14
「彼女さんにも、同じことを言われたのね」
事が終わった後、僕はテフォンに相談をしたのだった。
男として最低の情けない質問だったが、テフォンは嫌な顔せず相談に乗った。きっとそういう症例を見慣れているのだろう。彼女の下にはそういう客が何度も来ているはずである。
部屋のベッドに腰掛け、僕は経緯を吐露した。まさか仕事仲間のテフォンにこんな下らないことを打ち明けるとは思ってもみなかった。
「僕はフェルテのことを本当によく考えているんだ。それが伝わっていないのだろうか」
「確かユーイチは、そのフェルテという娘と幼少期に会っているのよね」
「そうだ。僕らは……そうか、あの国はもうないんだった。僕らは今で言う「緑の国」で出会った」
もう十年以上前の話だ。
僕は家族に連れられて、緑の国を訪れた。当時はまだ戦禍も少なく、国家間の行き来も特に制限されてはいなかったはずだ。
田舎の親戚同士の会合は、子供時代の僕にとってはあまりに退屈だった。誇張抜きで辞書でも読んでいたほうがまだマシだと思えるほど、地獄のように長い時間。大人たちは「どんな事象も面白くなる魔法の水」を飲んでいたので、いかにも楽しそうに大笑いしていた。真っ昼間だというのに、顔を赤くして。
水には、子どもと話が通じなくなるという致命的な副作用がある。
退屈に耐えかねた僕は親戚の家をこっそりと抜け出し、周囲を散歩した。
しかし田舎の農家である。周囲には背の低い草が一面に広がっているだけであり、雑貨屋もなければ本屋もない。高い青空を遮るような建物は一つもなかった。ただ車が通るための土色の道が一本通っているだけであり、その道にも人通りと車通りが絶無だった。
僕は停滞した気分に成すすべがなく、草原の中を進み始めた。
どこまでも広がる草原は当然、数分も見ていれば飽きる。僕は少しでも動性のある景観を求め、地面に寝転がって空を眺めた。少しずつだが確実に形を変える雲は、宴会の席にいるよりマシだった。
そんな青を眺めている僕のもとに、彼女はやってきたのだった。
『ハロー』
彼女は花を摘みに来たと言っていた。
『あなた、どこから来たの? 学校の子じゃないでしょう?』
晴天を遮る、深緑色の髪。子供心に綺麗だと思った。
『あっちにお花畑があるの。白い花がいっぱい咲いててキレイなんだよ』
僕が田舎にいる間に、戦禍は瞬く間に国中を焼いた。僕は異郷の地で逃げ、すべてを失った。
そして紆余曲折を経て、僕はこの国を折るために入軍したのだった。
そこで、
『ターン・ブラック。あんた、今日からの新入りね?』
「………………」
「そこで、彼女に再会した、と」
テフォンは最後まで僕の話に口を挟まず、黙って聞いてくれていた。
僕はと言えば自己の内面を語ったことで、自分の根源があの草原であると一層深く自認する。
「僕は……」
カーテンの奥に夜明けは見えない。時間帯的に東の空が燃えていてもおかしくはないのだが、黒く分厚いカーテンは朝焼けの気配をすっかり遮断していた。
「僕は彼女のために、なんでもする気だ。僕の行動様式のすべての基準は彼女にあるし、彼女に死ねと言われたら死ぬ。それで彼女に笑顔が戻り、左腕が戻り、花畑を愛でるような心が戻るのなら、僕はこの身が黒く染まっても一向に構わないほどなんだ」
そんな僕が、彼女のことを思っていないはずがない。
よりにもよって、彼女と体を重ねている間に。
「あなたは……」
テフォンは慈しみを滲ませた声色で言う。それは僕の甘えた先入観だっただろうか。
「真面目なのね」
「一人の女に人生を振り回されてる男は、本当に真面目?」
「バカが付くほど真面目だわ」
テフォンは煙管の煙を吐いた。黒い匂いがする。
「テフォン。僕が君を抱いているとき、僕は君を想っていたか?」
「いいえ」
テフォンはゆっくりと、子供に言い聞かせるように言う。
「あなたが私を想っていると感じたことは、少ないわ」
「………………」
「あなたの頭の中はいつも目まぐるしい。彼女のこと、仕事のこと、任務のこと。そして極稀に、私のこと。ま、良いわよ、私はそれで。そもそも私みたいなのに本気で執心していたら心配になるわ」
「……そう言ってくれるんだね」
テフォンは人心を汲むことに長けている。そういう商売なのだと言ってしまえばお終いだが、おそらく彼女の気質は生まれつきそうなのだろう。
「でも、僕はなぜ彼女を想っていないことになるんだ?」
こんなにも、僕は彼女のための任務に動いているというのに。
こんなにも、僕は草原に佇んでいるというのに。
フェルテが既に花畑から去ってしまったからだろうか。
彼女が僕に求めているものは、何だ?
僕は彼女の過去を取り戻そうと足掻いている。
いっそ、そのことを打ち明けてしまうべきだろうか?
彼女は軍にはいられなくなるだろう。スパイと関係を持つことになるのだから。
そうなれば僕が彼女を逃す。手を取って逃げる。追手があれば戦う。
「僕はただ彼女に、あの時のような笑顔で、「ハロー」と笑いかけてほしいだけなんだ。「ターン・ブラック」なんて言葉を使わないで、ただ……」
草原には子供の僕。
そして大人になったフェルテが佇んでいる。
僕には右腕があって、彼女には左腕がない。
テフォンは僕の左手を取った。
「いずれにせよ、あと少しで私たちの仕事は終わるわ。告発が済んで、私たちが本意を成したら、戦争は止まるかもしれない」
そのとき彼女がどうなるかは、分からないけれど……とテフォンは続けた。
「彼女にすべてを伝えるのは、終わった後にするべきというのは言うまでもないことよ。もっとも、今のうちに真摯に思いが通じ合うのが一番だと思うけれどね」
閉店前の鐘が鳴る。僕は立ち上がった。
「ありがとう。いろいろ相談に乗ってくれて」
「この仕事をしてると、歳不相応に人生経験が厚くなって敵わないわ」
「そういえば君って幾つなんだ?」
私にそれを聞くの? とテフォンはイヤリングを揺らした。
「去年も今年も来年も、24歳をキープしてるわ」
そいつは最高だ。僕は笑った。
仕事は大詰め。僕は訪れるであろう未来への予感に身慄いした。
脳は冴え、心は燃える。軍人としては良いコンディションだ。
「じゃ、また吉報を交換しよう」
去り際、僕はそれを別れの挨拶にした。テフォンは壁に背を預け、眉を上げる。
「美味しいパスタを用意しておくわ」
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