31

 飛び散ったのは僕の血液と内臓———ではなかった。

『——————!』

 身代わりとなったのは、ネジとコード、プラスチックの断片。

「アイヴィ!」

 横っ飛びで僕らの間に割って入ったIB-982が、胸部装甲を砕かれながらもオニキスの凶刃を食い止めていた。

 さすがのオニキスも驚愕に顔を歪める。

 その隙をIB-982は冷静に見据えていた。

『ユーイチに、手を出すな……!』

 IB-982の裂けた胸から、数本のコードが迸る。それらは狙い過たずにオニキスの腕を縛り抜いた。

 オニキスの身体はぐっしょりと濡れていた。血に、汗に、雪に、スプリンクラーの放水に。

 IB-982のコードが発光する。

(電熱線———!)

 IB-982はオニキスに向かって放電した。

「ッ———ぐ、ぁぁぁぁぁぁああああああああああああっっっっっ!!!!!!!!!」

 オニキスの体表を流れる赤い流体がボコボコと泡立つ。

 僕は半ば唖然としてその様を眺めた。

「アイ、ヴィ———」

 IB-982はコードをゆるゆると緩める。オニキスは立ったまま気絶していた。半開きの口元からはもうもうと煙が立ち、内臓がミディアムレアになっている様がよく分かった。

『逃げましょう、ユーイチ』

「……あぁ」

 胸元からコードを垂らすIB-982は僕に向かってその手を差し出すが、僕の両腕がないことに気づくと失敗を悟ったように後ろ手となった。

『……すみません』

「良いよ。僕だってまだ慣れてないんだ」

 僕らは駆け出した。基地の裏手の丘を登る。降る雪は淡く、明日の朝には溶け消えてしまいそうな儚さだった。

 僕は一度だけ背後を振り向いた。電撃を喰らったオニキスが立ったまま意識を失っている。崩れ落ちないあたり、死んでいないのかもしれない。

 剥き出しになった上半身の中で、腹部にある一対の手術痕が、暗闇の中でもなお黒黒としていた。

 その二つの漆黒がまるで怨嗟に猛る魔物の眼光のように思えて、僕は目を背けた。

 そして僕は、もう振り返らなかった。



『これより訴えるはこの国の悪逆非道である。秘められし権力と暴力の真の姿である。全国民、心して聞け———』

 IB-982が朗々と語るのを、僕は座り込んで聞いていた。

 この国を支配する情報網、『ブラックネット』。全ての情報が軍所有のネットワークで伝わるこの国では、国営放送から田舎の煙草屋のラジオまで、すべてのニュースが軍部を通して送られる。

 だからこそ大規模に秘密を告発するには、軍内部から行う必要があった。

 軍内部で製造され、ブラックネットへの接続権を持ったIB-982は、僕が渡した台本を全国に向かって読み上げていた。

 戦争を推し進める国家第三席・ブラックの数々の非人道的な行いを。

 声高に演説をするIB-982の後ろ姿を眺めて僕は、奇妙な喪失感に耽っていた。

(長かった……ここまで……)

 故郷を追われてから十年以上、ずっとこの時を待っていた。このためだけに生き、このためだけに全てを犠牲にしてきた。

 今、僕は、人生の本懐を成したのだ。

 それと、同時に。

(……これから、僕はどうすれば良い?)

 空っぽの未来が、僕の目の前にあった。

 全てを捧げたのにも関わらず、最大の目標は二度と果たせなくなってしまった。あの草原で笑うヴェルデの本来の笑顔。

 ヴェルデの亡骸は基地の爆炎に飲まれただろう。義手の欠片も瓦礫に埋もれているだろう。

(残ったのは、この……)

 ポケットの中の手紙だけ。

 本当に、すべてを失ってしまった。

『あの……ユーイチ?』

「ん?」

 見上げれば、IB-982が膝を曲げてこちらを見下ろしていた。

『頼まれた通り、放送が終わりました』

「そう……ありがとう」

 僕は立ち上がり、一つ伸びをした。丘からの景色は明るかった。

 IB-982の告発を受け、国中が動揺している。全国に潜んでいた同志たちが同時多発的に反戦デモを巻き起こし、体制に不満を持っていた市井の人々もそれに参加する。

 国中で暴動が起きていた。

「これでこの国も変わる……」

 街を見下ろすと、至る所で火の手が上がっていた。赤色と橙色の奔流は地平線の向こうまで点々と燃えており、視界が昼のように明るい。

 まるで闇夜に横たわる黒い巨獣が、赤い化け物に食い尽くされているかのようだった。

(しかし、その化け物を育てたのもまた、この国だ……)

 僕の役目は終わった。本当に、役目を終えてしまった。

 踵を返し、丘を降りようとする。

『ユーイチ。どこへ行くのですか?』

 所在なさげに立ち尽くしていたIB-982が、おずおずと付いてきた。

「君は今すぐ僕の改造データを初期化するんだ。改造された痕跡がなければまた給仕としてやっていけるかもしれない」

『私のことはどうだって良いです。それよりユーイチ、あなたはどこへ行くんですか。そんな身体で』

 僕は思わず自分の身体を見下ろした。

 両腕が根っこから無く、義手用の接続パーツが肩からぶら下がっているだけ。全身に打撲痕と裂傷。血塗れだ。木偶人形の方が頼もしく思えるかもしれない。

 僕は歩みを止めないで答える。

「僕は……そうだな。どこかの同士の潜伏先にでも転がり込むよ。腕がなきゃヴェルデの手紙も読めやしないしね」

 とりあえず右腕だけでもほしい。そこから先の未来は思いつかなかった。

 あぁ、でも、どこか静かな場所で暮らしたい。森の中でも、海の側でも良い。そこで椅子に座って、ヴェルデの手紙を読む。草原と花畑に思いを馳せる。いつかは追手が来て殺されるかもしれないが、何、既に打つ手のない人生だ。

 遅かれ早かれ、死ぬのだ。

 それまでの時間を、ヴェルデと過ごしたいだけ。

 そんなことを考えた。

 しかし、

『私も、連れて行ってください』

「——————は?」

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