3. アラフォーから始める異世界語講座

『しきじりつ【識字率】 文字の読み書きができる人の割合』


「……異世界まで来て、こんな壁にぶち当たるとは思わなかった」


 すでに村を発ったメリディアナさんからもらった魔法の教本。しかし、この世界の文字を習っていない俺では読むことができなかった。


 なので、両親に読み書きを教えてもらおうと思ったのだが……。


「まさか両親すら文字が読めないとは……!」


 前世の日本では義務教育制度が充実していたので、字を読み書きできないという人はかなり稀だった。


 しかし、ここは中世ヨーロッパ風の異世界。都市部はどうか知らないが、辺境にある農村の識字率などお察しである。つまり、ほとんどの村人が読み書きができない。


 最初は「きれいなおねえさんにもらったほんをよこせ!」と言ってたリゲルも、一ページ目を読んだだけで「スン……」となってたし。


「こうなったら……」


 この村随一の知恵者を頼るしかない!


「……それでワシのところに?」

「お願いします! 俺に文字の読み書きを教えてください!」


 驚く村長へ深々と頭を下げる。急がば回れ……というか、それ以前の問題だ。カナヅチが琵琶湖を泳いで渡ろうなど、無謀どころの話ではない。


 まずは文字を読めるようにならなければ話にならない。この村で最も読み書きができる可能性が高いのは、やはり村長だろう。


「お、おぉ……」

「村長?」

「ノヴァは元々、大人顔負けなほどにしっかりしていたが……もしかしたら、この子は天才なのかもしれない!」


 中身がアラフォーのおっさんなだけです。そんなつもりは微塵もないけど、詐欺をしているみたいで微妙な気分だ。


「ふむ……ノヴァになら、ワシの孫娘を嫁にやっても良いかもしれん」

「え」

「隣村に嫁いだワシの娘の末っ子なのだが、確かノヴァに歳が近かったはずだ」

「いえ、それは申し訳ないというか……」


 俺と歳が近いということは、まだ幼女ってことだろ? 本人のあずかり知らない所で、勝手に俺とくっつけられるのは可哀想だ。あと俺はロリ〇ンではないので。


「それよりも読み書きの件ですが」

「うむ。ワシも最低限度の知識しか持っておらんが、それで良ければ教えてあげよう」

「あ、ありがとうございます!」

「立派な大人になって、ワシの孫娘に贅沢させてやってくれ」

「決定事項!?」


 孫娘についてはやんわりと誤魔化しておいたが、これからは村長の家で毎日読み書きを教えてもらえることになった。


 その日の夜、両親にそのことを報告したのだが――


「良かったじゃないか、ノヴァ! あんた、読み書きができるようになるまで家の手伝いはしなくてもいいよ」

「え、でも……」

「大丈夫さ。最近はリゲルがちゃんと手伝ってくれるようになったからね」

「おれ、りっぱなのうみんになるんだ!」


 この間のフレッダの件で、冒険者に対してトラウマができたらしい。あれ以来、パタリと冒険者になりたいとは言わなくなった。


 ……まぁ気持ちはわかる。メリディアナさんは優しかったけど、フレッダみたいな奴もいると知ってしまったらな。


 しかし、ネット小説に出てくる冒険者は荒くれ者が多かった。フレッダの豹変ぶりには驚いたが、現実はああいうタイプの方が多数派なのかもしれない。


「この通り、リゲルは跡取りとしての自覚が出てきたみたいだからさ。ノヴァは自分の好きなようにおやり」

「……うん!」


 チートはない、けれど優しい家族はいる。色々と予定外だったけど、こんな生活も悪くないのかもしれない。


「のうみんおうに、おれはなる!」


 やめとけ、リゲル。変な果物とか絶対食べるなよ。


          ◇


 次の日から、読み書きの勉強のために村長の家に通う日々が始まった。……そして初日から心が折れた。


 想像して欲しい。生まれてからずっと日本で過ごしていたアラフォーが、一から言語を習得する苦労を。


 これが英語とかならまだいい。例えうろ覚えであっても、人生の中で触れる機会がそれなりにある。


 しかし、いま俺が習得しようとしているのは全く未知の言語だ。例えるなら、大人になってからアラビア語やスワヒリ語を学ぶようなものだろうか。


 ……会話だけはできるんだけどな。今さらだけど自動翻訳チートとかもないので、会話は当然この世界の言葉を使っている。


 最初は全く理解できなかったが、ここで暮らしていれば嫌でも覚えるというものだ。ネット小説でよくある「日本語に聞こえる」ってどういう感覚やねん。


「えっと……こうですか?」

「ああ、ここはこうじゃなくて……こう」


 わ、わからん……! アルファベットとは全く違う記号の羅列に頭がパンクしそうになる。


 くぅ……だが諦めない! この程度のことでつまずいていたら、魔法を使うなど夢のまた夢だ!


「ただいま……」

 

 そして家に帰ったら、教本の翻訳作業。もちろん全然理解できないだろうが、少しずつでも進めておいた方が良いだろう。


 未知の言語で書かれた未知の書物を必死に翻訳する。解体新書を翻訳した杉田玄白たちはこんな気分だったのだろう……違うか。


 翌日以降も、村長の家で勉強しては家に帰って翻訳という毎日。それが三ヶ月ほど続いたある日のことだった。


「お、おお……」


 ようやく教本の最初の一ページを翻訳することに成功した。そこに書かれていたのは『魔力の集め方』について。


 魔力は自然界のあらゆる場所に存在しており、魔法を使う時はこの自然界の魔力を集めて使うらしい。


 ……ゲームの魔法みたいにMPを消費するわけじゃないんだな。


 ただ、これは俺にとっては朗報だ。俺はゼロチートでお馴染みなんだから、MPだって貧弱だったに違いない。


 教本の手順に従って魔力を集めていく。すると――


「あ――」


 ほんの一粒……ほんの一粒だけど、蛍のように飛んできた光の粒が手のひらに乗った。しかし、それはすぐに雪のように消えてしまう。


「……やった」


 それでも、できた。チートがなくたって、村人の生まれだって、魔法を使える可能性はある!


「やったやった! これならいつか、ちゃんとした魔法も――」

「うるさいよ、ノヴァ! 何時だと思ってるんだい!」

「ごめんなさい!?」


 ……今度は深夜じゃなくて明るい時間にやろう。

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