本編③(小さなズレと“確かめる会話”)

翌朝、悠真が目を覚ましたとき、美咲は既に起きていた。

台所から、食器の触れ合う音が微かに聞こえる。


「……おはよう」


「おはよう。ごはん、もうすぐできるよ」


朝食の匂いが部屋に広がる。

でも、ふと違和感を覚えた。


この匂い――朝の、美咲の朝食じゃない。


彼女はずっと、朝は軽め派だった。

ヨーグルトにグラノーラ、トーストにジャム、コーヒーはブラックで。

それが今日は、炊きたての白米と味噌汁、塩鮭に厚焼き玉子。


「朝からしっかり食べるの、めずらしいね」


「え? 私、いつもこれくらい食べてたよ?」


平然と返されたその一言に、脳の奥がわずかに軋んだ。

それは嘘だ――と直感が叫んでいる。

けれど、根拠がない。

写真を撮っていたわけでもない。

ただの記憶の話。

そしてその記憶が、もしかすると“間違っているのは自分の方かもしれない”という不安を招く。


「……そっか。そうだったっけ」


「うん。悠真の記憶、曖昧になってるんじゃない?」


冗談交じりの笑み。

だけど、その笑みにもまた、何かがあった。

見慣れた顔なのに、感情の奥が見えない。



昼過ぎ。

掃除を終えたあと、ふとした拍子に古い写真の整理が始まった。

リビングの棚にあったアルバムを、美咲が手に取る。


「懐かしいね。これ、付き合って最初の旅行のやつじゃん」


「そうそう、箱根行ったとき」


「……ううん、これ、伊香保温泉だよ?」


ページをめくる。

たしかに、風景は伊香保だった。


おかしい。箱根に行ったはずだった。

あのとき、ロープウェイに乗って、雨が降ってて――


「でも……俺、箱根行ったの覚えてるよ。雨降ってたじゃん」


「それ、伊香保の方だよ。箱根は行ってないでしょ、まだ」


まだ?


言葉のひとつひとつが、記憶を浸食してくる。


そして、写真に写る彼女の笑顔は――

なぜか、少しだけ今の彼女と表情が違っていた気がした。

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