25

 蒼司は薄れゆく縊鬼の光の粒を眺めながら、こうなることを分かっていたかのように驚くでもなく微笑み見詰めていた。

 銀子は小さく溜め息を吐くと警戒態勢を解き、きなこも身体がぼやけたかと思うと、元の小さな猫の姿に戻っていた。

 堀井と田中はそんな様子に呆気に取られていたが、地面で倒れ込んでいる男が呻き声を上げたことによって一気に現実へと意識を戻される。


「おい、もうこれで解決か? さっきの縊鬼とやらはどうなったんだ?」


 堀井は蒼司に向かって声を掛ける。田中も男を気にしながらも、とりあえず呼吸が落ち着いていることを確認すると、ホッと胸を撫で下ろし、堀井同様に蒼司を見た。蒼司はふたりに振り向き、そしてにこりと笑う。


「解決……と言って良いかは微妙ですが、とりあえず今回この男性に憑いていたあやかしは成仏しましたね」

「またなんか曖昧な言い方だな」


 解決なのか解決でないのか、蒼司の曖昧な返事に堀井は苦笑する。


「あの縊鬼は元々それほど力のあるあやかしではなかったみたいです」

「力がない? あれで?」


 堀井には先程まで目の前にいた縊鬼の悍ましい姿も視えていた。堀井は本来あれほどはっきりとあやかしの姿を視ることなど出来ない。それなのにあの縊鬼ははっきりと姿が視え、さらにはあの悍ましい姿。あれで『力がない』と言われてもにわかには信じ難い。


「はい。おそらくあの縊鬼はまだあやかしになってからそれほど年数が経っていない。年数が経つほどに、ひとを襲うほどに、あやかしは力を付けていきます。しかし、あの縊鬼はひとの心を残していた。自身が死んだときの記憶が微かにでも残っていた。おそらくあの子は首を吊って自死を選んだ。それだけの理由があったのでしょうけれど、死んでしまった後に後悔をした。ひとりになることへの寂しさ、母親に対しての謝罪、それだけ生前の記憶があやかしになっても残っていた。縊鬼となってしまった後は、生前の記憶よりも道連れの対象へと執着が移るはずです。生前の記憶が残っていれば残っているだけ、あやかしとしてのキャリアはまだ浅いですね」

「あやかしにキャリアって……」


 蒼司の説明に堀井は苦笑する。言っていることは理解出来るが、あやかしに対しても普通の人間のように話す蒼司のおかげで、あやかしという存在が人間とさほど変わらないのではないか、という錯覚に陥りそうになるからだ。


「しかし、それでいくとそんな弱いあやかしが、あんなあちこちに気配を残せるものなのか?」


 堀井は疑問を蒼司に投げかける。例のマンションには男の部屋以外の場所にも黒い影の気配が残っていた。それを『弱いあやかし』と呼ぶものが出来るのだろうか、と堀井は疑問になる。


「それです」

「は?」


 蒼司の言葉に堀井は怪訝な顔。一体なにが「それ」なのか。言っている言葉の意味が分からない。


「それなんですよ。本来あやかしは力がなければ、あのように黒い影を気配として残せるはずがない。しかし、あの縊鬼は黒い影を残していた……あの子はそれほど強い力は持っていないのに……」


 ふむ、と顎に手をやり考え込んだ蒼司は頭のなかで整理する。マンションに残された気配。住人が目撃するほどの黒い影。力の弱い縊鬼の周りにも漂っていた黒い影は、縊鬼の気配とは別のものだった。黒い影が霧散したとき、本来の姿に戻った縊鬼。そしてマンションの位置関係――それらを全て合わせて考えてみると蒼司と銀子が男と対面したときの違和感にぶち当たる。なるほど、と蒼司はひとり頷いた。堀井はそんな蒼司の様子に気付き答えを求めた。


「おい、なにか分かったのか?」

「このマンションですが……」


 蒼司は再びマンションを見上げた。深夜と呼べる時間帯だがマンションには廊下の灯りや非常灯が照らされている。街灯も灯っているため深夜であろうとそれほど暗さは感じない。マンション入り口からはそれぞれの玄関が見て取れるが、どこもほとんどの部屋は電気が消され寝静まったような静けさだ。


「マ、マンションになにかあるのですか?」


 田中は気絶している男の様子を気にしながらも、蒼司の言葉が気になり問いかける。


「このマンションですが……鬼門きもんと呼ばれる場所に玄関があるのです」

「鬼門……」


 それは田中ですらも聞いたことのある言葉。建築を行う場合、鬼門と呼ばれる方角に玄関や水回りを置いたりしないものだ。鬼が出入りするため『鬼門』と呼ばれている。それは不動産に携わるものならば一度は耳にすることがあるはず。この現代でそれを信じる者などそうそういない。しかしながらそれでも不吉と呼ばれるその方角には玄関や水回りを置かないように意識して建設されることも多々あった。田中は考えるが、「そういえば」と思い出す。

 昼間、蒼司に聞かれたあの言葉。――「北ってどちらの方角ですか?」

 それを思い出し、自身が指した方角を思い浮かべる。そして一気に血の気が引いたかと思うと真っ青になった。


 このマンションの玄関は北東を向いている――それはまさしく『鬼門』と呼ばれる方角だった。


「このマンションはあやかしたちの通過場所になっています」


 蒼司はマンションを見上げながら言った。田中はすでに真っ青だが、堀井もようやく昼間の蒼司の言葉を理解する。あのとき蒼司が「堀井なら分かる」と言ったのは、嫌味という訳でもなく、堀井ならば『鬼門』などという誰でも知り得そうな言葉を知らぬ訳がない、という思いからだった。現に堀井は百鬼夜行絵巻を知っていたのだ。そんな特殊なものを知っていながら、それ以上によく耳にする『鬼門』という言葉に堀井はあのとき気付いていなかった。いつも見透かす堀井にしては珍しい、とばかりに意趣返しのように揶揄からかったのだった。

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