第33話

 小舟は波に揺られながら、どこまでも広がる海へと進んでいった。

 太陽は高く昇り、白い雲がのんびりと流れている。

 風は穏やかだが、潮の匂いは濃かった。

 俺は舵を握りしめながら、潮導核に意識を向けた。


 「レン様、次はどこを目指すのですか?」


 シーナが、俺の隣で声をかけてくる。

 彼女は帆の状態を見ながらも、俺の指示を待っている。


 「まだはっきりとは見えないけど、潮が南西に流れてる。

  たぶん、あっちに次の波がある」


 「南西……ですね。了解しました」


 シーナは帆を微調整して、船体を少し傾けた。

 風を捉えた帆がふくらみ、小舟は軽やかに加速する。


 「それにしても、あのナグア・アシラ……本当に不思議な島でしたね」


 「うん。

  まるで生きてるみたいだった。

  いや、あそこは本当に、生きてたんだろうな。

  海と一緒に呼吸してた」


 思い出すだけで、胸の奥が熱くなる。

 あの潮魂石を抱いた瞬間、俺は海そのものに触れた気がした。


 「レン様、潮魂石……今はどうなっていますか?」


 「ああ、見せるよ」


 俺は胸元から潮魂石を取り出してみせた。

 青白い光は弱まっていたが、それでも確かに脈動している。


 「すごい……。まるで、心臓みたいです」


 「たぶん、これは俺たちの旅と共に育つんだと思う。

  波を繋ぐたびに、もっと強く、もっと深くなる」


 シーナは潮魂石に手を伸ばしかけ、それから思い直したように手を引っ込めた。


 「レン様のものですから……」


 「触っていいよ。

  お前も、この旅の仲間だ」


 俺がそう言うと、シーナは少し顔を赤くしながら、潮魂石にそっと触れた。

 触れた瞬間、石は微かに明るさを増した。


 「……あったかい」


 シーナの声が震える。


 「ああ。

  この海は、まだ生きてる。

  だから俺たちも、生きて、繋がないといけないんだ」


 シーナは小さく頷いた。


 「レン様……私、もっと強くなります。

  あなたと、波を繋ぐために」


 「無理するなよ。

  お前はもう十分、強いよ」


 そう言うと、シーナは顔を伏せたまま、でも確かに笑っていた。


 


 そのときだった。

 潮導核が微かに脈動し、俺の中に警告のようなものが流れ込んできた。


 「……変だ」


 「どうしたのですか?」


 「潮が……荒れてる。

  この先に、何かいる」


 俺は舵をしっかり握り直した。

 波の表情が変わった。

 小舟を揺らすリズムが、不自然に乱れている。


 「レン様、これは……魔魚?」


 「かもしれない。

  けど、今までのとは違う。

  もっと、大きな……」


 言い終わる前に、海面が爆ぜた。


 巨大な影が現れた。

 それは、鋏潮魔よりもずっと大きく、重厚な殻に覆われた甲殻類だった。

 潮流を吸い込み、吐き出しながら、うねるように動いている。


 「……あれは、“潮王蟹”だ」


 俺は喉を鳴らした。


 「潮王蟹!? 伝承に出てくる、あの……?」


 「そうだ。

  普通は滅多に現れないはずなんだけど……!」


 シーナが槍を構えた。


 「戦いますか、レン様!」


 「戦うしかない。

  でも、力で押すだけじゃダメだ。

  あいつは、潮そのものを支配してくる」


 「どうすれば……?」


 「俺たちが、潮を繋ぐ。

  この海の波を信じて、あいつを包み込む!」


 シーナは力強く頷いた。


 「レン様、指示を!」


 「俺が潮を操る。

  シーナ、お前は潮の流れを読んで動け!

  一瞬でもタイミングを間違えたら、押し潰されるぞ!」


 「了解です!」


 潮王蟹が鋏を振り上げる。

 海が唸り、波が砕け散った。


 俺は潮導核を全開にして、波を制御した。


 「来い……!」


 全身の力を潮に乗せ、波と一緒に潮王蟹へ向かう。

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