「人」と言う字は、二人の人が支え合って出来ているのではなく、一人の人がどっしりと構えて立っているだけ、なのだそうですね。
なんとも味気ない。
正解を知った今となっても、前者の「支え合い」説のほうがしっくり来るのは私だけでしょうか。
この説の秀逸なところは、互いの人が平等に支え合っているのではなく、片方が片方を支える構造になっていることです(フォントによっては平等ですが)。しかも小さいほうが大きいほうを支えている。ここが魅力だと思います。
さて。
なぜこんなことを書くかというと、この物語には「人と人との関係」を考えさせる要素がてんこ盛りだからです。登場人物は少ないですが、そのぶん描写が丁寧で、父と息子のやり取りをとてもリアルに書き込んでいます。
支える人と支えられる人。
小さいものと大きいもの。
揺るがないものと不安定なもの。
「人」が境界線を踏み越えたら、一体どうなってしまうのでしょう?
何気ない日常の一幕、親子の対話を追っていくうちに、非日常へ引き込まれます。
父が明かす真実に、戦慄すること間違いなし。ぜひ、ご一読ください。
非常に、衝撃を受けました。感服いたしました。
できることなら星を10個はつけさせていただきたい、それほどの作品に御座いました。
この作品は、人間の心の本心や、リアルを、冷静に見つめて表現しております。
主人公は、父親ののる車椅子を押しております。
向こうみずで無頼だった父親、しかし、その背中は今や頼りなく、
病気で衰弱しておりました。
この父親と主人公は、会わなかった空白の時間があり、
その時間をゆっくりと埋めていく時間になるはずで御座いました。
父親が、信じられない告白をいたします……。
人間の心は、深いようで脆く、それでいて薄情なのに、やっぱり家族だなんだに縛られてしまう。
あんなに大好きだったじいちゃん、ばあちゃんを、大人になった後に亡くしたとき、自分はどんな感情で見送ったか、
結婚して家を出る時、始めて見せた母親の涙を、どんな気持ちで見ていたか……
思い出してしまいました。
強く、強くお勧めいたします!!
ご一読を。
常軌を踏んで進めば、たどらない心の動きが記されています。
しかし本作は、読めば当然のように納得するのです。
優れた筆致で綴られた心理描写が、読む者を結末まで連れて行くのです。
疎遠であった父は病を得て車椅子を使うまでに衰えています。
父の車椅子を押して二人で外出した主人公。
彼はその散策で驚くべき話を父から聞ききます。
そして始まる物語。
本作を読むと主人公と父母、その関係性をぐるぐると考えてしまうことでしょう。
何を思って、そんなことを言っているのか?
どうしてそうなるのか?
心の動き。その来し方行く末。
心霊を描き、人間の心理を示す優れた作品です。
ぜひ御一読ください。
色々と考えさせられるテーマの作品でした。
主人公は久しぶりに父親と会う。父はかつて家を出ていき、疎遠な状態にあった。
そんな父がなぜか、母のことを殺害してきたと口にする。
なぜ、父は母を殺したか。
母という人間は、「自分と他者の区切りがしっかりしている人間」だった。自分は自分。他人は他人としてきっちりと分けられ、誰かを自分の一部のように考えたり、誰かの存在を軸にして自分の人生を考えるようなことをしない。
一方で父は、自分と他者の境界を分けるのが下手で、母と一緒にいる中で、どこまでが本当の自分なのかがわからなくなったという。
この父親の持つ葛藤。「アイデンティティ」とか、「自分と他者の境界」に悩む感覚。考え出すととても深遠で、そして複雑な問題に迫って行くものでもあります。
誰かとの関係性によって自分の在り方を規定してしまうこと。誰かに依存したり、誰かの考えに追従したり、流されるように生きてしまうこともある。
自分自身の意志とか、行動の決定とかは、どこまでが「自分自身のもの」なのか。自分の人生とは、自分とは、一体どこまでが「自分だけのもの」なのか。
この辺りをしっかりと分けていくことは、きっと相当に難しいことなのだろうな、と考えさせられました。
その先で明かされる、父による「殺人の動機」と。最後に主人公に突きつけられる言葉の意味。
とても深く、「自己」や「人生」について考えさせられる一作でした。