25

 警報が響く。僕はゆっくりと目を開けた。

 首だけを動かし時刻を確認する。午後十時四一分。時間にして十五時間ほど眠れたようだ。ここ最近では類を見ないほどの長時間睡眠。骨と筋肉が溶けてしまっていないか心配なほどだ。

「………………あぁ」

 涙の滲む目で天井を見上げる。

 サイレンで起こされるなどこの世で最も最悪な部類の目覚めだが、僕は狼狽えなかった。まるで常の目覚ましが鳴った朝と同じようにベッドから起き上がり、ギシギシと伸びをする。

 ベッド脇に炊いていた香はとっくに燃え尽きていた。微かな残り香すら漂わせずに知らぬ間に灰と化していたそれは、彼女の生き様に少し似ているように思える。

 僕が鳴り響くサイレンをバックに悠々と着替えをしていると、俄に廊下が騒がしくなってきた。複数の重たい足音が響き渡り、物々しい雰囲気が扉越しに伝わってくる。

 まさに今から戦地へ赴かんという勢いだが、その目的地はそうではないのだろう。

 そして真の戦場がどこになるのか、生憎僕はよく知っていた。

「隊員番号99942番、ユウイチ・サクロファ! 室内にいるな! 開けろ!」

 ドンドンと扉を殴る音が聞こえてくる。

 狙いは僕。

「無抵抗なら攻撃はしない! 開けないか!」

 まったく、日々戦争で疲れ果てているというのに、なんて元気な連中なんだ。その活力の源が何なのか問い詰めたいところである。きっと黒い薬なんだろう。

「……ドアから離れろ。破る」

 廊下からそんな声が聞こえてくる。

 僕は木製のドアが叩き割られる音を背に、窓から外へ飛び出した。大気が肌を刻む。冬の夜はまだ寒い。


 僕は軍記を犯した。それなりに重いやつをだ。

 背後から銃声。

 今、基地内の人員は薄いのだ。緊急時に対応できる軍人も数が限られている。

(そんな薄い弾幕で、逃亡者一名を止められるわけないだろ)

 僕は虚空をすり抜ける銃弾を余裕で躱し、走る。漏れ出る白い息が銃撃に捉えられ、空に斑模様を描いた。

「止まれ! 止まらないと当てるぞ!」

「止まれって言われて素直に止まる犯人見たことあんのかよ」

 僕は真面目な軍人たちを鼻で笑って走る。

 窓から逃げた都合、屋外に出てしまった。僕の目的地は基地内にある。どこかから再度侵入する必要があった。

 当然、計画は事前に考えてあるので、侵入ルートも把握してある。

 僕は適当な窓を破って、建物内に戻った。

 追手たちも連なってくるだろう。

 僕は壁に設置されていたレバーを思いっきり下げた。

「な、何だ!?」

 瞬間、僕を名指しする警報とは別の、けたたましいサイレンが鳴り始めた。耳を劈くような轟音である。

「これは……火災警報?」

「そう。初めて聴いたか?」

 僕は窓の外に向かって手を振る。追手たちは僕を狙って銃弾を放つが、それらは鉄のカーテンに阻まれた。

 延焼防止の耐火扉が窓という窓に降ろされる。銃撃すら通さない、鋼鉄の扉だ。

 僕は廊下を走り、目に付くレバーを片端から下げて回る。じゃらじゃらと扉が降り、通路を迷路状に模様替えしていく。

 予め、どのように耐火扉を操れば最短ルートを組めるかを計算していた。僕だけが通りやすく、敵だけを翻弄する効果的なルートを、何通りも。少ししか時間は稼げないが、何、その少しの時間で事を成せば良いだけのこと。

 僕は迷いなく、最短ルートを突っ走る。

(あそこだ。あそこにさえ行ければ、計画は……!)

 脳とレバーを回転させながら廊下を疾駆。眠っていた身体は今や完全に覚醒していた。

(いけるな)

 待っていてくれ、フェルテ、テフォン、死んでいった全ての同士。僕は今あの草原を成すために走っている!

 そんな僕の、僕らしからぬ熱は———

「!」

 暴力によって打ち砕かれる。

 眼前のシャッターが、向こう側からの強打により拉げる。鋼鉄の壁が、薄紙に寸動を落としたみたいに打ち破られる。

 壁の向こうに戦車でもいるのではないかと錯覚する。

 それだけの力だった。

 鉄が悲鳴と火花を上げる。強引に壁を破って現れたその存在に、僕は本当に言葉を失った。

 全身が、薬により歪に肥大した野菜みたいに隆々としている。全ての筋肉が改造されていることが一目で分かった。

 露出した肌は烏のように真っ黒であり、その者の出自がどのようなものであるのかを雄弁に語っていた。

 単色人。

 そして僕が何より驚いたことといえば———

「久しぶりだなぁ」

「………………!」

 死んだはずの男が、変わり果てた姿でそこに立っていたからだ。

「ヒュージ・ハック!」

 僕は叫んだ。

 変わり果てた男は黒い唇を歪めて、牙を剥き出しにして咆哮する。

「再開を祝して……死ね! ユウイチ!」

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