第19話 正義のミカタ
ふざけるな。
嶺岡正義は議員会館の自室にひとり座っていた。
スーツの上着はソファに投げ出され、ネクタイは緩められている。
スマホには、何十万回も再生されている映像。
『…だから、私が指示したのは…』
失言を引き出された。
—あの瀬又という職員、あれほどまでに弁が立つとは。
県議会でのやりとりが、ニュース番組で繰り返し流れていた。
記者たちの張り込み。電話の鳴り止まない事務所。
すべてが、音を立てて崩れていく。
政治家を目指したのは、父の影響だった。
地域の代議士として名を馳せた男。
「政治は力だ」「声の大きいやつが、世界を変える」
そう教えられて育った。
大学を出てすぐ、地元で秘書を始めた。
市議を経て、県議へ。そして、国会。
—計算どおり、計画どおりだった。
新幹線のルート変更。その話を俺に持ってきたのは、たしか…あの人だったな。
彼が言った。「このままでは農業は縮小する一方だ。現場を守るには、理屈より先に現金が必要なんだよ」
世話になっていた、あの人から紹介されて、地元の農組を訪ねた。
庄司組合長や品川専務は困っていた。
選果場の改修案が理事会を通らないという。
「最低でも三千万円。あそこにそんな価値はないと理事たちが猛反対してね」
そう言われたとき、すぐに頭の中で線が引かれた。
地元経済、地域票、補償金。
少し動けば、全員が得をする仕組みを作れる。
そう思った。多少の便宜?それが何だ。
—それが、政治だ。
反対運動は演出だった。
東京の劇団上がりの連中を手配して、農作業服を着せて、のぼりを持たせた。
メディアが食いついた。「地元住民の声」と。
環境団体にも話を通した。
「新ルートなら、地域振興につながる」
「森林への影響は少ない」
嘘を塗り重ねた。バレるはずがなかった。
—まさか、あんなヤツが、現れるなんて。
瀬又朔。あれは、正義感というやつか。
正義の味方?時代錯誤もいいところだ。
あの場で、俺は…何を言った?
「指示した」?—いや、違う。違うんだ。
党本部からの電話。「辞職勧告だ」
地元の後援会は崩壊。
親戚は距離を置き、事務所の看板は外された。
まだ議席は残っている。
だが、すでに誰もついてこない。
記者が窓の外に張り付き、電話が鳴るたびに震えがくる。
もう、誰にも会いたくない。
夜、机に肘をついて、古いメモ帳を見返す。
選挙初出馬のとき、父が書いてくれた。
『政治家は、信頼を買う商売だ』
信頼。俺は、信頼を金に換えようとした。
錬金術に1度失敗したら、まわりに誰もいなくなった。
ニュースでは、瀬又朔のインタビューが流れている。
「農民組合の理念は利他です。利己ではなく、他を利する組織に戻さなければならない」
「利他」思わず口に出した。俺が捨てたもの。
議員バッジを机に置いた。
嶺岡正義―衆議院議員―
最後の選挙から、わずか2年。
誰よりも高く飛べると思っていた。
利己の翼は利他の精神に焼かれて落ちた。
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