20

「余計なお世話だろうが、まあなんだ、いつかは家族と話をしてみたほうが良いとは思うぞ? 時間が経てば変わることもあるし見えてくることもある。まあ逆に全く変わらないこともあるがな」


 そう苦笑しつつ堀井は優し気な目を蒼司に向けた。それは今まで見たことがないような目。蒼司はそんな目を向けられるとは思いもせず、なにやら居心地の悪さを覚えた。同情されることも共感されることも苦手だった。蒼司自身はなんとも思っていないのだ。それを理解しようとしてくる人間の気持ちが分からなくて、いつも蒼司は戸惑う。堀井は蒼司の内面を探ろうという目を向けては来るが、同情のような目を向けて来たことなどなかった。それが今、このように蒼司の理解者のような言葉を向けられることに嫌悪すら感じてしまう。

 しかし、そんな蒼司の内心とは裏腹に堀井のその言葉はなぜだか堀井自身に言っているようにも見えた。まるで自分に言い聞かせるような――だからこそ蒼司は困惑していた。


「ま、ひとはいつかは死ぬ。そのとき後悔しないように生きろってことだ」

「兄さん……」


 蒼司ではない誰かを見ているような、遠くを見ているような、そんな目を向ける堀井の姿に、隣に座る亜耶はなぜか少し辛そうな顔で堀井を見詰めていた。


「そうですね……善処します」

「お前なぁ、それ、やる気ないだろ」


 社交辞令のような返事をする蒼司に文句を言いながらも、どこか楽しそうに笑う堀井の姿に亜耶はホッとするような安堵の表情を浮かべていた。蒼司はそんなふたりの様子に気付いてはいたが、深く追求するつもりもない。他人の事情に首を突っ込むほどお人好しでもない。蒼司が自身から関わろうとするときは、相手が自分に興味を持っていないときだけだ。蒼司自身に興味を持たれる恐れがある場合、その可能性が少しでも感じられた場合、その相手と関わろうとは思わない。それどころか距離を置く。堀井はそれほど近しい人物ではなかった。なかったはずだった。だからこそ軽くとも付き合いが続いているのだ。堀井自身は苦手であったとしても、この付かず離れずの関係が蒼司にとって居心地の良いものになっていることも確かだった。だからといって堀井の言葉を素直に聞き入れるほど、自分自身に関心があるわけでもなかった。自身のことですら、家族と話し合おうという気すら起こらない。会いに行ったところで逆に追い返されるのがオチだろう、それならば行くだけ時間の無駄だ、とすら思う蒼司は苦笑するしかなかった。


「まあ余計なことだったな、忘れてくれ。それよりソファを貸してやるから仮眠でもしておけ」


 堀井は曖昧に笑う蒼司に苦笑するが、しかし、それ以上なにを言っても無駄だと悟ったのか、弁当の入った容器を片付けるために立ち上がったかと思うと、座っていたソファに視線を送った。そして亜耶に毛布を持ってくるように促すと、自身は奥の部屋へと消えて行った。亜耶は堀井に言われるがまま、奥の部屋から持って来た毛布を蒼司に手渡す。そして少し複雑そうな顔を蒼司に向けた。


「兄さんが変なことをごめんなさいね。あんなだけど兄さんも色々あったから思わず口出ししたくなっちゃったのかも……気にしないで」


 眉を下げながら少し寂しそうな顔をする亜耶だが、蒼司はそんな堀井の過去を知りたい訳ではない。いつも軽口を叩いているからといって、その人間がなにも考えていない訳でも、順風満帆な人生である訳でもないだろう。ひとには知られたくない過去がある人間もいる。そんなことは当然だ。

 自分から話したいのならば黙って聞いていることも出来るが、敢えて自分から踏み込んで聞き出そうなどとは露ほども思わない。蒼司は頷くことも出来ずにただ眉を下げながら苦笑するしかなかった。そんな蒼司の内心を知る由もない亜耶はなにか言いたげな顔をしていたが、なにを言うでもなく堀井と同じく奥の部屋へと消えて行った。


『ソージ、次はいつ行くんだっけ?』


 そんなやり取りを聞いていたのかいないのか、珠子は興味がないとばかりに話し出す。早く例の黒い影がなんなのかを調べたくてうずうずしている、といった顔だ。きなこはなにか思うところでもあるのか、神妙な面持ちのままただ蒼司の顔を見詰めていた。


「次は夜中にもう一度あのマンションへ行くよ。だから仮眠をしておこうね」


 蒼司は珠子の頭にポンと手を置くとそっと撫でた。珠子は嬉しそうにただ撫でられているが、蒼司は昔自分が住んでいた『彌勒家』を頭に思い浮かべる。思い出すのは蔑むような父親の目。本家や父親の顔色ばかりを伺う母親の怯えた目。良い思い出などひとつもない『彌勒家』。恨みなどはなにもない。だからといって帰りたいとも思わない。

 家を出たときに絶縁したはずが、母方の姓を名乗ることになったのは母親がそれを望んだからだ。彌勒堂の屋敷も母方のものだった。蒼司自身は完全に縁を切ってしまいたかった。しかし、母の申し訳なさそうな顔を見ると断ることが出来なかった。それで母の気が済むのならば、と受け入れたのだった。それは蒼司にしてみると、自分を心配してのことではないということを理解していた。そうやって生きていく場所を提供してやることで、今まで蒼司が受けてきた扱いを見て見ぬふりをしてきたことが許されると思っているのだ。

 母親の気持ちも分からなくはない。力のない男児を産んだせいで、肩身が狭くなったのは母親も同じだろう。幼いうちからそれを悟っていた蒼司は、母親になにかを求めることはしなかった。姓と屋敷を与えることで、母親が母親らしいことをしたと思えるのならばそれでも良い、とそう思ったのだ。


 蒼司は仮眠に借りたソファに横たわり、事務所の天井を見詰めた。事務所内の電気は消され、窓からは駅前の光が差し込み影を作る。夜になり帰宅してきた人々が増えてきたのか、昼間よりも喧騒が響く。静まり返った事務所内に響く喧騒は、今の蒼司には心地好かった。恨みも憎しみもないが、思い出したい家でもない。蒼司はただ喧騒に耳を傾けながら眠りに就いた。

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