28
血の沼の中に、不自然な物体を見つけた。
「………………?」
血の気の多かったヒュージである。傷口からは夥しい量の血が流れ、周囲一帯を水浸しにしていた。瓦礫や鉄屑、薬莢、左腕の残骸が血の上に浮いている。
そのなかに、不自然に小綺麗な、てらてらと輝く紙があった。
「これは……」
僕は右腕でそれを拾い上げる。
紙だった。撥水加工されたそれは血の水滴を弾き、つややかな表面を保っている。
僕は疲労で霞む眼で、記された文字を睨んだ。
そして———
「——————」
言葉を失う。
そんな。まさか。そんな。そんな。
手紙にはこうあった。
『ハロー、ユーイチ
あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもう死んじゃったのでしょう。
驚いた? これ、遺書っていうんだ。
私これでも意外と心配性なところがあって、戦争に行くときは必ず遺書を遺すことにしてるんだ。この前書きも何度も書いたものだけど、あなたがこれを読むのは初めてなんだから関係ないことだよね。
この間はごめんなさい。
私少し意固地になってた。冷静になって、あぁ私なにやってるんだろうって思った。
何も言わずに約束破ったあなたも悪いけどね。
ベッドの上で待ってるとき、本当に辛かった。今にでもドアを開けてあなたが入ってこないかって、何度も思った。
でもそれ以上に、喧嘩してしまったことが辛かった。
私バカだから、あなたが何を考えているか分からないことが多いの。ユーイチってずっと難しい顔をしてて、本当のことは言わなくて、いつも疲れた表情をしてる。
私なんかじゃあなたの苦痛を取り除くことなんてできないんだろうなって、顔を見るたび思うの。
だからからかうか、雑に誘うことしかできない。それしかできなかった。
そして今回はそれすらできなくなってしまったの。
戦線に招集されることが決まったとき、あぁこのまま死んだら、私ユーイチと喧嘩したままなんだって思うと悲しくなって、それで義手を換えることにした。
あなたがよく、右腕に爆弾をしまってるって冗談言ってるの思い出したの。
部屋はすぐに片付けられちゃうから、だったら、手紙を私の身体の中にしまっておく。
あなたがこの手紙を読んでいるということは私はもう死んじゃってて、その上もっと良くないことが起きてるってことなんだと思う。
仲直りできなくてごめんなさい。
きっと今あなたは、何かとても大きなことの中にいるんでしょう。
どうか死なないで。あなたは生きてください。
仲直りしに来るのは、全部が終わってからにして。
大丈夫。あなたの図太さを私はよく知っているので。
気長に待ちます。
ヴェルデ・クラウン』
僕は叫んだ。
作戦も隠密行動も関係なく、僕は叫んだ。
手紙を握りしめて、僕は叫んだのだった。
「あ……あぁ……」
手紙とは過去から届くもの。
確かに彼女が生きていたときの思いが、一枚の紙に織り込まれていた。
「っあああああぁあぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
走る。
がむしゃらに走る。
すべてだった。
草原の風が吹く。
血風に緑髪が靡く。
すべてだった。
重ねた手と手だった。
信頼だった。
嘘だった。
空だった。
土だった。
彼女だった。
彼女だった。
「僕は……僕は……僕はただ! 僕はただ!」
僕はただ!
僕はただ、君に笑って。
国なんてどうでも良い。
僕はただ、君に笑って!
僕はただ、君に、あのときの笑顔で、あのときの言葉で、笑ってほしかっただけだ!
あのときの!
あのときの!
あのときの!!!
「ハロー・ヴェルデ! ハロー・ヴェルデ! 僕は! 僕はぁぁぁぁぁ!!!!!」
僕は完全に混沌としてしまっていた。理性など一片も残っちゃいない。無意識に、暴走する感情のまま、走っていた。
しかし気がつけば、当初の計画通りのルートを駆けている。身体に染み付いた工作員としての生き方が、僕の身体を自動的に運んでいた。
ヒュージの大暴れにより基地内の電気系統はかなり破壊された。廊下は真っ暗。しかし基地内の図面は頭に叩き込んであるので、身体はそれに沿って動く。
目的地は定まっていた。
あそこにさえ着けば、計画は完遂される。
僕の身体は奇妙な浮遊感に包まれていた。
それはきっと、過去よりの、彼女の本心にやっと触れることができたから。
この思いのまま、僕はこの国を終わらせる。
「——————」
しかし、
現実はそうも甘くない。
暗闇の中であっても鈍く輝く銀の光が、僕の首元に刺し出される。
「ッ!」
僕はすんでのところで仰け反り奇襲を躱す。首の皮が少し千切れたが、致命傷には程遠い。
暗闇の中から、低い声が響く。
「———驚いた。俺の奇襲を看破するとはな」
「どけ! 邪魔だ!」
僕は躊躇なくオニキスに襲いかかった。
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