ボンヴィアッジョ

久河央理

第1話 空想禁止の社会に物語を


 華やかなる港町。

 ゴンドラで遊覧する恋人たちが、愛を誓うべく向き合う夕の刻。

 運河に沿って道を行き、橋を渡って階段を上る。そこから少し歩いた先の小道を抜けると、小さな人集りが視界の隅に入ってきた。

 人々の視線が集まる先には、数々の品物が並ぶ店がある。しかしながら、それは簡素としか言い表せないような、運搬用ワゴンを改造した飾りのない外装だった。

「ああ、いらっしゃいな」

 いやむしろ、あまりにもつまらないその背景は、ある人物を引き立たせるための舞台装置に他ならないと言えるだろう。

 商品を前に腰を据え、来る者拒まず受け入れる一人の行商人。緩く束ねた金色の長髪はプラチナのように輝き、風に靡いてさらりと揺れた。

「こんにちはこんばんはご機嫌よろしゅう」

 ミシェル。北西の国では女性名であるそれを名乗った人物は、此度も胡散臭い話し方で商売の挨拶をする。

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。さァさァ、耳を澄ましておくれ。珍しい品物がいっぱいさねぇ」

 両手を広げ、静かに、明るく、ゆっくりと――抑揚あるその喋り口調は、男の声であるにも関わらず艶かしい。

 また、遊女のような白い肌と美しい仕草も相まって、彼は道行く老若男女の視線を集めた。

 誰もが足を止めてしまう。ぴたりとほんの刹那だけ、という人も当然いるのだが、それでも立ち止まっていることに変わりはない。

「こちらはね、妖艶たる伝説の首飾りさァ。昔々、とある海賊が七つの海を渡り、全ての宝を手に入れようと――」

 世界の裏側へと誘うように、物を語る。

 語りながら紫の瞳を動かすも、言葉が淀むことは一切ない。さながら道化の如き大仰な動作は、深淵のさらに奥底へと招待していく。

 それを裏付けるように、人々は商品を手に取って金銭や物品と換えていった。

「おや、オタクはそちらが気になるかい? そちらはね、世にも奇妙な杯さァ。昔、とある国の王様が――」

 中年男性の興味に応え、次のストーリーが始まる。出で来る言の葉によって、そこに新たな物語が紡がれゆく。


 そして、いつも決まってこう締め括るのだ。

「――ほぅら。こりゃあ、なんとも不思議なものだろう?」


  **


 一通りの商売を終え、ミシェルは店仕舞いを始めた。

 ゆったりと優雅に片付けを進めていると、背の高い男が背後から近づいてきた。

 黒いシャツに白い背広を重ね、ネクタイピンだけが唯一の飾りとして際立つ。オールバックにした黒髪からは、彼の清楚感と実直さが滲み出ていた。

 はたから見れば、少し強面なだけの好青年に映るだろう。

「おい、何度もやめろって言ってんだろ。危ねぇ奴らに喧嘩売ってんじゃねぇ」

 その男、ベネデットは曇りのない眼差しで彼に告げた。

 見下ろす形にもなって威圧感は十二分にあるのだが、当のミシェルは待っていたと言わんばかりに微笑みを返す。

「おや、今日も来てくれたのかい。お兄さん、なかなかの常連だねぇ?」

「茶化すな」

「そう言いながらも、今日だってちゃあんと耳を澄ませていてくれたじゃないか。記念にどれか買っていくかい?」

「……結構だ」

「そうかね」

 ベネデットが鋭い目つきで睨み付けても、ミシェルには微塵も効かない。それどころか、客の一人が置いていったビスコッティをさくさく頬張りはじめる。

 だがまあ、そうでなくては、こんな場所であんな商売など続けられるはしないだろう。

 この町を仕切るマフィアによって「空想が禁止された」社会で、堂々と物語を話し、その商品までも売りつけるなんてことは、できないはずなのだ。


 変わらない、初めて会ったときから――。


「おい」

 店前から客がいなくなったのを見計らって、ベネデットは行商人に話しかけた。

 ベネデットは元々、正義感溢れる男だ。恩義のためにマフィアの構成員をやっているが、自分なりの正義はまっすぐに貫こうとしていた。

 だから、怪しさ満載の彼に釘を刺しておかねば、そう思いながら発言をする。

「……これ、本物なのか?」

 そのつもりだったのだが、口をついて出たのはそれだった。なんと下手なことだろうと、一晩頭を抱えたのを良く覚えている。

 だが、ミシェルの方はというと、台詞にそぐわないぶっきらぼうな表情を見ても、ただ穏やかな微笑みを返すばかりだった。

「本物かどうかは大切じゃあないよ、お兄さん。ここに物語があって、それを人々は楽しむ。その余韻で物を買う。物から物語が生まれたんじゃあない、物が物語から生まれてきたのさ」

