりに絵が
描ける程だった。
華和はさっそく自分と母の絵を描いて見せた。
2人でおいしいスパゲッティを食べている幸せそうな絵を描いた。
それを見て、嬉しそうな母の目には少し光るものが見えた。
そして、いつもより強く抱きしめてくれた。
「お母さん、どうかしたの?」
「ん?華和の絵が上手になって嬉しかったのよ。
ありがとう。ここに飾ろっか。」
母は絵をキッチン横にある、リビングのコルク
ボードに貼ってくれた。
そのコルクボードには沢山の2人の笑顔の写真が
飾られている。
母の喜びようは、そんなに上手にかけて嬉しかったのかと不思議に思うほどだった。
その後は2人でお風呂に入って、華和はその日
母に抱きしめられたまま、眠りについた。
華和が眠りについてからもしばらく母は頭を撫でてくれていたようが気がした。
その次の日の朝、
華和が目を覚ましたときには母は華和が書いた
似顔絵と共に突然姿を消していたのだ。
5歳になったばかりの華和は、ただ泣くだけしか
出来なかった。
家のどこを探しても母の姿は無かった。
「お母さん…?」
小さな声で呼んでも、返事は何もない。
いつもは、華和が泣くと駆け寄って抱きしめて
くれた母の姿は、どこにもなかった。
「お母さん、どこ行ったの…?かくれんぼ?」
華和はさっきよりも大きな声で呼んでみた。
そして、泣きながら母の部屋へ走った。
いつもは、優しい香りが漂っていた部屋は、
静かで冷たかった。
母の好きな赤い花の絵が飾られた壁を見つめ、
華和はさらに泣きじゃくった。
「お母さん…帰ってきてよ…」
次から次へと涙が止まらない。
そりゃあそうだ。
まだ5歳の彼女にとって母の存在は全てで、
小さい体は無力の塊でしかない。
出来ることは泣くだけ。
そして、泣いていれば、出掛けた母が帰ってきた
時に心配して抱きしめてくれるだろうと思っていた。
でも、母は夜になっても帰ってこなかった。
お腹が空いて、喉が渇いて、眠くて、でも、母が
いない不安が、華和の小さな体を震わせた。
ただ泣くだけで疲れ、眠りにつく。
次の日も、その次の日も、母は帰ってこなかった。
1度は自分で外に出てみようと決心した日も
あった。
少し小さくなった黄色いお花のついた靴を無理やり履いて、玄関の鍵をあける。
ガチャリと聞こえた音に一気に緊張感を覚えた。
ドアの外から、何か音が聞こえる。
それは、誰かの笑い声なのか、それとも、何か怖いものの音なのか。
心臓がドキドキして、息が苦しくなる。
母とした約束が思い出された。
ひとりで外に出たら怖い人につれて行かれて
しまう。
家のなかが1番安全だから絶対出てはいけない。
そんなことを考えているととても悪いことをして
いるような気がして、そして、足の指もどんどん
痛くなってきて、ドアノブに掛けている手をはなした。
母が帰ってくるまでじっとこの家でいい子に
待っていよう。
きっと大丈夫。すぐ帰ってきてくれる。
そう思うことにした。
雨が激しく、雷が強い日は辛うじて毛布にまだ
残っている母の残り香に包まれて、目を閉じた。
目を閉じれば花の香りに包まれ、心が安らいだ。
肩までだった髪も気づけば胸のところまで伸び、
前髪も鼻のところまで伸びてしまった。
以前は母が新聞紙を敷いて切ってくれたが、
今は自分でやるしかない。
キッチンにあったハサミをとり、母が使っていた
化粧代の前で前髪をジョキジョキと切っていく。
切っても切っても横が揃わず、ついにはおでこの
ところまで切ってしまった。
「ふふふ…。へんなの。お母さんだったら
こうならないのに。」
ガタガタの短い前髪を触りながら華和は小さい声で呟いた。
今お母さんが帰ってきたら驚くだろうな。
それとも褒めてくれるんだろうか。
ある日には、体がどんどん痒くなり、心做しか髪の毛も臭い。
とぼとぼとお風呂場へ向かい、蛇口を捻った。
ザーッと勢いよく水が華和の頭の上にかかった。
キャーッと華和は思わず声が出て、お風呂ではなくシャワーが出たことに驚いた。
それも水。
服もひんやり濡れてしまった。
どうやら逆に捻ってしまったらしい。
次こそはお風呂のほうに蛇口をひねり、冷たかった水はそのうち暖かくなった。
でも、お湯はなかなかたまらなかった。
寒い中、待っても待ってもお湯は増えないからもう華和はどんどんムカついてきて、シャワーから
出して入ることにした。
とりあえず洗った。
何で何を洗うかなんてのも全く分からないので、
とにかく洗った。
お母さんが使ってた物を使うのもなんか大人に
なったようだった。
冷えていた体もすっかり温まり、臭いにおいも
しなくなったが、ガタガタで短い前髪は
変わらなかった。
そうして、ずっと待っているうちに着ていた服が
入らなくなり、椅子に乗らないと届かなかった お皿なんかが手を伸ばせばなんとか届くようになった。
また、ある日家の外に郵便屋さんが来ていたこともあった。
配達員はインターホンを押しているが、
不思議なことに中にいる華和には届いていない。
華和はそんなことも知らずに家の中でひとりで
寂しく過ごしていた。
そして、今日8歳の誕生日の日を迎えたのだ。
母が居なくなって1人で過ごす3回目の誕生日。
母が来ていたワンピースを今日は特別にかりて、
母が付けていた口紅を付けてみた。
相変わらず前髪はガタガタだけど、鏡をみて
ニカッと笑ってみたら少し母に似ているような
気がした。
そのあとも一通り、いつもの流れであそんだ。
人形との誕生日会も終わったし、図鑑も一通り
読んだ。
絵も書いたし、お風呂で水遊びもした。
沢山遊んだので、疲れてしまって、また今年もただ眠りにつこうと思った。
その時だ。
「………っ!!」
突然玄関のベルがなり、全身が強ばった。
華和は驚くよりも先に扉の前へ走り出していた。
少し躓きそうになりながらも全力で走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます