英雄の夕暮れ

@rainbowandsun

第1話

「王さん…酒ばかり飲んでないで、肴も食べなよ」


バーの店内は、乾杯の音と喧騒に包まれていた。


「黙れ…クソ客め、十何回もプラン練り直したのに、結局最初の案に戻すんだって」

「あーあ、またかよ。もう慣れっこだろ?」

「慣れるわけねーだろ!徹夜で十何日もかけたのに…全部パーだ」


酔っぱらった男――王はグラスを揺らし、顔を赤くしながら、山の向こうに話しかけるような大声でまくし立てた。


「パーだ!」


ゲップを一つして、そのままテーブルに突っ伏した。


「…王さん、大丈夫か?」

「…へっきょねえ」

「酔ってるなら帰れよ。無理すんな」

「酔ってねえ!こんなもんで酔うかよ」

「酔っ払いの決まり文句だな」

「うるせえ」


一瞬店内の視線が集まったが、すぐに皆それぞれの話に戻った。


「最近の治安、めっきり悪くなったよな…」

「ああ。世界中で強盗や暴動が起きてるのに、警察は何してんだ?」

「何って?自分らで手を引いてりゃいいほうだろ」

「給料安いんだから仕方ねえよ」

「お前、警察の味方かよ!」

「はあ…昔が懐かしいぜ」


そこに若い男が割り込んだ。


「昔の方が良かったんですか?」

「いや、昔も今と変わらねえ。ただな、昔は『暴力ヒーロー』がいてよ、悪党をぶっ潰してくれてた」

「へえ…どんな人だったんですか?」

「普段は夜しか出てこねえ、全身黒づくめで顔も見えねえ。声も聞いたことないから、誰だかサッパリわからなかったな」

「で、その人、どうして辞めちゃったんですか?」

「…年取って動けなくなったんだろ。あとは、最後の任務で大ケガしたとか」

「そっか…英雄だったんですね」

「ああ。今もいればいいんだがな」


その時、酔っぱらいの王がふらふらと立ち上がり、こちらのテーブルに近づいてきた。


「実はな…オレがそのヒーローだ」

酒臭い息をプーンとさせながら、よろよろと寄ってくる。


「おっさん、誰?」

「信じねえか?いいさ、証拠を見せてやる。この栄光の傷跡を…」

「やめろやめろ。そんなの見たくねえよ」


同席していた仲間が慌てて王の腕を掴み、引き戻す。


「すんません、こいつ酒癖が悪くて」

「いえいえ、別に構いませんよ」

「酔ってねえ!それにオレは本当に…ゲフゥ」


話の途中で、王は床に嘔吐した。夜の路地裏に響く酔っ払いの吐瀉物の音は、風物詩のようなものだ。


「ほらみろ!お前らも知ってるだろ!」

「ああ…だが、内密にしておく約束だったはずだ」

「…我慢ならねえ!何十年も街を守ってきたのに、今じゃクソ客に弄ばれて…」

「はいはい、帰るぞー!」


かつての英雄は、すでに年老いていた。今では弟子に支えられながら、薄暗い路地を這うようにして帰路につく。


――その時。


「強盗だ!金品全部出せ!」


陳腐だが効果的な強盗のシナリオが、またこの街で繰り広げられようとしていた。被害者は、映画を観て帰る途中の家族連れ。近道と思って選んだ路地で、銃口を突きつけられる。


「早くしろ!でなきゃ殺してから奪うぞ!」

「ふざけるな!」


暗がりから、黒い人影が飛び出した。


「逃げろ!」


かすかに力ないが、渋い声が響く。家族は一目散に逃げたが、その隙に犯人は逆襲に出た。


「…暴力ヒーローか?とっくに引退したはずだぜ」


恐怖に駆られた犯人は、黑影に向かって六発の銃弾をぶち込んだ。


弾丸を撃ち尽くし、リロードしようとしたその時――路地の反対側から、一発の銃声が響いた。


「小明、オレのことも考えて撃てよ。当たったら死ぬぞ」

「大丈夫だよ。腕には自信あるから。それより、お前さん六発も喰らってるだろ?」


黑影は自分の体を見る。防弾チョッキを着ていたが、至近距離からの衝撃で内臓にダメージを受けたようだ。


「…早く治療しろ。下手すりゃ命に関わる」

「ああ、そうだな」


闇の中、新旧の守護者が互いを支え合いながら、光の方へ歩いていく。


病院のベッドで、老人は弟子に問われた。


「師匠、大丈夫か?」

「ああ、大したことねえ」

「若い頃はな。だがもう25年も経った。認めろよ、老いたんだ」

「…そうだな」


老人は深く息をついた。


「昔なら、こんなガキ、一撃で寝かせられたのに」

「もう、オレに任せろ」


弟子はフードを被り、決意を新たにする。


「二度と、助けに行かせんなよ」

「わかってるよ」

「しっかり休め。迷惑かけるんじゃねえぞ」

「世話になってる立場で、偉そうな口をききやがって」


時計を見て、弟子は呟く。


「面会時間も終わりだ。じゃあな」

「ああ」


それ以上、言葉は交わさなかった。必要なかった。


老人は窓の外を見る。朝日の中、鳩が飛び立っていく。その下では、車と人々が行き交い、街は賑わっていた。


「…お前なら、大丈夫だ」


老人はベッドに体を沈め、静かに眠りについた。

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