5
「またビリヤードするの?」
「……するよ」
一拍遅れた返事。
基礎体力訓練でグラウンドを周回していると、フェルテが追いついてきて並走してきた。一歩駆ける度にフェルテの髪が上下に揺れ、彼女の香りがした。
先日、嫌というほど受容体に刷り込まれたものだ。
「木曜夜に台を予約したのね」
フェルテは走りつつ問うてくる。当然、僕も走りながら答える。
「そうだね」
「そんなに頻繁にするものなの?」
するものなんだよ。そう答えようとしたが、僕は背後からの気配に口を噤んだ。
近寄ってくる足音。僕とフェルテは揃って振り返った。
「ディクラウン、その晩はちょっとユーイチを借りるよ」
案の定、ナキだ。
トラックの弧を三人並んで走る。足の長いナキが一番外周を走った。
「別に、良いけど」
フェルテはあまり交流のないナキにぶっきらぼうに答える。
「たまに息抜きをしないとな。訓練を乗り切れないからね」
ナキは僕らに手を振ると、本来のペースに戻って背中を小さくさせていった。黒いTシャツの背には丸い模様が十五個も描かれており、15ボールとそれを納めるラックの柄と見て取れた。
ナキは混んだトラックをスルスルと駆け抜けてゆく。追い抜かれる皆が彼の背中に注目しているようだった。
「ビリヤード馬鹿」
ナキは走りながらも、ジャンプショットのコツを考えているに違いない。
指定のトラック数を走破して、僕らは休憩に入った。靴についた石灰を落とす。といっても、靴は黒地で石灰も黒いので汚れた気はしないのだ。シャツもパンツも黒いので汗も目立たない。
屋外の水屋に頭を突っ込んで、頭を洗う。冬であっても走れば暑いのだ。
蛇口の水を頭から被りながら、白い国は大変なんだろうなと漠然と考えた。白い制服は少しでも汚れたら洗わないといけないのだろう。
思考を滝音に放散させていると、ふいに頭上の水が止んだ。
前髪を軽く絞って顔を上げると、左側にフェルテが立っていた。彼女は僕が水浴びをしていた蛇口を奪って左上向きに捻り上げ、勝手に水を飲んでいる。
首筋に汗が滴っていた。
「他の蛇口があるだろ」
フェルテは口の端の水をシャツの胸元で拭った。
「風邪引くわよ」
「男は冬に水浴びをしても風邪を引かない生き物なんだ」
「馬鹿」
規定の周回数をこなせば走行訓練は上がって良いことになっている。変化のないグラウンドを走り続けるのはなかなかに苦行なので、最低ノルマをこなした者からグラウンドを去っていっていた。
そんな中、未だにグラウンドをグルグルと走り回っている者たちがいる。その規則的な足音に、僕はついトラックを振り返った。
走っているクソ真面目の中に、見知った顔がある。
ヒュージだ。
あれは見た目からして厳ついし手が出やすい性格をしているが、規則を守ることや国のために動くことには自らを率先させる男だ。分かりやすい軍人気質。彼にとって基地は理想的な環境なのだろう。
遮二無二走り込んでいるヒュージを見ると、子供用のおもちゃのようだと思う。
単純な機構、反復運動。それでいて、単一電池を直列させたような荒々しさも持っている。
黙々と鍛錬を重ねるヒュージは、もう一人のメンバーと並走していた。そのことに気づき、僕の視線はヒュージよりもその隣の男に吸い寄せられる。
黒曜石のような瞳、烏の羽のような髪、夜空のような肌。
一瞬、呼吸を忘れた。
(———テフォン)
の、同類ということだろう。テフォンは女でヒュージの隣の者は男だが、ひと目見ただけで同じ出自のものということが察せられる。
あんな奴がこの基地にもいたのか。
成程、お国大好きな直情野郎が並走相手に選ぶわけである。
テフォンとの話の種になるだろうか。否、彼女が自分の肌をよく思っている訳がない。雑談の内容としてはセンシティブに過ぎるだろう。
僕がそんなことを考えながらトラックを眺めていると、
「痛ッ!」
「ロボットの次は、とうとう男の尻を追いかける癖がついた?」
フェルテが僕の尻を思いっきり蹴ったのだ。
「ヒュージの隣の奴、名前知ってる?」
僕は腰をさすりながら尋ねる。少し涙が出た。
フェルテは言われてグラウンドに視線をやり、すぐにその影を見つけたようだった。
「あぁ……オニキスのことね」
「オニキス」
「まぁ、分かりやすいわよね。双発よ」
フェルテはさして興味も無いようで、基地内へ帰ってゆく。僕は両手を腰に当て、軽く伸びをしてから彼女に続いた。
双発。
「……そういう発言は控えるべきなんだけどなぁ」
テフォンと同じ。
この国には往々にして、全身が真っ黒な人間が存在する。彼らは黒色のこの国で自然発生した愛国の徒……というわけではない。
彼らは遺伝子操作で産まれた単色人。
産まれる前、あるいは産まれた直後に遺伝子改造手術を受けた者たちだ。
彼らは体中の色素をデザインされ、この国の色を全身に纏って産まれてくる。
手術は人体に莫大な負担をかけるものであり、集中的な治療の際には被術者の腹部に左右から巨大なパイプを通して生命維持を計るのだ。
その手術痕は、両脇腹にくっきりと残る。
「………………」
僕はテフォンの裸体の、二つの傷痕を思い浮かべた。
あれらを揶揄する形で人々は、単色人を双発と呼ぶのだ。
「双発……双発ねぇ」
双発エンジンの飛行機が廃れて何年経っただろうか。僕は空を見上げた。
曇天には、雲を裂く鉄塊の姿は見えもしない。
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