29
常に警戒していた。
ヒュージが一度目の死を迎えた際、彼の部屋は一瞬にして掃除された。
まるで最初から、ヒュージが基地から消えることがはっきりしていたかのような手際の良さ。
あの掃除をやったのは、誰だった?
そこに思い至ったときからずっと、敵と認識していた。
ヒュージの秘密兵器化に一枚噛んでいる、この国の裏側を知っている奴がいると。
「お前、左腕はどうした?」
姿は見えない。暗闇に紛れたオニキスの声だけが響く。
「ヒュージにくれてやった」
「あれを倒したのか」
「楽勝だ」
銀のナイフが閃く。まったくの無座標から繰り出される襲撃は恐怖そのものだ。僕は身を捩って躱す。少し胸元が裂けた。
「僕を行かせろ!」
ナイフがあった空間に拳を放つが、そこには既に虚無しかない。オニキスはまた暗闇に消えた。
そこにあるのは声だけ。
「出会ったときから、お前はよく分からない奴だった」
「さっきヒュージにも似たようなことを言われたな」
「その真っ直ぐすぎる意志力。味方であれば心強かったものを」
ナイフ。
暗闇が死の気配を纏って、瞬間的に実体化しているかのようである。今度は躱しきれなかった。脇腹に熱い痛みが走る。反撃に回し蹴りを放ったときには既にオニキスは消えていた。
「よく躱すな」
暗闇から声。
僕は冷や汗をかいた。
オニキスの攻撃は本当に寸前まで気配が読めない。完全に闇に溶け込んでいるのだ。自分でもなぜ攻撃を避けられているのか分からないくらいだ。
しかし心の底には、不思議と確信めいた直感があった。
多分それは———
「見慣れてるからな、黒い肌」
「見慣れて……?」
耳をすませば、基地のあちこちから聞こえる怒号や銃声に紛れて、微かな衣擦れの音がする。オニキスが移動している。
「一度ヒュージと戦っただけで見慣れていると言うのは、過信というものだ」
「あぁいや、違う違う」
僕は手をひらひらと振る。左腕がないのを意識していなくて、少し間抜けな体勢となった。
「仲の良かった友達に、全身真っ黒な人がいてね。それで目が慣れてるんだ」
「単色の知り合いがお前に……?」
「前に慰労券をくれただろ?」
オニキスはすぐにそのことに思い至ったようだ。
「娼館に、単色がいたのか」
「まぁね」
オニキスが移動する気配。僕の話を聞き出しながら、慎重に攻撃の機会を図っているようだ。
「あの夜……」
オニキスが呟く。
「どの夜?」
「ナキが死んだ夜のことだ。あの夜女遊びに出かけたお前を見て俺は、相当な傑物だと思ったものだ」
「ありがとう」
「軍にいれば、要職にくらいなれたんじゃないか。訓練を受け、戦地に立ち、女遊びに興じ、その上諜報活動まで行える人材など、そういない」
「もしかして僕を引き留めようとしてる?」
ナイフ。
躱す。
「……惜しい、と思っただけだ」
オニキスの思考が読めない。こいつは元からよく分からない男だった。
ただ、危険だということだけは、頭に置いておいていた。
だから、対策も考えてある。
「……残念だけど、僕は君が思っているような丈夫な人間じゃないよ」
「何?」
「仕事はいっぱいあったけどさ、その実、いくつかの仕事は同じ場所で出来たからね。君が思っているより簡単だった」
「………………」
オニキスはこちらの真意を読み取ろうとしている。その沈黙だ。
僕はその隙に、決定打を叩き込む。
「まぁつまり、女遊びと諜報活動のことなんだけどさ」
「——————」
察しの良いオニキスであれば、すぐに僕の言葉の意味を理解しただろう。
娼館勤めで、諜報活動に加担している者がいる。
そしてその者はオニキスと同じ黒の単色人ときた。
黒い肌に、国の牙であることに誇りと責任を持っているオニキスであれば、それは耐え難い事実だろう。
自分と同じ人種の中に、裏切り者がいたのだから。
「……どこだ」
オニキスの声に、怒気が混じる。普段の感情が薄いからこそ、その変化は如実に感じられた。
「その売国奴はどこにいる。言え」
「さぁな」
「言え!」
「とっくに死んだんだよ! ブラックの策略でなぁ!」
オニキスが襲いかかってくる。明らかに冷静さを欠いていた。攻撃の軌道が読める。僕は難なくそれを躱した。
僕はオニキスに対し、一度たりとも心を許してはいなかった。
全身の黒い肌。国の技術力の錐として生まれた存在。
そしてその国はといえば今や戦争一辺倒で、辺り一帯に戦火を撒き散らしている。
そんな国に盲目的に尽くす。
口調ばかり冷静で、ちょっと顔が整ってるから良いやつ見えるが、こいつの本質は紛れもないバーサーカーだというのが、僕の見解だった。
だから感情を揺すぶる作戦を取った。
効果は、あった。
閃くナイフをするりと躱す。猛る戦士ほど御しやすいものもない。
(僕はこれでも、基地内の人間とは仲良くしてきたつもりだ)
潜入しておくには基地内の人間関係も重要だ。互いにビリヤードに興じ、飯を食い、時には身体を重ね、軽口を叩いて笑い合う。
オニキスに対して僕は、それらを一切してこなかった。
だから僕が皆に言っていた鉄板のジョークも、オニキスは知らない。
僕は右腕を振りかぶった。
オニキスの大振りなナイフの一撃。冷静さを欠いた攻撃が僕を捉えるどころか、オニキス本人の身体を死に体とする。まるで僕の方に、身体を空け渡しに来ているかのようだった。
その隙を逃さない。
僕は歯を食いしばり、オニキスに突撃した。
敵の胴体に鋼鉄の右腕がぶち当たる。それだけでも中々の衝撃のはずである。オニキスの肋骨がバキバキと鳴るのを感じる。
「僕の右腕には———」
そして右腕の芯の方からは、カチリ、と、嫌に乾いたスイッチが入る音がした。
「———爆弾が仕込まれている」
眼前が太陽のように明るくなる。
僕はオニキスに、必中爆殺カタストロフラリアットを放った。
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