第5話

寺院の裏門――滅多に使われない古びた石の通路を、俺たちは駆けた。


夜の空気は乾いていて、土の匂いが鼻を打つ。だが、それすらも妙に清々しく感じた。


逃げるという行為自体、俺にとっては“はじめて”だった。


今まで、ただ命じられたことを繰り返し、見下されても、蹴られても、歯を食いしばって耐えるだけだった。


「アルジュン、こっち!」


シャイレーンドリが手を引く。華奢な体に似合わず、その歩みは迷いがなかった。


まるで、ずっとこの時を待っていたかのように。


 


「くっ……待て、そこだっ!!」


背後から叫び声が響く。


振り返ると、神官装束の男たちが数人、松明を持ってこちらに向かっていた。


「見つかったか……!」


「大丈夫、逃げ切れるわ」


「根拠は?」


「信仰よ」


「は?」


「あなたに。というか、“あなたの中にいるもの”にね」


思わず吹き出しそうになる。けど、不思議と信じられた。


あの赤い目――第三の目が開いたあの瞬間、自分の内に“誰か”がいた気がした。


言葉も、姿もなかった。けれど確かに、あの破壊の舞は俺のものじゃない。


「門の向こうに馬車がある。そこまで行けば、安全圏よ」


「馬車? まさか、お前ひとりで用意したのか」


「ええ。昨日のうちに、ね」


「なんでそんなこと……」


「“今日が目覚めの日になる”って、神託に出たからよ」


「そんなもんで動いてんのか、巫女ってのは……」


「神託って、意外と便利なのよ」


彼女の笑顔に、思わず苦笑がこぼれた。


こんなにも、自然に笑えるのは何日ぶりだろう。


 


門を抜けた先――闇の中に、確かに馬車が待っていた。


御者は、長いローブに顔を隠した初老の男。何も言わず、俺たちを見ると無言で手綱を取る。


「乗って」


シャイレーンドリが馬車の扉を開ける。俺はひと息ついて、それに飛び乗った。


直後、蹄の音が夜を裂いて響き始めた。


「よし、これで――」


「逃がすと思ったか、忌み子がッ!!」


突如、真横の闇から現れたのは、黒衣の神官だった。


両手に印を結び、口には呪文。


「――“アグニ・マントラ・ジャラー!”」


火球が、馬車を目がけて飛んできた。


「まずいっ――!」


シャイレーンドリが俺を庇うように前に出た。


その瞬間、俺の中で“あの熱”が再び暴れ出す。


視界が赤く染まり、時間が歪んだ。


手が勝手に動いた。


手印が走り、意識せずとも呪文が口から漏れた。


 


「“タンダヴァ・カヴァチャ”――」


そう、唱えたのは俺のはずなのに、自分の声じゃない気がした。


次の瞬間、俺とシャイレーンドリを包むように、青白い炎の壁が出現する。


火球がぶつかる――が、燃え広がるどころか逆に吸い込まれて消滅した。


「なっ、神術防壁だと……!? 加護もないくせにっ!」


神官の叫びに、俺は初めて笑った。


「“加護”なんていらねえんだよ。俺は、神そのものだからな」

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