第7話 大団円

 そのことが分かると、第一の被害者である原田佐和子が、

「男装女子」

 であったということが分かった。

 だから、最初は、桑原を、

「同性愛者だとは知らずに、付き合った」

 ということであった。

 あくまでも、お互いの性癖が逆だということで、どちらかというと、

「同性愛を通り越した愛情だ」

 と思っていたのかも知れない。

 しかし、それは、行き過ぎてしまったことで、桑原がついてこれなかったことからのすれ違いでの悲劇だったといってもいいかも知れない。

 ただ、一度別れはしたが、佐和子は桑原を忘れることができなかったということで、何とかよりを戻そうということで、彼を探っていたところ、川口にぶち当たったということであった、

 川口は、桑原にとっての、

「愛情の相手」

 であった、

 しかし、川口とすれば、

「パートナーでしかなかった」

 ということである。

 あくまでも、愛情など関係ないという関係を望んだ、川口としては、桑原は、

「自分のことをパートナーでしかない」

 と感じていたのだった。

 どうしてそう感じたのかというと、

「桑原が、耽美主義だ」

 ということを感じたからだった。

「道徳的なことよりも、美を最優先に追求する」

 ということで、

「そこに、愛情などは無用のはずだ」

 と感じたからであろう。

 それを感じた川口だったが、川口は、今度は、お互いの性癖を変えようと模索した。

 それは、

「桑原を男にしたて、自分が女役をする」

 ということで、美を思い出させようと考えたのだが、そもそも、考えた方違うので、それは失敗してしまった。

 そこにもってきて、

「元かの」

 といってもいい佐和子が現れた。

 佐和子は、事情は分かっていたようなので、

「今なら引き戻させられる」

 ということで、桑原を引き込もうとした。

 しかし、それに気づいた川口は、

「そうはさせじということで、佐和子を探っていたところ、桑原が、異常行動に出たことが分かった」

 というのだ。

 そこで、

「佐和子を殺したのは、桑原だ」

 と思うと、さすがに、

「もう、桑原とも、佐和子とも、付き合ってはいけない」

 と思った。

 そこにもってきて、ゆかりという別の女が浮かんできたのだ。

 何かの理由があってのことか、ゆかりは、ジャーナリストで、あまりいいウワサを聴かないという。

 しかし、それは、彼女が、洗脳を受けていて、一人の誰かを崇拝していることでの行動だったということであった。

 その洗脳を企てたのは、実は川口だったのだ。

 川口は、以前、妹が暴行を受け、そのために自殺したという過去を持っていた。川口はそれを自分なりに調べ、その首謀者が、ゆかりであったということを知ったのだ。

 ゆかりは性格的に、

「好きになったものを自分のものだけにしておきたい」

 という独占欲が強かった。

 だから、好きになった男と浮気をした妹を、取り巻きに襲わせるという卑劣なことをしたことで、彼女の中にあった、

「勧善懲悪」

 というものが、歪んだ形で芽生えることになり、あのようなジャーナリストになったのだ。

 その彼女が、佐和子と関係するようになり、佐和子の性癖を知ることで、それを、

「腐った性癖」

 ということで暴露しようと思うようになった。

 そこで、見つけたのが、桑原で、その絡みからか、川口とも接近することになったのだった。

 だから、ゆかりの共犯は、川口ということである。

 そして、調べれば、ゆかりが、川口の妹を自殺させたということが、事実かどうかハッキリとはしないが、その疑惑がすぐに表面化してくるというもので、川口が、この事件の共犯に選んだのが、ゆかりだったのだ。

 ゆかりを共犯にすることで、自分を、

「事件の蚊帳の外に置く」

 ということを考えた。

 それなのに、なぜ、

「探偵に依頼したか?」

 ということであるが、

「川口も、まさか探偵が、同性愛の家庭で、その性癖を変えることになるということはありえないと考えて、自分にたどり着くことはない」

 と思ったのだろう。

 さらに、

「まさか依頼人が犯人だ」

 ということもないというのが、川口にとっての狙い目だったのではないかといえるのだ。

「それぞれに、決定的な狙い目ということでなくとも、それらのことが、少しずつ絡んでくれば、なかなか看破されることはないだろう」

 ということで、まるで戦国時代に言われた、

「一本の屋では簡単におれるが、三本束ねることで折れることはない」

 と言われた。毛利元就の、

「三本の矢」

 という謂れを思い出させるではないか。

 それを考えると、

「今回の事件では、細かいところに策が施されている」

 ということで、それらの頭の良さが、犯人にとって、

「探偵が入ってきても、問題はない」

 と考えさせたのであろう。

 一つは、

「犯行の順番が違っていた」

 ということで、ただ、犯行時刻をごまかすというと、普通であれば、

「アリバイ作り」

 だと思われるが、この事件はそうではなかったのが特徴でもある。

 最初警察は、死亡推定時刻から、

「最初に死んだのは、トランクで殺されていた、篠原ゆかりだ」

 と思っていたが、それを敢えて、川口は、本当のことを探偵に言った。

 それは、

「ゆかりが、犯人である」

 ということを思わせておいて、どうせ調べるであろう彼女の過去から、川口が絶対に犯人ではないと思わせられるという考えからだった。

 しかし、それはあくまでも、

「机上演習においての検証」

 であり、実際に生身の人間の考えることというものを、少しでも甘く見ると、違った考えが浮かんでくるということを失念してしまうということになるだろう。

 それが、

「最初こそ、川口の狙いだった」

 といってもいいのだろうが、どうしても、彼は、

「捻じれた考えを持っていることで、そもそも、一般常識というものが大嫌いなのであった」

 ということからの、失念だったのだ。

 この事件は、動機はいうまでもなく、川口は妹の復讐のために、この事件を計画し、それが、

「社会への挑戦でなければいけない」

 ということに対しての思いが強いということになるのであろう。

 そしてもう一つ、

「深夜に車を動かさなかったのは、その場所にずっと車があったことを示したいからだった。逆に言えば、深夜もう一度来ているのだった」

 ということであった。

 というのは、目撃された8時からあと深夜のうちに入れ替えているので、それは、車に死体を積み込むためだった。

 と考えれば、臭いがしなかったのは、最初からそこに死体があったわけではないということだ。

 もし、死体があれば、

「死亡推定時刻を見誤るくらいの高温になっているトランクの中、いくら閉まっているとはいえ、誰かが、臭うということを言い出さないともいえず、そうなると、犯行計画が狂ってくるということになる」

 と考えれば、

「車は、最初から、死体を積んでいたわけではない」

 というのも、犯人の計画のうちだったのだろう。

 そもそも、綿密に組み立てられた部分は、

「一つの歯車がうまくいけば、派生的に他もうまくいく」

 ということで、犯行計画が綿密ではあったが、実際には、そこまで最初から、何重にも積み重ねられたものではなく、連鎖的にできてきたものもあるということであろう。

 それを、川口は、

「芸術だ」

 と思い、自分が芸術というものに造詣が深く、それが、

「桑原という男に惹かれた理由ではないか?」

 とも考えられるのであった。

 だが、歯車が狂えば、そこから一気に奈落の底というのも分かっていたことであり、

「完全犯罪などできっこない」

 というのは、

「これほどの不完全犯罪であっても、容易に気づく」

 ということを感じさせるのであった。

 そんなことを考えていると、川口は、

「完全犯罪をもし成し遂げるとすれば、加算法なのか、減算法なのか?」

 とそんなことを考えている自分に気づいていたのかどうなのか、正直分かっていないのであった……。


                 (  完  )

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芸術と偏執の犯罪 森本 晃次 @kakku

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