『LINKS』

ネコミケ

第一章 前編

第1話

1-1

 教会の鐘の音が脳内を照らし、私は重い体と瞼を持ち上げる。部屋の隅に佇む鏡の中にはぼさぼさ髪のエルフの少女が立っているが、挨拶を交わすなどはしない。

 長い金髪をかし、制服を引っ張り出し、今日も学校へ向かう。


「行ってきます!」


 新しい朝を祝福する透き通ったの光を浴びて、学校へ向かう私の足取りは、より一層軽やかになる。歩くというよりも、跳ねるという言葉の方が相応ふさわしい。道端みちばたの草木や花は、挨拶するように風になびいている。



 ◇



 私だけが、朝一番の真っ白な教室を知っている。風魔法で机の向きをそろえ、床のほこりまとめる。水魔法で、花瓶の水を入れ替えたり、掃除の仕上げをしたり。自己満足だろうと、善行から始まる一日は心地いい。

 そうしていると、少しずつ、同級生たちが集まってくる。ルーティンを終えた私は席に座り、教室に入ってくる者たちの髪と耳を眺めながら待つ。

 ……まあ、耳の方はわざわざ確認するまでもないか。時々、「いてっ!」と机の角なんかにぶつかりながらくるくると回転しながら明確にこちらへ向かってくる女の子は、私の予想通りの人物で違いない。それに追随してくるもう一つの人影は、先人の奇行を目の当たりにしてもなお無表情を貫く。……だが、先ほどから咳払いに偽装しているつもりの彼女の仕草が、必死に笑いをこらえているものであることを私は知っている。


「 “エルフちゃん”やばいよー! テスト明後日だよー!」

「わたし、語学がダメそう」


 二人、私の意識の中に飛び込んでくる。

 語学が苦手な“ミドリちゃん”と、お勉強が苦手な“キツネちゃん”、そして、私。いつもの三人で、いつものように私の席に集まって話す。


「――さてさてー」

「どうしたの? “キツネちゃん”」

「学校がおわったあと、 “ミドリちゃん”と“エルフちゃん”の二人に、勉強を教えてもらいたいのー」


 “キツネちゃん”は勉強が苦手だが、決して諦めているわけではない。こうやって、不得意なことでも努力しようとする姿勢は、彼女の美点である。……と言いたいところだが、彼女から勉強会を提案してくるだなんて、初めてのことである。


「勉強会をするのはいいけど……。どこでやろうか?」


 “ミドリちゃん”が“キツネちゃん”に、核心の質問を投げかける。 “キツネちゃん”には、去年に落第回避のために緊急で開催した勉強会をサボろうとした前科があるのだ。何か、裏があると疑わざるを得ない。

 すると、 “キツネちゃん”が不敵な笑みを浮かべる。


「じゃーあ、 “ミドリちゃん”のお家がいいなー」


 ようやく、 “キツネちゃん”の真意が判明する。それは、つまり……


「あーっ、本当はうちのワンちゃんに会いに来たいだけなんでしょ」

「えへへー、あの子がかわいすぎるのがわるいんだよー」


 ……そんなことだろうと思った。 “ミドリちゃん”も、呆れかえったような顔をしている。


「ね、 “エルフちゃん”も、それでいいよねー?」


 今回のテスト範囲は範囲も広く、今までに比べて難易度も高い。そのぶん、最後まで油断せずしっかりお勉強しなきゃいけないのだから、ワンちゃんとたわむれている場合ではない。

 なので、私はもちろん……


「賛成!」

「え、 “エルフちゃん”まで。……もう、仕方ないなぁ。ちゃんと勉強もするんだよ?」

「はーい!」

「 “キツネちゃん”、返事だけは一丁前なんだから……」


 そう言う“ミドリちゃん”も、なんだかんだ満更ではない。



 ◇ ◇ ◇



 髪をい、服を選び──今日は、友達とお出かけ。

 たまには、ネックレスとか、イヤリングとかをつけて、お洒落していこうかな。でも、これからアクセサリーを買いに行くのに、余計なものをつけていかない方が良いのかな? そんな小さなことを考える時間さえ、楽しい。


