春の憂鬱

長櫓愛希

春の憂鬱






ここ最近、なぜかわからないが子供の頃の夢を頻繁に見る。それも、あまりよい思い出がない小学生時代の頃の…。



私にとって、小学生時代は中学生時代に次ぐ黒歴史、思い出したくもない最低最悪の時代だった。できることならば、すべて記憶から抹消したいくらいなのだ。




それはさておき…。

子供の頃から私は、普通の子供はあまり気にもとめないであろうところに、おかしいくらい気を遣いすぎるところがあった。




例えば、同級生に対して自分が発した言葉をいつまでも気に病んだり、これを言ったがために相手に嫌われてしまったのでは…等など。




常に「他人からどう思われているのか」ということに囚われ縛られていたと、今振り返ってみても思うのだ。




誰かに嫌われるのが怖くて、本当は嫌なのに頼まれたことは断れず、無理に笑って自分の気持ちはいつも後回し。




今思うと、病的なまでに神経質な子供だったと思う。




また、「すごいね」とか「ちゃんとしてるね」とか「優しいね」なんてことを言われれば、「嫌われないでよかった」と、どこかでホッとすると同時に、これでいいんだと思い込んでいたように感じる。




しかし、本当の私は、そんなに良い人でもないし、好きでやっていることではない。また、そんなに器用でもないし、いつでも笑顔でいられるわけじゃない。




こんな風に自分を偽り、無理を重ねるうちに心も体も限界を迎えた私は、「もう消えてしまいたい」と思うほどに疲弊してしまっていた。




夜になると、突然涙が止まらなくなることもあり、そんな自分を責めては、どんどん自分で自分を追い込み苦しくなっていったのだ。




多分、当時の私は「うつ病」もしくは「対人恐怖症」を患っていたのかもしれない。


当時はまだ、今みたいに精神疾患を抱えている人に対しての理解がない時代ゆえ、今の時代とはまた違う生きづらさが確かにあった。










でもある時、ふと立ち止まって思った。







ーー こんなに無理して、私の人生はいったい誰のための人生なんだろう…。






そこからは、少しずつではあるけれども、もっと自分のことを大事にするようになっていった。



自分が本当に嫌ならば「NO!!」と言う勇気を持つこと。しんどい時は「もう、やってらんない!」と声に出すこと。そして、たとえ頑張れなかったとしても、そういう自分を責めないこと。




もちろん、今でも他人の目が気になることや、嫌われるかも…という恐怖心は少なからずあるし、弱い自分に落ち込む日もある。



でも、もう「消えたい」と思うほど自分を追い込むことはない。





誰かの期待に応えるための人生じゃなく、自分の心に正直に生きる人生を選べるようになったのかな…と。






ま、期待に応えられないし…ふふ(*´艸`*)






(*´艸`*)ヾ(ーωー;) ふふ、じゃない…








今も私は、人間関係に関しては相も変わらぬ不器用な人間だ。 が、しかし、昔よりは遥かにずっと楽に自分らしく生きられていると思う。






あの頃の自分に言ってやりたい。


 




「そんなに自分に無理しなくていいんだよ。本当の素の自分でいいんだよ」






……と。








本当の自分をさらけ出して、結果、去って行く人とは、所詮はそれまでの関係なのだと。






そんなに悩まなくても、ひとりだって何とかやっていけるんだから。




たとえ、うまく行かなくたって笑い飛ばしてやれって、ね…。








ヾ(〃ω〃)ゞ わはははは!!








ヾ(〃ω〃)ゞヾ(ーωー;)








。。。。。。(ーωー;) ←








お後がよろしいようで………なわけあるかい!!凸(ーωー;)








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