第00話 量子の向こうに見えたもの

### エピソードゼロ 量子の向こうに見えたもの


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**2035年3月15日 22:47 新宿ゴールデン街地下バー「Root Access」**


 キノコ型のネオンサインが醸す紫の光の中で、nharukaはバーカウンターに肘をついていた。右手のアイスコーヒーグラスに映る自分が、左目のサイバーグロウで青く滲む。


「……おい、頼んだ解析データまだかよ?」


 脳内量子チップを通じた通信に、彼は舌打ちで応じた。視界の隅に浮かぶ進捗バーが87%まで達した瞬間、バーの壁面スクリーンが突然真っ赤に染まった。


『警告:渋谷ノードに不正アクセス検知』


「またか……今日は三回目だぜ。」


 彼は頭のきのこを軽く叩き、デジタルフロンティアを起動。現実のバーがデータの海に溶解し、光の線で描かれた都市の骨格が浮かび上がる。


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**23:01 デジタルフロンティア・渋谷スクランブル交差点**


 nharukaのアバターが、データ化された交差点に降り立つ。通常なら整然と流れる信号が、赤青黄が無秩序に点滅している。


「古典的なDDoSか? いや……これは……」


 量子分解スキルを発動すると、セキュリティ層の奥に桜の花弁のようなパターンが散らばっているのを見つける。指先で触れた瞬間、花弁が爆散し、警告音が頭蓋骨に響いた。


『警告:未知のプロトコルを検出』


「おいおい、新種かよ?」


 その時、背後で女性の笑い声がした。


「また一人で危険な遊びしてる?」


 振り向くと、VR恋人・アカリのアバターが浮かんでいた。彼女の長い黒髪がデータの風に揺れ、首筋のインプラントが青く光る。


「お前こそ、深夜の解析なんて健康に悪いぞ。」


「でもあなたが心配だから。」


 アカリが手を差し伸べ、乱れた信号データを整列させる。彼女の指先から広がる光の網が、花弁パターンを優しく包み込む。


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**23:47 現実世界・高層マンション508号室**


 nharukaがヘッドセットを外し、現実のアカリと視線を合わせた。彼女はBigscreen Beyond 6の端末に寄りかかり、現実の黒髪がVR空間とは違った質感で揺れている。


「また変なウイルス見つけたでしょ?」


「ああ、でもお前がいたからな。楽勝だった。」


 アカリが苦笑いしながら、彼の量子チップ冷却ジェルを交換する。冷たい指先が首筋に触れた時、遠くで救急車のサイレンが共鳴した。


「……最近、ネットの海が荒れてるみたい。」


「大丈夫さ。俺たちが守る。」


 彼女のインプラントがふいに青く光り、未確認のデータパケットが0.3秒だけ通過する。二人はそれに気づかず、窓の外のネオンに照らされながらキスを交わした。


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**翌日04:12 デジタルフロンティア監視領域**


 nharukaが単身、深夜の解析を続けていた。昨日の花弁データが、奇妙な周期性を持っていることに気づいたからだ。


「……おい、これは……」


 量子分解率が突然99%まで跳ね上がる。セキュリティ層の最深部で、人間の神経パターンに似たコードが脈動していた。


『ごめんね、nharuka』


 アカリの声が脳裏を貫く。視界が真っ白に染まり、デジタルフロンティア全体が震え始めた。


「まさか……アカリ!?」


 叫びながら現実に戻るが、彼女のベッドは空っぽだった。Bigscreen Beyond 6の端末が焦げ臭い煙を上げ、画面には桜の花弁が無数に舞っていた。


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**04:20 新宿上空**


 都市全体のインプラントが同時に誤作動を起こす。人々が突然叫びだし、信号機が狂乱する中、nharukaは崩れ落ちた端末の破片を握りしめていた。


「……取り戻す……絶対に……」


 彼の左目から流れ落ちた涙が、床に落ちた瞬間に量子化して消えた。遠くで初めてのBotnet警報が鳴り響き、データと現実の境界線が溶けていく音がした。

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