「ねえ、お母さん。今日は、西の隣町となりまちまでお買い物に行ってくるね」

「お友達と?」

「そう、いつもの三人で」

「夕方の礼拝れいはいまでには帰ってくるのよ」

「大丈夫、わかってるよ。いってきます!」


 西の町へ行くことは少ないし、お土産でも買ってこよう。お母さんとお父さんは、何を買ってきたら喜んでくれるかな? なんだか今日は、色々なことを考えてみたくなる気分。



 ◇



 夕方、遠出を満喫した三人は一緒に、礼拝のために教会堂へと足を運ぶ。演奏を聞き、神父さんの言葉を聞きながら数分お祈りをした後は、帰る前にまたみんなで話す。


「 “エルフちゃん”はさ、大人になったら何になりたいのー?」


 買い物袋を両手に抱えた“キツネちゃん”が、私に問いかける。


「将来、か……。ちゃんと考えたことないかも」

「 “エルフちゃん”はお勉強もできるし、魔法も得意だから……。なんでもできちゃうと、逆に迷っちゃうね」


 将来の夢。普遍的な問いではあるものの、いざこの話題になると、返答に困りがちである。


「盗み聞きのようで申し訳ないのですが、皆様は、将来のことについてお話し中ですか?」

「あ、神父さん」


 目線を向けると、白を基調とした、いかにも聖職者といった風な衣装を身にまとった青年が立っていた。彼は「失礼します」と断りを入れてから、椅子に腰かける。

 几帳面きちょうめんな性格の彼は、きっと規則正しい生活を心掛けているのだろう。まだ若いとはいえ、およそ疲れというものを感じさせない。この、町の教会の管理を任されていることにもうなずける。


「今日の相談は、もう終わったのですか?」


 “ミドリちゃん”が、私たちの疑問を代弁する。司祭さんはいつも礼拝の後、集まった人たちのお悩み相談をしていた。一人一人に寄り添って話を聞いてくれる親切な彼は、この礼拝堂を利用する者たちから深く信頼されている。


「いいえ。あなたたちが残っていますよ」

「た、たしかに」


 一本取られた、と言ったように、 “キツネちゃん”が面食らう。

 さて、神父さんの手が空いていることは珍しい。折角だし、話を聞いてみることにしよう。


「神父さんは、どうして神父になろうと思ったのですか?」


 彼は落ち着いた表情をして、ゆっくりと話す。


「少し、前のことにはなりますが。私はもともと別の国に住んでいて、ある時この国へ移住してきたのです。そして、初めて礼拝に訪れたとき、聖書を読んで、この宗教の理念に感銘を受けたのです。聖職に就こうと決めたのは、その時でした」


 交易も盛んなこの大国において、国内外問わず移住は珍しいことではない。ある者は広大な農地の風景に魅入られて、ある者は世界中から結集した技術力に圧倒されて、そしてある者は、宗教の理念に感化されて、この国で住むことを決意する。


「自然を愛し、神に見守られながら安寧の日々を贈る──。この上なく美しい、素晴らしき日々です。……しいて言うなら、愛しき神の名を呼べないことだけが、寂しいですけれど」


 何より教えを大事にしている、真面目な神父さんらしい回答が返ってきた。しかし、最後の最後に、彼が悲しみを帯びた顔をして零したその言葉、その事実を、見逃すことは出来ない。

 “名付けの呪い”……。今となっては日常に溶け込んでこそいるが、ふとした時に、寂しさを感じさせる。呪いの所為で形骸化した、神聖皇国サテラという国名ないし敬愛する神の名を、神父さんを含め敬虔けいけんな信徒は、迂闊うかつに口にしたりはしない。

