封印1
意外にも伊勢神宮からあまり離れていない場所に、一族の支部はあった。
観光客が巡るコースからわずかに外れたその場所は、木々が生い茂る如何にもこの地らしい場所だった。
一見、大きな農家のようだが、裏に離れがあり、そこが神殿になっていた。
新しい木の匂いがする。
もしかしたら、伊勢の地の掟に習い、此処も何年に一度か建て直しているのかもしれないと思った。
涼しい入母屋造りの建物の中の一番奥まった部屋に祭壇があった。
一族のものが集まるのか、意外に広いその部屋の冷たい木の床には、円座が数多く並べられていた。
庭の木々の陰になった縁側で水羊羹を頂く。
ちりんとガラスの風鈴が高い音を立てた。
「まさか。
本当に扉が出てくるとは、さすが宮様でいらっしゃいますね」
長い間消えていた扉が出現したことを支部長は無邪気に喜んでいるようだった。
「正式な通達は後日になると思いますが、おそらく、貴方が番人になられることとなると思います」
立花が硬い声でそう告げる。
頷く支部長は、装束を身に着けていなければ、禿げて人のよさそうな、本当にその辺のオヤジだった。
この男にたいした力はないだろうが、純朴であるが故に、一族への忠誠は強そうだった。
福音の寄越した封印の仕掛けを後生大事に守ることだろう。
宮様、これを―― と立ち上がった支部長は、祭壇に置かれていた大きな木の社を彼女の前に置く。
少女は顔を強張らせた。
それは? と離れて座していた男が不安げに問うた。
「福音様からお預かりしていたものです。
これにその扉の御本体を納めれば、永久に扉はそこから出られないとか」
支部長は簡単にその言葉を口にし、丸い頬を膨らませて笑った。
男は息を呑み、その手回しの良さに少女は唇を噛み締める。
「支度をしてきます」
少女は気持ちを抑え、立ち上がる。
欒が付き従った。
壁沿いの円座に腰を下ろした立花が、男の横で囁いた。
「神を結界のうちに封じ込めるなどと、普通では許されない。
だが、此処ならば、長い間消えていたからと言い訳が立つ」
それでは福音は軽い調子を装いながら、うまく少女を乗せ、彼女が鏡を見つけるのを待っていたのか。
男は膝の上の拳を握り締める。
「儀式が終れば、今生、宮様がすべての扉を開けることは不可能になるだろう。
或いは―― 永久に」
神殿の外で人の話し声がする。
まあまあ、どうぞ、と喜色満面の支部長の妻が案内している。
いよいよ伊勢に住まう一族のものが集まってきたらしい。
皆、普通の人間に見えた。
血は薄いのかもしれないと思う。
薫たちに見られたようなはっきりとした俗人との境は見られない。
「……こんな中では、幾らあの人でも扉を打ち壊すことはためらうでしょうね」
と男は呟く。
この世界を壊そうとしていてるくせに、無駄に人心を騒がすのを好まない少女の性質を知っていた。
「問題はそれだけじゃないな」
と言う立花の目が、支度を終え、今か今かと儀式を待ちわび座る姪に向けられる。
欒は正装し、まるで太陽神を見守るように祭壇に置かれた鏡の入った袋を見守っている。
「欒は幼くして刺客になった。
その心を支えているのはただ、宮様への忠誠心のみだ。
その欒の前で、一族を裏切るような真似、あの人にはできないだろうよ」
「……そんな」
すっと戸が開いた。
欒だけではない。
その場にいる大勢が現れた少女の姿に吐息をもらした。
白い巫女装束の肩に少女の長い黒髪が這っているが、それもまた
少女は一族の者の方を向いていたが、誰も見てはいないように見えた。
いつか見た、滝に打たれて濡れる黒い石のような、つるんとした瞳。
人にあらざる者の瞳だ、と男は思う。
いつの間にか消えていた一騎が、伊勢神宮の神官のような真っ白な装束で現れた。
祭壇の前に座った少女が、
「一騎、祝詞を――」
と促す。
本来、陰陽師が神に向かって奏上する場合は、祝詞ではなく、
一騎のあげる祝詞は想像していたより遥かに心地よかった。
以前少女が言っていた。
祝詞や真言は、その韻律で大気を震わすことにより、世界に影響を与える。
だから、人が聞いて心地の良いものは、必ず効果があるはずだ、と。
だが、今の少女の耳にはそんな一騎の祝詞も耳に入ってはいないようだった。
彼女はただ祭壇の上の袋を見ている。
鏡の収まった白い絹で出来た袋だ。
その姿を見ていられずに、男は視線を逸らした。
「どうした――」
横から立花が呼びかけてくる。
「これがお前の望みだったろう」
男は膝の上で拳を握り締めた。
その脳裏には、御堂で見た花の中の少女の姿が蘇っていた。
夢の中で――
眠る貴方は幸せそうだった。
永遠に来ることのない神を待ちながら、
それでも……
幸せそうだった。
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