第2話 『きっと誰かがどうにかしてくれる(なんて事はない)』
「使者殿、我々とて街道整備の意義は理解している。だが昨年港の整備に持てる資金をつぎ込んだばかりで金など残っていないのだ」
「いえ、ですから、私使者ではなくて……」
「ここは屋敷内であるから、隠す必要などありませんぞ。国王陛下肝いりの街道整備となれば王家の密使がやって来るのは自明の理。使者殿の真意はきちんと理解しているつもりです」
「いえ、まず話を聞いてください……」
ファリスがやって来たプエルトス・コミューネスの港町は、漁業と商船の中継地が産業の中心な小さな町で、隣国であるブエン・ヴェシノ王国との国境の街でもある。
王都から延びる街道の一つはこの町を通って国境の峠道に向かっている。
ファリスの任務は国境から王都に向けての街道の現地調査なのだが、調査許可証を領主の館に提出しに来ただけなのに、何を勘違いしたのか領主に面通しされ、こうして応接室で『わが領にはお金がない』という言い訳をすでに一時間ばかり聞いていた。
自分は使者でもましてや密使でも何でもないと言っても、領主様は聞いちゃくれない。
国境を任されるくらいだから王家への忠誠も厚い仕事のできる人ではあるのだろうとファリスは察したが、何というか話の通じなさに半ば途方に暮れていた。
「私は本当に考古学研究所のただの一所員の平民です。国王陛下の使者でも何でもありません……」
「よい、よい、分かっている。使者殿を困らせるのは私も本意ではない。であるからして、宰相殿には金は出せないが人工は出すとお伝え下され」
「はあ……まあ、上司を通じて宰相殿にはお伝えいたしますが、私ただの国家の歯車の一つですよ?使者の方が本当に来るなら、おそらくこのあと来られると思いますよ?」
「なるほどそうか。使者を重ねて寄越すなど、この事業の重要さは肝に銘じておこうぞ」
その後「ああそれと」と言い足す形で、領主様から港の整備の際、優秀な工員を派遣してもらい、立派な防波堤が出来た事への感謝の言伝を預かる。
「密使殿も後でご覧になると良い。おかげで漁師が嵐のたびに船を陸に上げる必要がなくなり、大いに助かっているのだ」
「左様ですか。それでは明日にでも見学させて頂きます…………それでですね、今後領内を色々調査させて頂く事になるのですが、それは構わないでしょうか?」
「うむ。それは一向に構わんぞ。助力や許可が必要であればいつでも館に来ればいい。ああそうだ、領内での仕事が妨げにならぬよう許可証を出しておこう、しばし待たれよ」
「あ、それはとても助かります」
ようやく話が進展してファリスもホッとする。
固く握手を交わし、領主の館に泊まるよう薦められるのをどうにか断り、ようやくファリスは一人でゆっくりできる時間を得る事ができた。
*
‘’考古学的見地から見る街道整備に関する留意事項の報告書 第1報
報告者:考古学研究所古文書解析課 ファリス・タリーズ二等調査員
現在はプエルトス・コミューネスの街に到着し、市街地の街道沿いの歴史的建造物と障害物、橋梁等の調査を終えた。
市街地は馬車二台がすれ違える道幅は確保されているため、拡幅や改良は不要と推察される。
また、国境となるシャンルー峠までの区間で懸念される箇所は全区間といって差し支えない。峠に到達するまで20km余りの間は、直線距離では5km程度と領主の資料から判明。街道は街の東方1kmより河川沿いの切り立った斜面地にへばり付くように伸びており、改良となれば大規模な土木工事が避けらない。
多数の橋が必要となるだけでなく、最近作られるようになったと聞く隧道などを建設する必要もある。
技術及び資金的な問題が発生するのは必至であり、現地の事情に沿った現実的な案に修正することを提案する。
なお、今後の調査はプエルトス・コミューネス西方の街道調査に入る予定である
以上‘’
