八咫鏡


「伊勢は八つ手を叩くんでしたっけ?」

「そう。伊勢は八つ、出雲大社と宇佐八幡宮が四つ」


 言いながら、少女は手を叩く。

 男もそれに習った。


 やった後で少女は、

「二礼して、手を打って、また礼をして……」

と中が見えないようぐるりと木塀で囲まれた御正宮の前の木の札に書かれていることをぶつぶつ読んでいる。


「貴方、本当はとても不信心ですよね」

 今更それを復唱するとは、と男は苦笑いする。


「だって形式なんて意味ないもの」

「心が大事だとでも?」


 男は鼻で笑う。

 なによ? と少女が見た。


「いえ、貴方がこの世界の神に何を祈るのかと思いましてね」

「まさか、世界を滅ぼしてくださいとは言わないわよ」


 冗談めかして言っているが、本当に願ったのではないかと不安になる。


 貴方がこの世界の創造主だと言うのなら、という言葉は呑み込み、男は続きだけを口にした。


「この世界の神とはなんなのですか?」


 少女は木塀のところどころに供えられている榊を見詰めて言った。


「神とは人の願いによって生じるもの。

 高位の自然霊とでもいうのかしらね」


 植物に近いのかも、と言う。


「与えるもの ――それが神」

「では祟るのは、貴方がたですか」


 そんな厭味にも少女は笑っていた。


 男はそっと玉砂利を踏み、社殿を覆う木塀の切れ目で揺れている白い布の向こうを覗き見ようとする。


 辺りを見回すと、そんなことをしているのは、自分たちだけではなかった。

 ほっとしたように、目を合わせた他人同士笑い合う。


「中は見えないようになってるんですね」


「神の住まいを『見る』なんて恐れ多いからでしょ。


 神は姿を顕にしないもの。

 神棚の社も無闇に開けていてはいけないでしょ。


 此処の御神体も誰も見たことないらしいわよ。

 見たら死ぬらしいから」


「なんなんです? 御神体って」

「……直径二十センチの凸面鏡だとか」


「なんで誰も見たことないのに中身がわかってるんです……」

 だよねえ、と少女は苦笑する。


 不謹慎な話題に気づかれないように二人は拝殿を離れ、歩き出した。


「ええと、言い伝えによると、御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡じゃないかってことなんだけど」


「でも、三種の神器って、安徳天皇とともに海に沈んだんじゃなかったでしたっけ?」

とうろ覚えの平家物語を思い出しながら男は訊く。


「宮中にあるのは、レプリカ。

 それも、もともとは儀式用にたくさんあったらしいのよね。


 それが天皇に箔をつけるためにいつしか数が絞られてきて、権威化されたとか。


 安徳天皇とともに沈んだやつは、何故か岡山県から出土して、今、山口県の赤間神宮にあるらしいけど」


「なんでですか。

 沈んだんでしょ?」


「鏡は清盛の落胤という噂もあった供の者に託されたらしいのよ。


 いつか、お家を再興するために。


 だけど、再興はならなくて、のちに子孫の方が鏡を隠した古文書を見つけて、掘り返したら、本当にそれらしきものがあったわけ。


 で、安徳天皇を祀る赤間神宮と返せ返さないですったもんだあった末に、結局、赤間神宮に祀られることになったらしいけど」


「でその、八咫鏡って、結局なんなんです?」


「天照大神が天の岩戸にお隠れあそばしたときに、彼女を引っ張り出すのに、伊斯許理度売命が造ったと言われる鏡よ。


 ちなみに、咫っていうのは長さの単位で、一咫は、十八センチくらいなんだって。


 てことは、八咫ってことは、なんと百四十四センチ!」


「直径がですか?」


「それはわかんないんだけど、直径にしても、周囲の長さにしても、相当よね。

 でも、実際そのくらいの周囲の長さの巨大な鏡が過去見つかってるらしいのよ」


「そんな技術があったんですね」

「昔の人の技術が今より劣っていると考えるのは愚かよ」


 まるで自分こそが昔の人であるかのように言うと思ったが、よく考えれば、その通りなのかもしれない。


 この女が、この時代に転生する前の記憶も持っているとすれば。


「ちなみに、御神体が入っている入れ物の寸法はわかってるらしいわ。

 内径一勺六寸三分、外形二尺。


 それから推測する八咫の鏡のサイズは、直径四十九センチ、周囲の長さは八咫を越えるくらいになる……らしいんだけど」


「じゃ、直径二十センチの凸面鏡ってのはなんなんです」


「言い伝えと違う辺りがリアルだと思わない?」

と少女は名探偵よろしく、顎に手をやってみせたが、可愛いらしいだけだった。








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