20
カタカタと、木組みのボロ小屋が小刻みに振動する。しかしその異常に疑問を持つ者は最早誰もいなかった。
狭い小屋の中で五人が同じテーブルを囲んでいる。皆真剣な眼差しで、細かな文字が敷き詰められた計画表を睨む。小屋を震わせるのは、遠くの戦車の砲撃音とか、着弾する焼夷弾とか、そんなところだろう。誰も、そんなことを気にしてはいなかった。
それは日常だからだ。
天井の裸電球が、小屋の振動に合わせてゆらゆらと揺れる。熱を持つそれは小屋の人々の旋毛を平等に炙っていた。電球が揺れるたびに小屋の壁には巨人のような影が現れる。
僕はクシササギの外れも外れにある秘密基地で、仲間たちと計画を練っていた。
軍警の目が届きづらい地区とはいえ、公権力の目から逃れるにはこんな小屋が必要となるのだろう。よく用意したものである。
「……つまり、もう既に、ブラックを摘発する用意は九割がた整っているというわけだな」
「あぁ、この国の基幹ネットワーク『ブラックネット』を利用して全国に声明を流す」
「これで全国民にブラックの悪行が知れ渡るという訳だな」
仲間たちはボソボソと計画の全容を口にする。僕はそれを黙って聞いていた。
「一度噂が流れれば人の口に戸は建てられない。いくら戒厳を布いたところでブラックの信用が完全に戻ることはない」
「もとより疑惑の絶えない男だったからな」
「あとは詰めの調整だ。ブラックネットを用いるには多かれ少なかれハッキングが必要になる」
「セキュリティを破ってもすぐに復旧されるだろうな」
「ハッキングプログラムは既に作ってある。重要なのは、復旧されるまでにどれだけ大量の情報を世間に流せるかだ」
電灯が揺れる。
皆が僕の方を向く。
四つの視線に射抜かれた僕は、腕を組んで鼻から息を吐いた。
「僕が適任?」
「お前は唯一、軍に所属している同士だ」
「この国で軍に勝る情報ネットワークは存在しない。プロパガンダでできているような国だからな」
「内部からならハッキングもしやすいだろう。少なくとも外部からよりは」
まぁ、軍に属している以上、このような立ち回りを求められることは分かっていた。そのために機械に強くなったのだ。僕は。
名前も知らない仲間たちから、烈烈たる眼差しを受ける。冬も終わる頃合いといった季節だが、僕は真夏の太陽もかくやという膨大な熱量を感じていた。
皆、この作戦に命を賭けている。互いに名前も出自も知らない仲間たちだが、その背景には須らく凄惨な戦火があったと察するのは易い。
作戦が失敗すれば皆、国家反逆で断頭台に登ることになる。家族、親戚、友人、皆が黒い魔の手に飲まれるだろう。
それだけの危険を冒しても、厭わない。
それだけこの国は歪んでいるのだ。歪み果てているのだ。
「………………」
僕は腰を上げた。情緒的であったり、芝居ががった立ち振る舞いはこのような場では好まれないことくらい分かっているが、それでも今だけは立ち上がりたかった。
「えー、諸君、長きに渡る我々の戦いも終りが近づいている。これまで味わってきた艱難辛苦は堪えがたいものだったと思うが、よくここまで辿り着いた」
皆黙って聞いている。僕はここにいない、全国に散っているすべての仲間のことを思って演説を続けた。
「いまこのときも、不当な政策によって虐げられている者たちが大勢いる。我々はこの黒い戦火を止めるべく、戦ってきた。残るは最後の大仕事のみである。最後まで気を抜かず、命懸けで———」
僕が拳を振り上げようとしたその瞬間、小屋が一際大きく揺れた。
これまでの小刻みな揺れとは違う、もっと兵器を感じさせる揺れである。
揺れた拍子に身体が傾く。胸ポケットから何かがこぼれ落ちた。
「これは……」
テーブルの上に落ちたのは、乳白色の樹脂片。
(フェルテの、指———?)
いつか彼女が悪戯に僕のポケットに差し込んだものだ。今まで入れっぱなしになっていたのを忘れていたのだ。
ポケットに入れていた携帯がけたたましく鳴る。聞く者の肌を泡立たせる不快なサイレン。
「新たな戦線が開いたのか」
「今度はどこだ」
俄に騒がしくなる室内。飛び交う問いに僕は、携帯の画面を読み上げることで答える。
「南部十四。まったく、すぐに帰らなければならなくなった」
僕はジャンパーを羽織る。仲間たちの目線が僕を捉える。
「死ぬなよ」
「絶対に死ぬなよ」
「お前が死んだら、作戦は三歩以上後退する」
誰も僕という人格の命を心配しない。
作戦を遂行する僕という駒が失われることを心配しているのだ。
その方がかえって良い。気楽だ。
僕はジャンパーに袖を通し、右腕を出すと同時に、あくまで気軽に笑ってみせた。
「僕は死なないよ。南部十四じゃ、動員されるかも分からない。それにあそこの戦線は小さいだろ? 案外、僕が基地に着く頃には鎮火されていたりして」
誰も笑わない。笑っていられるような状況ではないのだ。無論僕だって、心は笑っていない。
感覚が麻痺するほど戦争が身近にある生活。
しかし恐れは捨ててはいけない。
その恐れを忘れなかったからこそ、僕達は集っているのだ。
僕はフェルテの指を拾ってポケットに入れると、そのまま小屋のドアを乱暴に開けて外の世界へと駆け出した。
電球と仲間の熱が存在しない冬の夜は凍えるほど寒い。僕は白い息を迸らせながら走る。。
クシササギからカゲヤマまでの道のりを思う。遠い。来るときは電車だったが、今はそれを待っている場合ではない。
僕は最寄りの軍事施設までの地図を思い浮かべる。あそこから車で帰るのは最短だろう。職員証があれば車を借りられるはずである。
眠そうな警備員に職員証を叩きつけるように見せ、駐車場の車に飛び乗る。暖房が回るより先にアクセルを踏み込んだ。
カーラジオからは戦線の最新情報が滔々と流れる。どんな戦局であっても結局は勝つ不思議な戦争を、ラジオは疑いもなく報じ続ける。目眩がした。
ラジオを消したかったが、戦争の報道だけは消すことができない設定になっている。僕は呆れた。キャスターの音声をかき消すようにエンジンを吹かす。
アスファルトの背後から、仲間たちの熱い視線が追ってくるようだった。
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