「というわけで領主様、明日からは街の西方の調査に入りますので、よろしくお願いします」
上司への報告内容を念のため領主様に見てもらい、許可を得て送ろうとしてファリスは領主館に来ていた。
問題なしの太鼓判はすぐに押してくれて、その後は街道の実情などの雑談になる。
ただの雑談の風向きが変わり始めたのは、例の即位二十周年式典での国王陛下のぶち上げた街道整備計画の真意についての話になった時だ。
「それで密使殿はどう思う?」
「どう、とは?」
いつもは明るく口の軽い領主様が何やら深刻な顔でファリスにそう問いかける。
政治的な駆け引きや軍事、外交と言ったものの機微に免疫のないファリスには、まともに返す言葉すら思いつかなかった。
「フフフ、我らは目的を同じくするとてそう簡単に腹は割ってくれぬか。いや、おそらく密使殿は我らの立場をご理解いただいているが故、我らを巻き込まぬようそのようなはぐらかしをされるのであろうが……」
「え?なんの事です?」
本気で判っていないファリスは少々焦るが、領主様は鷹揚に頷いてまあ良いのだとにんまり笑う。
「領主様、前々から言っていますが、私は密使でも何でもないですからね?」
「おおそうだ、そういう設定であったな」
「それにしても陛下も街道の直線化とは誠に大胆な政策を挙げられたものよな」
「ええ全く」
領主様は心底感心した風だったが、ファリスはその純粋な領主様にそのままでいてもらいたくて、領主様の対極の心情で同意する。
実際王家のこれまでの神がかりな実績のせいで、貴族の中には妄信的に王家を支持するきらいがある。
しかし庶民は振り回される側なので、他国に比べて異様に洞察力と用心深さを身に付けている人々が多い。つまりは王家の意向に常に逆張りをしている。
この認識の差は、領主様とファリスの間にそのまま横たわっていたりする……
「貿易は活発になった故、国境までの峠道の改善要望は往来の商人からよく出ておったので、気にはなっていたのだ」
「確かに国境の峠は、坂道を緩やかにしようと曲がりくねっていますからね」
「そう、そこよ。商人の往来だけでなく、軍を展開するにもこういった隘路は問題になることも多い。ご先祖様も峠でブエン・ヴェシノの連中とやり合う際、幾度となく救援が間に合わずに煮湯を飲まされたと聞く。それだけに迅速に軍隊を展開できる街道はありがたいのだ」
「それは、おっしゃる通りですね」
「故に、だ」
ニヤリと領主様が笑う。ファリスは嫌な予感しかしない。なので絶句したまま沈黙を選んだ。うまく笑って誤魔化しているだろうかと思いながら、領主様との噛み合っていない話の続きを促す。
「まずは先行して街道の改良を始めようと思っている」
「え?」
この人は何を言い出したのかと思い、不敬であることも忘れて思わず領主様の顔を直視する。
「いずれ行うのであれば、今から始めても何の問題もなかろう」
「し、しかしまだルートも何も決まっていませんが……」
「何、その時はまたその時よ。今の街道沿いにもいくつか村落があるからな、領民たちの往来が楽になるのだから問題はなかろう」
「まだ予算も何もついていませんよ?領主様の持ち出しになるやもしれず……」
「以前も申したであろう?金はないが人は出すと」
「確かにそう伺いましたが」
「何、国づくりも戦もまずはひと当てして相手の出方を見るものよ。直属の騎士団を鍛錬がてら人工に当てるゆえ、国庫に迷惑を掛けはしない。心配なされるな」
一から十まで心配しかなかったが、領内の工事を領主の判断で行うのだ。ファリスに止める資格も権力もない。
どうしたものか考えたくて、その後何を言ったか記憶にないままファリスは宿に帰り、とりあえず上司に追加で報告しようとペンを取る。
そして領主様に振り回されないよう自分の任務を再確認して、予定通り明日からは街の西方の調査に入ることにした。
なお、せめて着工する位置を確認したほうが良かったとその後後悔することとなる――――
