ビッグフットの映像

呑戸(ドント)

ビッグフットの映像

「これ、概要だけ話すと、絶対に笑われちゃうんですけど」

 鈴木さんは自信なさげに言った。

「私ね、ビッグフットのせいで、父がいなくなっちゃったんです」



 お父さんがさらわれたんですか?

 山にお住まいだったんですか?



 ──などと聞きたい気持ちを抑え、笑いませんよ、ぜひ聞かせてください、という表情を浮かべながら、静かに頷いた。

 すると鈴木さんは安心したように、こんな話をしはじめた。




「ビッグフットの映像ってあるでしょ。すごく有名な。今でもネットで観れる、いちばん有名なやつ」



 それは、こういったものだ。


  フィルム撮影で、木々がぽつぽつと立つ山の中を、黒く大きな毛むくじゃらのモノがのしのしと歩いていく。

 突如として現れた奇怪な生物を急いで撮った──ということになっている。


 音声はない。

 時間帯は昼、陽光が強い。


 黒いモノと木立の先の暗闇の他は、木々も地面も、昼の明るさのせいか白飛びしたようになっている。

 映像は全体にざらついていて、ひどく荒い。


 その黒いモノは途中で、歩きながら妙に生々しい動きで、カメラの方を振り向く。

 一度振り向いて顔を戻し、もう一度わずかに振り向いているようにも見える。

 しかしあとは何もせず、黒いモノは木々の奥、森の中へと歩み去っていく。


 そういう映像である。




「あの映像をね、私と父とで、茶の間で観てたんです。四歳の時でした」


 昭和や平成の頃、オカルト番組はゴールデンタイムに平気で放送されていた。

 この有名なビッグフットの映像も、七時や九時という時間に、幾度となく流されていて──


「違うんです」

 鈴木さんは頭を振る。

「真夜中に観たんです。電気もつけずに」


 その前後の記憶はまったく失われている。


 とにかく鈴木さんはお父さんと共に、茶の間で並んで座って、真っ暗な中、ちかちか光るテレビを眺めていた。


 鈴木さんはちゃぶ台の脇で正座していた。足がじんじんするので、長く座っているらしい。

 ちらりと隣に目をやると、お父さんも正座している。膝の上に手を置いて、小さなテレビを覗き込むように、わずかに身を乗り出していた。

 ひどく真面目な顔つきだった。


 やがてCMのようなものが終わり、番組のようなものがはじまった。


「おかしいんですけど──スタジオの映像とか、『謎の怪物を撮った』みたいな導入も全然なくて、ぬるっと、あの映像がはじまったんです」


 前フリも前段もなしに、いきなり手ブレの激しい、黒いモノを捉えようとする映像がブラウン管に映し出された。

 やがて手ブレは止んで、向こうへと歩いていく黒いモノをしっかりとフレームに収める。


 これは、何だろう。


 鈴木さんは吸い付けられるように映像を観ていた。

 歩きながら黒いモノが振り返って、また前方に向き直る。

 数歩進んで、またカメラの方を振り返って──


「そしたらね、こっちに来たんです」


 黒いモノは二度目に振り返った時に足を止め、しばらく直立してから、カメラの方へと歩いてきた。

 倒れた木を乗り越え、草や石を蹴り、足元で土煙を上げながら、こちらへ歩み寄ってくる。


 無論これは、本来の映像とはまるで違う。


「でも初めて観る映像でしたから、『そういうもの』だと思ってたんです、私」


 子供なら、隣の父親にしがみつくような怖い映像である。

 だが何故か鈴木さんは正座したまま微動だにせず、映像に目をやり続けた。隣の父も、ピクリとも動かなかった。


 黒いモノはどんどんカメラへと近づいてくる。

 カメラは黒いモノを撮り続けている。


 そのうち、黒いモノの顔が鮮明になってきた。

 類人猿の顔でも怪物の顔でもなかった。


 黒いモノは、人間の顔をしていた。

 灰か煤で薄汚れた、若い男の顔だった。


 顔だけが人間で、体の他の部分は太く濃い毛に覆われている。

 ゴリラの体に人間の顔面を貼りつけたような、アンバランスな生き物だった。


 黒いモノは、カメラの前で立ち止まった。

 かなり接近している。胸から上、証明写真のような距離で映りこんでいる。