 神様はおろか、友達も、家族でさえも名前で呼び合えないというのは、あまりに窮屈で、寂しいものだ。

 そんな苦い感情を噛みしめていると……。ふと、あることを思いつく。


「……私、 “名付けの呪い”の研究とか、してみたいかも」


 ほんの独り言のつもりだったが、 “ミドリちゃん”と“キツネちゃん”が思いのほか食いついてきた。


「いいじゃん! “エルフちゃん”なら絶対解決できるよ!」

「もしやるなら、わたしも協力したいな」


 そんなやり取りを静観していた神父さんが、こちらへ微笑みを向ける。


「素敵ですね。偉人の卵ここにあり、といったところでしょうか」

「神父さんまで、言い過ぎですよ……。でも、考えてみます」


 私はこの先何をして、どんな人間になるのだろう。正直、今までは将来に漠然とした不安を抱いていた。学生の本分を満たしているとはいえ、特に目標もないままただ勉強する毎日は、ふと立ち返ってみると空虚に映ることさえある。

 でも、今日、少し気持ちが吹っ切れた気がする。将来のことを考える時間だって、それはそれで楽しいじゃないか。それに、私には仲間がいる。みんなと一緒ならきっとなんだってできると、根拠はないものの確かな自信が湧いてくる。

 そんな私の様子を見た神父さんが、自分の役目は終えたと言うかのように立ち上がる。


「心なしか、表情がすっきりしましたね。お役に立てたならよかったです」

「はい。ありがとうございます」


 一日中、長いこと歩き回っていた帰りの道にもかかわらず、家の方から近づいてきているのではないかと思うほどに、地面を踏む足は軽かった。



 ◇ ◇ ◆



 鏡の前で髪を結い、服を選び、今日はおつかいへ。


「いらっしゃい、エルフのお嬢ちゃん。いつもありがとな」


 ここの店主のおじさまとは、もうすっかり仲良くなってしまった。このお店に来るのは、お買い物の目的だけでなく、ちょっとした世間話をしたいからでもある。


「本当、お嬢ちゃんは偉いなあ。少しおまけしておくよ」

「いいんですか? ありがとうございます」


 おまけをもらえるからという理由もなくはない。


「いいんだよ、このくらい。お嬢ちゃんは美人だから、おかげでこの店だって繁盛はんじょうしてるんだ。この前なんて……」


 向こうのほうから、店主さんの奥さんが大股で歩いてくる。


「ちょっと。鼻の下伸ばしてないで仕事しな!」

「ご、ごめんって……。またな、お嬢ちゃん」

「はい。これからもよろしくお願いします」


 この国の人たちは、本当にいい人たちばかり。おつかいをするためだけに外に出ようというのも、億劫どころかむしろ、楽しみで仕方がない。



 ◇ ◆ ◆



「ただいまー」


 帰ってきて、鏡の前で手を洗う。

 家族三人で食卓を囲むまでが、私の一日。いただきます、と、三人の声が重なる。


「ねえ、お母さん、お父さん、また美人さんってめられちゃった」

「それはよかった。お母さんに似て、美人に育ったからな」

「いやいや、パパに似たのよ」

「……ううん、どっちもよ。みんなが褒めてくれたとき、お母さんとお父さんも褒められているような気がして、誇らしいの」


 流れる金髪、美しい青色の瞳、透き通る白い肌、整った顔立ち。自分で言うのもなんだが、お父さんとお母さんから受け継いだこの自分の身体そのものが、私にとって何より自慢の宝物である。謙虚に生きようと心がけてはいるが、こればかりは譲れない。


「いい子に育ってくれて、お父さん嬉しいよ。……もしかして、買って欲しいものでもあるのか?」

「もう。そんなんじゃないよ。私はこれ以上何もいらないくらい、とっても幸せなんだから」


 そう、これ以上、何も……。






 ◆ ◆ ◆

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