封印4

 

「あーあ、呑み足りないなあ」

「一杯だけという約束だったでしょう」


 エレベーターの中で立花は、すげなく言い放ち、部屋の鍵を取り出す。


 一騎と男は、風呂上りの飲み物を買いに行っていた。


 動き出した振動を感じながら、生成り色の床を見て、少女は呟く。


「上のラウンジで飲みたいなあ。


 いつかあんたが作ってくれたみたいな、ほら、緑の濃いカクテルみたいなの。

 ミントのささったやつ」


 立花は聞こえぬふりをする。


 仕方ないので、後ろに背を預けると、手に冷たいものが当たる。


 等身大の鏡だった。


 なんとなくそれに手を伸ばす。

 あの幻を捜すように――。


 宮様、とそれがわかっているかのように立花が呼びかけてきた。


 その声が日野の声と重なる。


 この男はずっと、神の声を持ったまま、自分の側で転生を続けているのだろうか。


 鏡の中の立花に目を向けると、向こうも鏡の中の自分を見ていた。


 本体ではない鏡の立花に向かい、問いかける。


「ねえ、あんたはどうして私の側に居るの?

 前も同じようなことをしていたのなら、何故またそれを繰り返すの?」


「人に己れの運命を選ぶ権利があるとは思えませんが」

「私はあると思うわ」


 神たる少女はそう言い切り、振り向く。


 そうですか、と立花はどうでもいいように呟いた。


「まあ、どちらでも変わりはありません。

 私が同じことを繰り返したのなら、それは私が繰り返したかったからなのでしょう。


 どんな運命の元に生まれたとしても、望めばある程度は回避できる気がします。

 そう、今からでも」


 貴女を突き放すことができるように、と実物の少女を見据えて言う。


「私は望んでこの道を選んだのです。

 今までも、そして、恐らく、これからも」


 逃がしませんよ――。


 立花はそう言った。


「貴女が最初に引きずり込んだんだ、この地獄に」


 立花は少女の両肩に手を置き、その顔を近づける。


 その少しあとで、エレベーターが止まる振動音が身体に響いた。



 


 ドアが開き、廊下に出たとき、宮様、と呼びかける声がした。


 ぎくりとする。

 欒だった。


 だが何事もなかったかのように、きちんと礼をするその仕草に、少し大人びたかなと少女は目を細める。


 立花は、先に行っています、と欒の横をすり抜ける。


 その後ろ姿を見送った欒に、今までとは違うものを感じた。


 欒はもう気づいているのかもしれないと思う。


 だが、こちらを見、笑った彼女の顔には、今までと変わらぬ信頼があった。


「私、もう戻ります」


「え? 今から?

 でも、明日には私たちも引き上げるから、一緒に」


 いいえ、ときっぱり欒は断る。


「私、本当はお祖父様に内緒で来てたんです。

 こっぴどく叱られましたので、もう、戻ります。


 無事のお帰り、お待ちしております」


 くすんだ赤い絨毯の上で深くお辞儀をする彼女に、何かかけるべき言葉を捜したが、すぐには見つからなかった。


「宮様。私は今まで、刺客としての自分に大義名分を持たせるために貴方を崇拝していました。


 貴方の真実の何も、わかろうとはしないまま」


 自分の中に新しく宿った決意を見せようとでもするように、欒は少女と瞳を強く合わせた。


「私、これからは、次期当主である宮様ではなく、貴方ご自身にお仕えしたいと思います」


 黙礼し、去っていく欒の後ろ姿を、少女はただ見送る。


 立花は鍵を持ったまま、ドアの前に立ち、エレベーターホールへと消える姪を見送っていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る