 そこから音を無くしたら、きっと性別は分からない。

 その中性的な容姿や表情の浮かべ方に、ベネデットは一歩下がる。危うく引き込まれるところだった。

「じゃあ、これは偽物なのか?」

「さあ、それはどうかねぇ」

 あくまでも涼しく告げ、飄々とした態度でのらりくらりと交わしていく。

 まるで鳥だ。のびのびと羽を伸ばし、美しくさえずり、どこに留まることもなく渡り歩いて行ける。自由な存在だ。それが、どうして――。

 ベネデットは気に入らなかった。だからつい、思ったことをそのまま口にしてしまった。

「……詐欺師じゃねぇか」

 刹那、ミシェルの纏う空気がガラリと変わった。

「いいや、それは違う」

 捻りのない口調、低くなった声色、鋭い目つき。その警戒心を引き立てるような雰囲気に、ベネデットはごくりと黙り込む。

 ミシェルはそんな彼と距離を詰め、相手のうなじに片手を当てて首をグイッと引き寄せた。

 至近距離で視線が交差する。鋭くも美しい瞳の輝きに、ベネデットはまた息を呑んだ。

「いいかい、お兄さん。僕は詐欺師じゃあない、道化で語り部さ。物を語り聴かせ、そのついでに商売をしてる」

 彼が手を放しても、ベネデットはすぐには動けなかった。

 その間に、語り部は林檎に手を伸ばした。

 切り裂きそうなほど鋭かった視線が、一瞬にして愛おしむものに変わる。雰囲気も穏やかに戻り、言葉を続けた。

「あたしゃね、楽しみたいんだよ。瞳を輝かせて物語を聴く人々。彼らは物語を味わって、感情を動かされる。そうして生を得る人たちが堪らなく愛おしい」

 ベネデットの胸中に疑問が生まれる。

 ――なら、なぜ羽ばたいていかない? この町である必要はないだろうに、どうして拘る? 危険を冒してまで、なんで?

「……それは、命を賭けてまでやることか? 俺は、そうとは思えねぇが」

「人々には娯楽が必要だ。そこに物語を欠いちゃあいけない。空想劇を否とするなら、立ち上がるには十分すぎると思うがね」

「つまり、戦うと? あんたが?」

「あぁ戦うさ、相手がどんなであっても」

「そんな体格で言っても説得力ねぇだろ」

「人は見た目じゃあないよ。お兄さんだってそうだろうに」

 彼が指摘したように、ベネデットは着痩せをするタイプだ。線が細いことは決してない。その証拠に、捲り上げた袖からは筋肉質な腕が覗いている。

「だが……」

「覚悟を持ってここにいる、当然ね」

 得意げに告げられ、ベネデットは何も言い返せなかった。


 今もまた同じだ。ワインのように水を飲み干すミシェルに、それ以上を言えなかった。


  **


 辺りが仄暗くなった頃。

 ベネデットが運河沿いを歩いていると、建物と建物の間から呻く声が聞こえた。

「ぅ……っ」

 血で汚れた衣服、傷ついた肌、乱れてもなお輝くプラチナの長髪――見覚えがあった。

「ミシェル!?」

 壁に寄り掛かり、ぐったりと座る姿を見て、ベネデットは急ぎ駆け寄った。

「おや、お兄さん……帰ったんじゃなかったのかい?」

 ミシェルにしては珍しく、とても嫌そうな顔をした。あまり話しかけてほしくなさそうである。それでも、ベネデットが放っておく理由にはならなかった。

「それより、大丈夫か? 手当を――」

「……ふふ、あははは」

「何、笑ってんだよ」

「いやなに。やけにお節介だなぁと思ってたお兄さんだが、なるほど、本当にお節介だったわけだ。……まあ、そうかもとは思っていたけど、残念だよ」

 ミシェルの言い方がやけに突き刺さり、ベネデットの胸が痛む。

 別に、都合の悪いことではない。ただ言っていなかった、それだけなのに。とても、居たたまれない気持ちに苛まれる。

「……俺のこと、知ったのか?」

「ああ、男たちが言っていたのさ。ベネデット――道化に現を抜かす元最強構成員、ってね。まったく。有望株な君が、なんで僕に構ったんだか」

「俺は、あんたに傷ついて欲しくなかっただけだ」

「そうかい。なら、初めから無駄というものだ。僕は傷ついちゃないんだから」

 背筋がぞわりとした。

 ミシェルはすくっと立ち上がると、服の袖で顔面の汚れを拭い取る。

「言ったろう、人は見た目じゃあないと。……それじゃあ、男たちはこの先に転がしてあるから、後は――っ」

 足早に去ろうとする彼の上腕を、ベネデットは乱暴に掴んだ。すると、ミシェルは痛がって動きを止めた。

「やっぱりな、痩せ我慢すんじゃねぇよ。痛がってんのは演技じゃなかっただろ」

「……どうして、分かったんだい?」

「俺がどんだけあんたを見てきたと思ってんだよ」

「ほーん。それは納得さねぇ」

 響いていない。ベネデットの言葉が届いていない。だが、彼は訴え続ける。

「なぁ、俺にあんたを守らせてくれ」

「なんだい、まだ僕に関わると? 物好きだねぇ」

「別にいいだろ。あんたの話が好きなんだからさ」

「……!」

 ミシェルは見たことがないほど目を丸くした。

 どこがそんなに意外だったのか、ベネデットにはさっぱりだったが構わずに押し続ける。

「もう自分に嘘は吐きたくねぇんだ。俺はあんたの話をもっと聴いてたい。だから守らせてほしい」

「……ふふ。あぁ、お兄さんなら歓迎しよう。よろしく、ベネデット。僕は……ミケーレだ。けどまあ、今まで通りにミシェルでもいい」

「どっちも洒落てんだな」

「そりゃあ、どうも。君だって、祝福の名じゃあないか」

「……そりゃ、どーも。ほら、手当すんぞ」

「それは自分でやるから、何か美味いものを買ってきてくれよ」

「んだよ、なら美味い店に入ろうぜ。驕るから」

「やったぁ」

「代わりと言っちゃ何だが、訊かせてくれ。あんたが何故この町に拘るのか」

「単純さ、この町が好きだからだよ。美しい故郷をもっと美しくしたい。僕が考えているのは究極それだけだ」

 ――でも今は、君だって理由かな。

 ミケーレは静かに微笑んだ。


  **


 華やかなる港町。

 ゴンドラで遊覧する人々が、空を見上げる夕の刻。

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。さァさァ、耳を澄ましておくれ」

 今日もまた、語り部は世界の深淵へと誘うのだった。


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