*
‘’考古学的見地から見る街道整備に関する留意事項の報告書 第3報
報告者:考古学研究所古文書解析課 ファリス・タリーズ二等調査員
プエルトス・コミュ―ネス西方の調査に追加事項があるためまず冒頭に記す。
領地界の川手前の街道予定地の干拓状況であるが、第2報の報告後、名主の土地改良済の言に疑義を感じて確認に行った。結果現状は事業途中の放棄状態であり、湿地のままとなっていた。おそらく2㎞にわたり地盤の改良が必要と思われる。
領地の技官によれば、改良には十年以上を要するのではないかとの意見を聞いている。
また、領地騎士団が道路改良のためにシャンルー峠の中腹より山の斜面を掘削し始めた。領主殿が遠国より爆薬なるものを取り寄せ、固い岩などを砕いている。
爆薬は使用時に大きな音と振動を伴い、その様は悪鬼の咆哮もかくやという恐ろしいものとなっている。
相当広範囲に音と振動が伝わるため、周囲の村民の怯え方もひどく、恐怖から作業中止の直訴が届く程となっている。
調査員の見解として、周辺住民の慰撫と隣国への説明が必要ではないかと愚考する。
幸い騎士団作業箇所は、プエルトス・コミュ―ネスよりシャンルー峠頂部への直線上にあり、今後の街道改良時に編入できる位置であった。
本来なら次の任地に向かう予定であったが、指示のあった通り、シャンルー峠周辺の調査報告を行った後に移動する予定としている
以上‘’
「ところで領主様、この爆薬なるもの、どうやって手に入れたのですか?」
「うむ、三年前に漂着した難破船の生き残りを助けた際、お礼と言って献上されてな。それから使い道を色々考えていたのだよ。ああ勿論王都にも献上と報告はしている。そうは言いつつ密使殿もすでにご存じと思っていたが?」
「滅相もないです。私は考古学研究所の一介の調査員に過ぎません」
「はっはっは、そういえばそういう設定であったな」
あーそこは認識そのまんまかとファリスは天を仰ぐ。
「重ね重ね申し上げますが、私は何も隠し事はないただの平民の調査員です」
「ああそうだったな、わかったわかった」
大仰なゼスチャーはからかわれているのだろうかと思ったが、振り回されることが多いとはいえ、領主様の人柄にはファリスは結構好感を抱いていた。
裏表なく目的が明確で、猪突猛進の権化のような人物像が、損得やマイナス要素を消し飛ばすような痛快さを抱かせる。
領民や騎士団が領主様の思いや行動に何の疑問もなくついて行くのも、分らなくもないと思わせる所があった。
ファリスの専門は考古学であり、得意とするのは時折発掘される先史文明の古文書解析である。目の前で繰り広げられるマッチョ一辺倒の土木工事なんざ専門外もいい所なのだ、本来は。
しかしファリスの目にしてきた古文書に、この場に適任の知識が無いでもない。
古文書の記述内容は非常に広範囲で、古文書解析の文官はそれぞれの専攻分野を持っている。ファリスのそれは技術的な方向に造詣が深い。
車両や船舶、樹木や金属の加工といった事への興味が深く、そう言った内容の遺物の解析を得意としていた。
それだけに後先考えない爆破行為がもたらす影響に、具体的な事は解らないながら危惧を抱いていた。
「領主様、この爆破というもの、壊したいところ以外にも随分な影響を出しているように見えるのですが?」
「そうか?」
「はい。確かにあの固そうな岩が爆薬とやらで粉々になっていますが、火をつける騎士団の皆様も大変でしょうし、以前伺った爆薬とやらの値段を考えると、あまり割に合わないような……」
「ははは、密使殿は気にされなくてもいい。あれは件の商人から毎年定期的に買ったはいいが、活かし所を決めかねていたものであるからな。むしろ活用できて万々歳よ」
「はあ……」
あの威力とそこそこの扱いやすさを考えれば、軍事的にも産業的にもいくらでも活用の場所があるのだが、領主様には目の前の街道整備のための爆破以外の使い道は思考の端にもかからないようだ。
