三 某神事の崖

一週間後、広大な海を眺めながらその地へ立つと、よりいっそう自分の中の既視感は強まってゆく……。


「やっぱり、わたしはここに来たことがある……」


 そう確信すると、わたしは真実を確かめるべく、崖の端へとゆっくり近づいていった。


 天気は快晴。今日は絶好の観光日和である。頭上には爽やかな青空が広がり、わたし以外にも観光客がちらほらと見えるため、今は自殺の名所というようなイメージは微塵も感じられない。


 また、落下防止のために胸までの高さのある柵が端には備え付けられており、普通ならば恐怖を感じることも皆無なのであろう。


 だが、わたしは怖い……それは高所恐怖症や忌むべき名所であるからではなく、この感情の正体を知りたいのと同時に、それを知ってしまうことがなんだかとても恐ろしく感じられるのである。


 なんとか柵の所までたどり着いたわたしは、その柵に掴まると恐る恐る眼下の海を見下ろしてみる……はるか下の波打ち際では、ゴツゴツとした黒い岩に当たった白波が荒々しく弾け散っている。


「……!」


 そのクラクラと眩暈のするような自然の造形を眺めていると、不意に頭の中に当時の光景が浮び上がってくる……。


 チラチラと目に映る、真っ白い袖や着物の裾……どうやらわたしは白装束を着ているらしい……江戸時代だろうか? そんなわたしを取り囲む、みすぼらしい恰好をした丁髷ちょんまげを結う男達と日本髪の女達……わたしは彼らに追い立てられるようにして、この崖の端まで歩いてゆく……。


 その群衆の中に混ざり、わたしに向かって合掌した手を擦り合わせる中年男性や、泣き叫び、わたしにすがりつこうとするのを止められている中年女性……あれは、以前・・のわたしの父母だ。


 そして、崖の端から身を踊らせると、だんだんに近づいてくる黒い岩と波打つ水面……。


 わたしは、すべてを思い出した。


「そうか。わたしはみんなのためにここから……」


 やっぱり、わたしはこの崖から飛び降りたのだ……ただし、それは一般的にいうところの自殺・・というようなものではない。


 わたしは危機に瀕した村を救うため、この崖から身を投げ、海の神さまに自らを捧げたのだ……いわゆる〝人身御供〟というやつである。


 当時──前世のわたしが暮らしていた漁村は突然の不漁に見舞われ、食うや食わずの暮らしを強いられていた。


 このままでは村人全員餓死してしまう……そこで、豊漁を願って海の神さまに若い娘を捧げる話が持ち上がり、適齢の娘全員を集めての籤の結果、その役目をわたしが担うこととなったのだった。


 無論、わたし自身も悲嘆にくれたが、両親の心情は如何ばかりのものだっただろうか?


 いくら村のためとはいえ、実の娘を犠牲にする悲劇と罪の業……父はその葛藤に苛まれてわたしに謝り続け、母はただただ泣き叫び嘆き悲しんだ。


 そんな両親をこれ以上苦しませまいと、わたしは死への恐怖をぐっと堪え、気丈に微笑みを湛えながら、この崖からその身を踊らせたのである。


 前にも見た荒々しい崖下の岩場を眺めながら、すべてを思い出したわたしの目からは自然とまた涙が溢れ出している……。


 その後、海の神さまが願いを聞き届け、村を救ってくれたのかどうなのか? それはわたしにもわからない……だが、両親や村の人々のために、立派に人身御供のお役目を果たした一人の少女がいたことだけは確かなのだ。


 あまり外聞の良くない話だけに、書き残されることはおろか口にすることもはばかられただろうから、きっとこの辺りの歴史にもそんな事実は残っていないであろう……もしかしたら伝説として、密かに語り継がれてるくらいのことはあるかもしれないのだけれど。


 今では誰も知らない、一人の悲しい少女の歴史……わたしは眼下の海を見つめたまま、かつて存在したもう一人のわたしにそっと手を合わせた。


(涙を誘う崖 了)

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涙を誘う崖 平中なごん @HiranakaNagon

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