第9話

――午前十時、東京。

大架は寝ている妹を横目に車内に残したまま、ホームセンターに松葉杖を買う。

そうして、車がマンションの前に停まる。

大架の住む部屋だ。

「着いたぞ」

助手席で眠っていた紗倉は、ゆっくりと目を開けた。

「……東京、着いたんやな」

「あぁ」

兄はシートベルトを外し、車を降りると、すぐに紗倉の側へ回る。

「立てるか?」

「うん、大丈夫――」

そう言いかけた瞬間、ギプスで固定された足に体重をかけてしまい、バランスを崩した。

「っ……!」

「ほら、言わんこっちゃない」

大架は買った松葉杖を後ろの座席から取り出す。

「ほら、買っといたから」

「……助かる」

紗倉は松葉杖を受け取り、ぎこちなく体を支えながら車から降りた。

「荷物持ってくから、お前は自分の足だけ気にしろ」

大架はそう言って、トランクを開けた。

「そんなん言うけど、私の荷物、けっこう重いで?」

「問題ない」

大架はキャリーケースの取っ手を引き、パソコン類を取り出してさっさと歩き出した。

その手際の良さに、紗倉は思わず感心する。

「……ほんま、こういうときだけ頼りになるよな」

紗倉はいらない一言を漏らす。

「何か言ったか?」

「何でもない」

大架の後に続き、ゆっくりと歩く。

マンションのエントランスを通り抜け、エレベーターに乗り込んだ。

ボタンを押して上昇を待つ間、大架がふと口を開く。

「とりあえず、落ち着いたら飯食え。まともに食ってなかったんだろ?」

「うん……実家じゃ、ほぼ食べさせてもらってへんかったし」

紗倉が苦笑混じりに言うと、大架の眉がわずかに寄った。

「……」

大架は黙ったままだが、それには父親に対しての憤りが見えている。

エレベーターが止まり、扉が開く。


大架の部屋はすぐ近くだった。

鍵を開けて中へ入ると、きれいに整頓された空間が広がっている。

「お前、まずソファに座れ」

大架はリビングにあるソファに視線を移す。

「ええの?」

「ベッドより動きやすいだろ」

言われた通り、紗倉はソファに腰を下ろした。

足を伸ばそうとすると、大架がすぐにクッションを持ってきて支えにしてくれる。

「少しでも楽になれ」

「……ほんま、お兄ちゃんには頭上がらんな」

ふっと肩の力が抜ける。


大架はとりあえず荷物をリビングに置き、そのままキッチンへ行く。

冷蔵庫から冷凍の白米を取り出し、電子レンジで温める。

その間に、軽めのおかずを作る。

「ビビビ」

そうしていると、ポケットに入っていたスマホが鳴る。

どうやら上司からのようだ。

「やっべ…」

紗倉のことで頭がいっぱいで、会社のことをすっかり忘れていた。

大架は恐る恐る電話に出る。

「あー桃未か?会社いないけど、寝坊か?」

「いえー、その…」

大架は今までの全貌を会社に簡潔に話した。


「なるほど。家庭の事情だし、仕方ないさ。上には俺から報告しとくよ」

「……すみません、助かります」

電話の向こうの上司はため息混じりに笑った。

「まぁ、そういう事情なら仕方ないな。しばらく休みを取るか?」

「いや、大丈夫です。明日からは出社します」

「そうか。無理はするなよ」

「ありがとうございます」


通話を終え、大架はスマホを置いた。

ひとまず仕事のほうは何とかなりそうだ。


レンジの音が鳴り、温めた白米を取り出す。

そのまま小さなおにぎりを作り、冷蔵庫にあった簡単な味噌汁と卵焼きを添えて皿に乗せた。

「おい、できたぞ」

ソファに座っていた紗倉が顔を上げる。

「……なんか、ちゃんとご飯って感じやな」

「とゆうかお兄ちゃん、料理できたんだ」

紗倉はそう言ってくる。

「舐め過ぎ」

紗倉は少し照れくさそうにしながら、箸を手に取った。

「いただきます」

一口食べると、じんわりとした温かさが体に染み渡る。

「……美味しい」

ぽつりとこぼれたその言葉に、大架は少しだけ目を細めた。


「飯食いながらでいいんだが、これから先について少し話さないか?」

大架はご飯を食べている紗倉にそう問いかける。

「お前、これからどうするつもりなんだ?」

「どうするって……とりあえず、大阪の家には戻らへん。それは決まりや」

「そりゃそうだろ」

大架は腕を組み、少し考えるように視線を落とす。

「でも、ずっとここにいるわけにもいかないだろ」

「……うん」

紗倉もそれは分かっていた。

兄の部屋にずっと居候するわけにもいかないし、自分の生活をどうするか考えなくてはいけない。

大学も編入のした大学に行かなければならない。

「まぁ、しばらくはここでいい。けど、お前自身のこれからの生活も考えろよ。大学もあるんだから」

「それは……考えとる。でも、今すぐには決められへん」

紗倉は箸を止め、少しうつむいた。

「そりゃそうだよな」

大架はため息をつくと、テーブルに手を置いた。

「じゃあ、まずは生活を整えることからだな。食事とか、病院とか。仕事もどうするのか」

「仕事……」

紗倉の頭をよぎったのは、自分のVTuber活動だった。

今のこの状況をまだ誰にも話していない。

スマホがない関係、事務所に連絡を取ることもできない。

「お前、今やってる活動は続けるのか?」

大架が少し探るような目で尋ねる。

「……うん、続けたい」

紗倉はまっすぐにそう答えた。

「でも、運営との連絡が取れない。これからまだまだやりたいことあるし」

「そうか……」

大架は少し考え込むように視線を落とす。

「持ってきたパソコンから連絡は取れないのか?」

大架はそう聞く。

「できるかも…」

紗倉のその言葉を聞いて、大架は先ほど持ってきたパソコンとモニターを取り出した。

そして、電源ケーブルを繋いで接続する。

紗倉はパソコン上にあるメッセージアプリを開く。

そこにはしっかりと運営や同期とのやりとりが残っていた。

「よかった…!」

紗倉は胸を撫で下ろした。

運営からのメッセージを確認すると、ものすごい量が来ていた。

『以前よりお話ししていた家庭の事情により、配信ができない状態にあります。これからについて、どうぞよろしくお願いします』

紗倉はそう返信し、SNSも開く。

しばらく浮上できていなかったわけだ。

ファンからは心配の声が多数上がっている。

『しばらく忙しくて反応見れてない!また少ししたら見にいく!』

そうSNSに書き込んだ。

「こんなもんかな…」

紗倉はそう言葉を漏らすと、急に睡魔がやってきた。

「私寝るわ」

紗倉はそう言うと、そのまま座っていたソファに横になった。

「ベッドで寝ろ。連れてくから」

大架は眠そうな紗倉は寝室へと持っていった。

寝かすと、すぐに夢の中へと入っていった。

「なんとか終わりかな」

大架はそう言葉を漏らした。

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