『むしろそれ以外は思いつかないで頂きたい』
なんてことを思いつつ現場作業を眺め、領主様とファリスが今回の爆破計画の内容を確認する。
谷筋の向こうで騎士団員が全速力で斜面を駆け上がるのを見ているうち、視界の端で数点の閃光が瞬き、追って轟音と振動がビリビリと衝撃波を伴って通過してゆく。
「ん?」
「領主様、何かありましたか?」
「ああいや、きっと大した事では無いと思うのだが、なんだか爆破したまわりの尾根が全体で動いているように見えたのでな……」
はあそうですかと深入りしないように返そうとしたファリスは、確かに視界の端で何かが動いたのを感じて言葉を失う。
およそ地面というものは、何があっても動かないものと言う観念がある。
自分たちが拠り所としているものが不安定な物であってほしくないのは、願望ではなく摂理なんだとファリスは感じていた。
でもそうではなかったのだ。
この日コミュ―ネス辺境伯領の国境付近にて、連日の爆破作業により大規模な土砂崩れが発生した。
ブエン・ヴェシノ王国に通ずるシャンルー峠として知られる国境の隘路は、この爆発に伴う尾根の崩壊で1kmにわたって不通となる。
それだけならまだ何とかなっただろうが、崩れた土砂は谷を埋め、川の水をせき止めてしまった。
その後も崩れた一帯は不安定な状態が続き、迂闊に人が近付けず、現状の確認もままならない状況となる。
「おお、密使殿も来られたか」
数日後、領主様の館に顔を出したファリスは、領主様が崩落現場の視察に向かったと聞き、心配になって自分も現場に向かう事にした。
「上流の村の方々の避難は?」
「先ほど騎士団が最後の一団を護衛して通過したところだ」
「それは何よりです。ああ、この件王都にも一報入れておりますが、なかなか上に話が行っていないかもしれません」
「仕方あるまいて。王命による街道整備は何よりの優先課題である」
谷の反対側から眺める崩落現場は、今でも時折岩が転げ落ちているような状況だ。
無残に引き剥がされた森の木々は谷底だった場所で岩石と混ざって川を塞ぐダムになっている。
「無駄かもしれませんが、例の爆薬を使って、少しでも土を崩してはいかがでしょうか?」
「ふむ、実は先の爆破で手持ちは使い切ってしまっておってな。来年まで手に入らん」
「それはまた……」
「しかし崩さなくて良いのなら、それに越したことはないとは思わぬか?」
「いえいえいえ、上流の村は水没してしまいますよ?すでに街道も使い物にならないではないですか」
「なに、灌漑用の湖が出来たと思いえばいい。密使殿も先日土砂をすべて取り除くのは不可能と申しておったではないか」
「それはそうですが…………」
もし湖が崩壊したらという心配でファリスは気が気でないのだが、領主様は結構でんと構えて動じない。
その心配を話しても、下流に大して人家は無いと気にもかけていない。
とはいえプエルトス・コミューネスの街の西側を川が流れている訳で、影響がゼロとは楽観できない所も当然ある。
余計なお節介と思いつつも、丁度そこから街と川を見下ろせたので、いざという時のための堤防をどのあたりに作るかや、あえて町の無い側には堤防を作らないようにすることなどをファリスと領主様で話し合った。
ファリスがその日宿に帰って報告書を書いている際、今日の自分の行動が清く正しきお節介者のコレジャナイ王国民のそれだと気付く。
気付いてしまうと余計なことまで報告書に盛り込みそうな気がしたので、手を止めて頭の中をリセットすべく、階下のパブで明日を気にせず痛飲した。
後日、上司からは街道調査はともかくとして、峠に出来た湖について詳しく報告してくれとの指示があり、また一歩通常の研究生活から遠ざかったことをファリスは悟る――――。
つづく!
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