3話:第一の扉

 適合試験が実施されると告げられた朝、訓練場の空気はいつになく張り詰めていた。


 石田将人はいつもより早く目を覚ました。訓練服に袖を通す手はわずかに震えている。額には薄く汗が滲んでいた。


 (ついに……この日が来たか)


 彼は自分の胸に問いかける。ここに来てからの日々──朝から晩までの過酷な訓練、慣れない仲間たちとの共同生活、自分自身の弱さと向き合う毎日──それらすべてが、この日のためにあった。


 訓練場に向かうと、すでに何人かの候補生が整列していた。皆、緊張の色を隠しきれていない。島教官が前に立ち、静かに口を開いた。


「本日、金剛兵スーツの適合試験を実施する。スーツとの人工神経接続、および適性数値の測定が目的だ。中には接続のショックで意識を失う者もいる。覚悟をもって臨め」


 そして彼はさらに厳しい事実を告げた。


「なお、同期率が70%未満の者は、適性不足と判断され、他の一般部隊への転属処置となる。覚悟しろ」


 一瞬、場の空気が凍りついた。


 候補生の誰もが、この場に来るまでに数多の選抜をくぐり抜けてきた。だが、その最後の関門がここにある。


 試験は一人ずつ順番に行われることになった。


 候補生の一人がスーツに入る。接続が始まると、顔をしかめ、やがて声を上げた。


「同期率、38%。接続中止!」


 技術者の声と共にスーツが自動的に解除され、彼はぐったりとした状態で引き出された。


 次々に挑戦者が入れ替わるが、70%台を超える者は少なかった。


 将人はその様子を見つめながら、胸の奥が冷えていくのを感じていた。


 そして、ついに自分の番が回ってきた。


 機体の胸部が開く。彼は一歩、また一歩とその中に踏み入れる。


 内部のアームが彼の四肢と背中に沿って伸び、接続が始まった。


「接続開始……10%、20%、40%……」


 技術者の声が響く中、将人の視界が歪む。全身に走る電撃のような痛み。


 歯を食いしばる。筋肉が意志に反して痙攣する。


 だが、その先に、彼は力を求めていた。両親を奪った敵に立ち向かう力を。


「……60%、70%……同期率、89%……」


「──90%、超えました!」


 その瞬間、場内にざわめきが起きた。


 将人の体はスーツと完全にリンクしていた。機体が彼の意志とともに動く。


 その後も数人が試験に臨んだが、最終的に70%を超えたのは、神谷翔太、波多野守、北条隼人、柚月まどか、佐倉澪、そして石田将人の6人だけだった。


 他の候補生たちは、それぞれに肩を落としながら転属辞令を受け取った。中には悔し涙を浮かべる者もいたが、誰も彼らを責めなかった。


 将人がスーツから降りた瞬間、数人の候補生がざわめくが、将人はそれに気づいてもただ静かに呼吸を整えていた。


 その中の1人が喋りかけてきた。筋肉質で大柄な見た目をしている。


「俺は北条隼人、格闘系専門。スーツとの相性はまあまあだけど、こう見えて拳は自信あるぞ」


「……よろしく」


 隣から別の候補生が歩み寄る。小柄ながら、どこかキりっとした雰囲気を持つ少女だ。


「私は柚月まどか。ドローンでの情報支援と銃での後方からのサポートを担当してるの。よろしく」


「……こちらこそ、よろしく」


 和やかな空気の中にもう一つ、別の声が割って入る。


「いや~すごかったよ、石田。あんた、初日から注目の的だな!」


 声の方を向くともう一人の70%を超えた候補生。明るく、誰にでも気さくそうな雰囲気だ。


「オレは神谷翔太。この隣の無口が、波多野守。俺以外にはあんまりしゃべらないけど、射撃の腕は折り紙付き」


 波多野は黙って軽く会釈をした。無駄口は叩かないが、確かな自信がその佇まいから伝わってくる。


「よろしく」


 将人が応じると、神谷は肩をすくめた。


「まぁ、俺たちは剣は無理だな。今度、使い方教えてくれよ」


「……機会があれば」


 ふと神谷が何気なく言った。


「そういや、剣の動きって、誰かに習ったのか?」


 将人は少しだけ目を伏せてから答える。


「……島教官に、教えてもらってるんだ。毎晩、訓練のあとに」


「へえ……島教官が?」


「うん。昔、彼もスーツ適合者だったらしい。使ってたのも、俺と同じく剣だったって」


「マジか。あの堅物が剣士……意外だな」


 神谷が感心したように呟く。


 その会話を聞いていた北条が苦笑しながら肩をすくめた。


「ま、教官も人間だったってことだな。そういうの、ちょっと安心する」


 島教官が静かに皆を見回していた。


「この訓練は個人戦ではない。お互いの力を補い合うのが金剛兵の要だ。今日からお前たちは“部隊”として動く。仲間を信じ、連携を意識しろ」


 その言葉を胸に、将人はゆっくりと仲間たちの輪に加わった。


 夜。訓練棟の一角。将人は窓の外を見ながら、静かに息をついた。


 ──今日から、本当に始まったのだ。


 自分の命を賭ける戦いが。仲間と共に歩む日々が。


 そしてその夜、訓練棟の談話室では思いがけない小さな宴が開かれていた。


「石田、お前さ……ほんとに初めてだったのか?」


 北条が唐揚げを口にしながら訊ねた。


「……まあ、模擬機すら触ったことなかったし」


「信じらんねぇな」


「でも……あのとき、スーツの中で“つながった”感じがしたんです。体の延長みたいに」


「わかるわ。私も初めて接続したとき、そうだった」


 柚月の言葉に、澪が静かに続ける。


「……金剛って、意思を試されてるような気がするの。人としての、心の強さを」


「心か……」


 将人は小さく呟いた。その言葉が、ずっと胸の奥に残った。


 その時だった。


 神谷がふと湯飲みを掲げて言った。


「なー波多野、これ緑茶だった。お前のいたずらだな?」


 波多野は表情を変えずに少しだけ頷いた。


「バレたか」


「まったく……俺は紅茶派だっての」


「だが結局、飲むんだろ?」


 神谷が苦笑しながら緑茶を一口啜る。


「これはこれで美味いな」


そのやりとりを見て、周囲の仲間たちが自然と笑みをこぼした。


 この日、彼らの関係性は大きく動き出した。


 ただの候補生同士ではない、“仲間”としての第一歩が、確かに踏み出されたのだった。

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