24
フェルテが死んでから一週間が経った。僕はといえばそれなりにギリギリの日々を送っていた。
日中は平素と変わらない態度で職務に臨む。事務的、あるいは儀礼的な会話を同僚と交わし、膨大な量の仕事に押しつぶされながら息をする。
そして夜になれば失ったものの多さに震え、痙攣し、重圧に殺されそうになりながら悪夢の中に逃げる。
誰も僕の本性に気がついていなかった。機械性愛者だとか屍姦愛好家とか散々な噂は流れていたが、それらはどれも僕の本質ではない。
二人、オザワとオニキスだけが僕のことを心配しているようだった。といっても二人とも軍人らしく真面目が過ぎるので、何度も僕にメンタルチェックを勧めてくるといった具合だったが。
精神科医の先生には申し訳ないことだが、僕はメンタルチェックで満点を取る方法を知っている。だから無意味なのだ。あれは本当に救われたい人のためのものだ。僕みたいなのは効果がない。
「さて……」
僕は夜空を見上げた。
冬の寒空には星が点々と瞬いており、僕でも知っているくらい有名な星座がいくつかあった。
夜のうちに済ませておかなければならないことがある。
僕は星に向かって、ガラにもなく手を合わせてみた。
祈り。
人間しか行わない、極めて心臓的な行為。
僕は神を持っていなかったし、天国や地獄なども信じてはいない。手を合わせて真剣に祈れば、死んでいった仲間に思いが通じる———というような、お花畑のように甘ったるい考えは持ち合わせてはいなかった。
死者に会えるというのは幻想だ。
それは自己に内面化された都合の良い人格を励起させているだけに過ぎない。
僕の中に死者はいなかった。
では、なぜ、手を合わせるのか。
決まっている。
己の冷たさを感じるため。
左手で、右手の鉄分を感じるため。
この冷たさを、心に留めておく必要があったのだ。
僕は顔を上げて、星を見た。黒い天蓋に孤独に瞬く星々は、ビリヤードの玉のようにも見えなくはない。
*
「やぁアイヴィ」
『……ユーイチ?』
僕はIB-982の首筋の電源ボタンを押し、彼女を起動させた。真っ暗な食堂にIB-982のランプが灯る。
『こんな時間に珍しいですね』
「ちょっとね」
反射的にコーヒーを淹れようとするIB-982を手で制し、僕はレーンに両腕を突いた。
「アイヴィ、君に頼みがあるんだ」
『私に? どのような御用でしょう』
僕はIB-982に計画を伝える。
『………………』
「機械も言葉を失うんだね」
『危険すぎます。こんな時期に、そんなことを』
IB-982は目を見開いて僕を諌めてくる。淡く発光している彼女の白目が暗闇に浮かび上がった。
「どうしても君にしか頼めないんだ」
『私にはそのような大役は務まりません』
「毎日包丁を握っているじゃないか。その延長だと思ってさ」
『……ユーイチ、あなた……』
IB-982はパイプの腕で僕の左手を取る。
『私のように、なってしまいますよ』
僕は空いた右手でIB-982の頬に触れた。硬質な、グラスを合わせたかのような高い音がする。
「そりゃ良いね」
*
一日中部屋に籠もる。
それこそ亀のように、幼子のように、冬の球根のように、僕はベッドに横たわっていた。
苛烈に忙しい日々だが、かなり無理をして休暇のカードを切ったのだ。周りからなんと言われようが構わない。ただ一点、上官が部屋に突撃してこないかだけが心配だった。
そのときはそのときである。
「痛たた……」
ずっと横になっていると流石に身体が痛む。血行が滞り、肺が縮んでしまったかのように息がし辛くなってきた。実際、少し萎縮しているのだろう。
苦痛に喘ぎながら天井を眺めていると、ふと、今は行かなくなったあの場所のことを思い返した。
そういえば、どんなに疲れていたときでも、あそこにだけは休まずに通っていた。
「……あれがあったな」
僕はフラつく身体でベッドから起き上がり、不安定な体幹と共に棚に歩み寄る。
ストレージの奥の奥から、黒い小包を引っ張り出す。袋の時点で少し良い香りがする。
ドアと窓の施錠を確認し、僕はベッドに戻る。小袋の中身を開封し、サイドテーブルに置く。
滅多に使わないライターで火を点ける。薄紫の煙と共に脳を
目を閉じるとあの夜々がフラッシュバックする。
あの黒い瞳、柔らかい肌、屈強がドレスを纏っているかのような佇まい。
「……僕に」
内面化された人格に語りかける。
「僕に力を貸してくれ」
あの蠱惑的な笑みが聞こえてくるようである。僕は全身の痛みと疲労も忘れて、あの黒い部屋に沈み込んだ。柔らかいベッドはどこまでも僕を包み込み、千年のスティグマも癒やすほどの暴虐を孕む。
どこまでも続く帳の中で、彼女が微笑んでいるような気配がした。
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