第2話

 地鳴りのような音が、村全体を包み込んだ。

 空気が震え、耳の奥が痺れる。

 何が起きたのか、一瞬わからなかった。


 村の誰もが動きを止め、次の瞬間──


 ドン、と、空が鳴った。


 見上げた空に、裂け目のような赤い亀裂が走っていた。

 真昼だというのに、そこだけ夜のように暗く、紫の稲妻が交差している。


「……あれは、何だ……?」


 誰かの声が震えていた。

 俺も、息を呑んだまま、空から目を離せなかった。


 その裂け目から、何かが落ちてきた。

 まばゆい光をまとい、一直線に村の東、森のほうへと墜ちていく。


 ゴオオォォォッ……!


 空を裂く音。

 続いて、大地が再び揺れ、衝撃で木々がざわめいた。

 鳥たちが一斉に飛び立ち、牛たちが怯えて暴れ出す。


「い、今の見たか!? なんか落ちたぞ!」


「あっち、祠のある森の方向だ!」


「まさか、神……?」


 村人たちがざわつき始める。

 誰もが口を閉ざせなくなるほど、異様な出来事だった。


 けれど、俺の胸の奥では、別の感情が渦巻いていた。


 ──呼ばれている。


 そんな気がした。

 あの光は、俺に向かって落ちたのだと。

 そんなはずない。俺は何者でもない。ただの農民だ。


 けれど、足が勝手に動いていた。


「ナラヤン!? どこ行くんだよ!」


 ミンの声が背後で響いた。

 けれど振り返らなかった。心のどこかで、わかっていたから。


 今行かなければ、もう“何者にもなれない”と。

 このまま村にいても、変わらない。

 あの光が、俺の人生を変える“何か”だと、確信していた。


 俺は、走った。

 東の森へ──あの紅い光が落ちた場所へ向かって。


 足元のぬかるみに何度も足を取られながら、俺は森の奥へと駆けていた。


 日が沈みかけていたせいで、森の中はすでに薄暗い。

 葉の隙間から洩れる夕陽の赤と、空に残るあの“裂け目”の赤が重なって、不気味な光景を作っていた。


 風が止まり、虫の鳴き声さえ聞こえなくなる。

 まるで森全体が呼吸を止めているような、そんな静寂だった。


 やがて──見えた。


 大きな樹々をなぎ倒し、広場のように空いた場所。

 そこに、光の残滓がまだ漂っていた。

 そしてその中心に、何かが“いる”。


 ──それは、蛇だった。


 いや、“蛇のような”姿をした、神秘的な存在。

 全長は五メートルはあろうかという黄金の体。

 その表皮は鱗ではなく、まるで磨かれた宝石のように滑らかで、僅かに光を反射していた。


 しなやかな体躯に、翼のようなひれが背に広がっている。

 その頭部には、王冠を模したような角があり、瞳は深い湖のような青だった。


「……ナーガ」


 口から漏れたのは、その名だけだった。


 幼い頃、母に読み聞かせられた伝承。

 この土地に眠る神獣の名──ナーガ。

 人に恵みを与え、また怒らせれば洪水を呼ぶという、伝説の守護者。


 それが、いま、目の前にいる。


 黄金のナーガは、ゆっくりと頭をもたげ、俺の方を見つめた。

 その目に、敵意も、警戒もなかった。ただ……静かに、何かを問いかけるような、そんな目。


 俺は震えていた。怖かったわけじゃない。

 胸の奥が、熱く、強く、なにかを叫んでいる。


 ──ここから始まる。俺の物語が。

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