傾いでゆく天秤の上で

マレブル

プロローグ

「新幹線新設ルートに絡む、地元選出の政治家と農業団体の癒着疑惑が浮上しています」

朝のニュース番組は、いつもより一段と硬い口調で始まった。

キャスターの背後に映るのは、森の中でぴかぴかと輝きを放つ「FUサラサ」農産物選果場の空撮映像、そして報道陣に囲まれるスーツ姿の男。

「疑惑の渦中にあるのは、地元選出のみん旗党、嶺岡正義(みねおか・まさよし)衆議院議員、四十三歳。元コンサルティング会社経営。父親は元農林大臣、いわゆる二世議員です」

画面のなかで頭を下げる嶺岡は、理知的な眼鏡に紺のスーツ、いかにも清潔感のある装いだった。

けれど、どこか空回りするような記者とのやり取りに、視聴者は戸惑いと疑念を深めていく。

「議員、選果場用地の収用額が周辺地と比べて三倍というのは—」

「その件については、私ではわからないというのが正直なところです」

「議員が当選前に経営されていて、いまは弟さんが代表を務めるコンサル会社が、用地評価に関与していたと報じられていますが?」

「それも、私は…あの、承知はしておりません」


スタジオに映像が戻ると、キャスターは重々しく口を開いた。

「この問題の発端は、単位農民組合『FUサラサ』の帳簿に記された、ある不自然な記録から始まりました」


—画面の中で、手書きの帳票の一部が拡大されていく。

> 名称:選果場および設備機械

> 評価額:315,000,000円

> 備考:新幹線事業用地補償対象設備

その記録を最初に見つけたのは、ひとりの団体職員だった。

——瀬又 朔(せまた・さく)


数ヶ月前の話になる。

その日、大和農民組合統括会(通称:FUO)の組織変革部に籍を置く瀬又は、FUサラサの経営報告書を精査していた。

県内に15あるFUをひとつの組織に統合する。

広域合併に向け、会計処理を精査し、基準を合わせていく必要がある。

今回の査察は、その一環だった。

「施設の稼働実績ゼロ日…なのに、売上が三千万オーバー?」

帳票をめくる手が止まった。

次に脳裏をよぎったものに呼吸も止まった。


かつて朔は監査部にいた頃の噂。

『サラサの選果場、あれ新幹線のルートに引っかかるらしいよ』

収用される。つまり、国が買い取ってくれる。

その額は、設備や土地の評価次第で億単位にも膨れ上がる。

もし、稼働していない施設を“将来にわたり収益を産み続ける”ことにしておけば?

その評価額分は、補償金として国から降りてくる—。

「ただの会計ミスじゃない」


朔は、会計処理担当者の名前を追った。

だがその先には、帳簿ではたどり着けない闇が広がっていた。


選果場の用地評価に関わったのは、「農林族」と呼ばれる国会議員、その実弟が経営する地元のコンサル会社だった。

会社設立は十三年前、住所は実家の土地の一角。従業員数は”1”。

だが、県や市との公共調整業務を受託した実績があり、帳簿には数千万円規模のコンサル料が並んでいた。


嶺岡正義。父の背中を追って議員になった男。

農水大臣を8年も務めた、父の地盤をそっくり引き継いで、地元の農家には評判が良い。

人当たりは良く、話をいつまでも聞いてくれる、経済政策にも明るい。

議会においても質問は理路整然としており、メディアには「次世代の顔」として頻繁に取り上げられていた。


しかし、政治のリアルは、テレビの中よりずっと濁っていた。

そしてその“濁り”を表に引きずり出そうとしていた男が、ここにいる。


瀬又 朔。


匿名SNS『ペルソナボックス』に日々書き込まれる情報。

現地職員のささやき。

封筒の中に差し込まれていた帳票。

点が線になり、線が網になる。


「人はな、誰にも怒られることがなくなったときに、道を外れる」

組織改革部への異動が決まり、朔を高く評価してくれていた、林監査部長が送迎会で贈ってくれた言葉がよみがえった。

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