 黒いモノはカメラ目線でじいっとこちらを見ている。

 右、左、右、左、右、と、じっくり確かめるように瞳が動く。


 見られている。

 と鈴木さんは思った。


 理屈ではない。

 お父さんと私はテレビ越しに、この黒いモノに見られている、と思った。


 わけのわからない恐怖にすくんでいると、黒いモノの瞳がお父さんの方を向いて止まった。

 お父さんが「あっ」と短く小さく叫んだ。


 黒いモノは口を開いた。

 発音練習のように唇を大きく開いて、



「おあえ、かわう、もう、し、ぬ」



 と言った。


 うわぁ、とお父さんは叫んで立ち上がった。

 鈴木さんはテレビに目が釘付けになっていたから直接は見ていない。

 しかしお父さんは茶の間を飛び出して廊下を走って、サンダルを履いてガラッと玄関を開けて、家から逃げ出した。

 すべてが音だけだった。

 カタカタカタ、というサンダルの遠ざかる音で、お父さんが遠くへ逃げていくのがわかった。


 お父さんが逃げてしまった。

 鈴木さんの心臓はどんどんと鳴った。

 テレビの中の黒いモノは、「うふ」と笑った。

 人が怯えて逃亡したことに気を良くした様子だった。


 黒いモノの視線が、鈴木さんへ向けられる。

 胸が潰れそうなほど怖い。

 けれど動けない。

 黒いモノは、舌で自分の唇を舐めた。

 そうして、にやりと笑って、こう言った。


「あえないよ」


 ぷちん、とテレビの画像が変わり、カラーバーの映像と共に耳障りな高音が茶の間に響いた。

 茶の間の右にあった襖が開く。

 お母さんが「なにしてんの、こんな夜中に」と目をこすりながら出てきた。


 そこで記憶は途切れている。




「──大きくなってから母に幾度か尋ねたんですが、私と父がテレビを観ていたその夜に、家を飛び出して蒸発したのは確かみたいで」


 鈴木さんは語る。


「理由は? って尋ねると、すごく悲しそうな顔で、『それがね、私にも全然わからないんだよ』としか言わないんです」


 お父さんはすごく真面目な会社員だったし、本当に平和に、仲良く暮らしてたんだよ、とお母さんは嘆くのだという。

 その話しぶりからは、母親が後ろ暗いことや秘密を抱えているとは思えなかった。

 だから、あのテレビ映像の話もしていない。

 話しても信じてもらえないだろう。

 そもそもわけがわからない。

 母の心の傷をつつくような真似はしたくなかった。


 こんなことがあったので、オカルトやホラーの類はできるだけ遠ざけて生きてきた。

 しかし二十歳になる前に一度、テレビのチャンネルを変えていたら偶然、「あの映像」に遭遇してしまった。

 画面の右上に「伝説の映像 ビッグフット」などと字幕が出ていた。

 しかも、ちょうど黒いモノが振り向く瞬間だった。

 鈴木さんの心臓は一瞬、止まった。

 しかし、黒いモノが足を止めることはなく、森の奥へと向かっていき、映像は終わった。

 スタジオで芸能人たちが騒ぐ画面に切り替わったが、鈴木さんの耳にその声は入ってこなかった。


「じゃあ私が、私と父が観たあの映像って、いったい何だったんだろう、って」




 それでね──

「私の記憶に残ってる父の姿っていうのが、あの時の姿しかないんです」

 鈴木さんは寂しそうに呟く。


「四歳って、強烈な記憶は残るけど日常の記憶は残らない、ってくらいの年齢でしょう」


 だから、私の中にある父の記憶って、真っ暗な部屋でテレビの光を浴びて正座してる、あの姿だけなんですよね──



 しかし。


 鈴木さんが生まれてから四歳になるまでの家族写真には、お父さんの姿が何枚、何十枚分も残されている。


 鈴木さんは、「写真の中にいるのは、記憶の中にあるお父さんではない」と言う。


 むしろ写真の中の「お父さん」の顔は、テレビの中から自分たちを見つめていたあの黒いモノの顔に、よく似ている気がするそうである。




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ビッグフットの映像 呑戸(ドント) @dontbetrue-kkym

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